関門大橋をくぐる
和布刈神社を参拝した後は、関門橋の下をくぐりました。
関門橋は山口県下関市と北九州を結ぶ橋です。1973年に開通で、長さ1,68メートルで開通時点では東洋最長のつり橋だったそうです。
下から眺める橋も迫力がありました。

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地上の大きな機械
渋谷駅で地上数メートル以上のところに大きな機械.
しかし どうやって あの大きな機械を上にあげたのでしょう。?
そういえば 昔 溜池山王の近くのビルの屋上にも、大きな工作用機械がありました。でも この機械は大きすぎる。
むかし 三球照代という漫才師の、地下鉄はどこからはいるのかというもちネタがありました。そして最後に、考えたら夜も眠れませんというオチ。好きな漫才でした。
渋谷の機械を見て、なつかしい漫才を思い出しました。

高いクレーンなので、上まで映りませんでした。
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九州最北端の和布刈神社(めかりじんじゃ)
関門大橋を渡る途中に立ち寄った印象深い神社です。
というのは海に面して潮の流れの激しい関門海峡があり、石灯篭は海の中。
そして頭上には関門大橋。
おみくじはふぐ、御朱印長には柳・・・と興味深いことばかり。
説明にはつぎのように書かれていました。
和布刈(めかり)とは、「ワカメを刈り取る」という意味で、神社前の海岸でワカメを採って神前に供えることが行われ、かつては朝廷に献上したとも言われています。
現在も正月に三人の神職が海に入り、ワカメを刈り取る神事が行われています。




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春の冷製パスタ
いつもお世話になっている料理研究家の方との楽しい夕食。食のプロなので、レストラン選びはいつもお任せです。
選んでいただいたのは、芝公園にあるイタリアンレストラン「樋渡」
暖かさを感じる店内で、ゆっくりとお食事。
どれも申し分のないお料理でしたが、とりわけ蕗のとうと蛍烏賊の冷製パスタは、季節を感じるおいしい一品でした。
また 行きたいお店にくわわりました。

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門司港駅
門司の観光は、門司港駅に着いた時からはじまります。
ともかく、レトロ感一杯。
この駅は、1914年(大正3年)に創建され、1988年(昭和63年)に鉄道駅として日本で初めて重要文化財に指定されています。
はじめて降りた駅ですが、昔 降り立ったことがあるような、そんな気になります。
ホームもレトロ

現在の駅舎

大正3年の駅舎(ホームページからお借りしました)
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バナナのたたき売り,発祥の地
北九州の門司は、バナナのたたき売りの発祥の地だそうです。駅前の広場に
発祥の地の碑が建っていました。
大正時代、傷んだバナナを安く売ったのが始まりだそうです。今では
『門司港バナナの叩き売り連合会』により伝統文化として継承されているとか。

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バレエ鑑賞
先日、友人がバレエを踊るというので見に行ってきました。
多くのアマチュアが出演する大きなコンサートです。衣装もメークもきちんとしたバレリーナたち。
同級生の友人の軽やかなステップに驚きました。日頃の鍛練が大事なのがバレエだと聞きます。私にはできそうもありません。
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九州 博多のもつ鍋
小さい頃は、なかった食べもの
ししゃも、きびなご、そしてもつ鍋です。
あったのかもしれませんが、少なくとも我が家で食べることはありませんでした。もつ鍋を食べたのはかなり大人になってからです。調べてみたら、東京にもつ鍋のお店ができたのは、1992年だそうです。
やはり、本場で食べるもつ鍋はおいしいと思いました。
前日は水炊きをいただき、九州3泊のうち2泊は鍋でした。(この時期、食事の予約に苦労しました。)

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博多どんたくあれこれ
博多どんたくのどんたくとはドイツ語のゾンタック聞いたときいたことがあります。知り合いは菅平でゾンタックというホテルをやっていたことを思い出しました。日曜日という意味だそうです。
今年は規模を縮小しての開催でした。そうはいっても、九州の地方自治体、企業、学校などが工夫をこらしてのパレードは楽しいものでした。今日は写真でごらんいただきます。で、歩道での見学です。、歩道での見学です。








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川上音二郎
先日 行った、博多の川端通り商店街の入り口に小さな像がありました。
川上音二郎の像です。様々な歴史上の人物に出会えるのも旅の楽しみですね。

川上音二郎をご存知ない方のために、商店街のホームページから案内を抜粋させていただきました。
商店街の入口に川上音二郎の像が置かれているのは、博多出身(現・福岡市博多区対馬小路に生誕)だから。
14歳の時、博多港から密航して大阪に渡り、無銭飲食で追われながら徒歩で東京へ移動し、増上寺の小僧時代に参詣する福沢諭吉に出会い、福沢諭吉の書生などをしながら、自由民権運動に参加。
寄席での出し物として生まれたのが世情を風刺した「権利、幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ」の歌詞で有名な「オッペケペー節」です。
明治24年、売れっ子芸者だった貞奴(さだやっこ)と結婚、「川上音二郎一座」を立ち上げ、日本初の女優・川上貞奴が誕生しています。
14歳の時、博多港から密航して大阪に渡り、無銭飲食で追われながら徒歩で東京へ移動し、増上寺の小僧時代に参詣する福沢諭吉に出会い、福沢諭吉の書生などをしながら、自由民権運動に参加。
寄席での出し物として生まれたのが世情を風刺した「権利、幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ」の歌詞で有名な「オッペケペー節」です。
明治24年、売れっ子芸者だった貞奴(さだやっこ)と結婚、「川上音二郎一座」を立ち上げ、日本初の女優・川上貞奴が誕生しています。
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安徳天皇御入水之処
福岡に行った折、一度見ておきたいと思った門司港まで行き、徒歩で関門トンネルを渡り、壇ノ浦を通り唐戸まで行ってきました。
壇ノ浦といえば、安徳天皇が海に飛び込む場面を思いうかべ、何度も悲しい気持ちになります。昨日の大河ドラマは、偶然にも壇ノ浦の戦い。昨日もテレビを見て悲しい気持ちになりました。


逆光ですが、義経像
そして和盛 歴史はいつも残酷です。

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