徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

本多勝一 極限の民族について

2010年10月23日 | 海外ボランティア
私がなぜ海外ボランティアをやろうと思ったのか、と言うことであるが、これには長い長い背景がある。確か高校生の頃だと思うが朝日新聞の本多勝一が北極エスキモー、ニューギニア高地人、アラビア・ベドゥインの集落に半年ほど入り込んでその文化、生活を伝える、というルポルタージュがあった。あの当時はまだベトナムでどんぱちやっていたし、若者は書を捨てて町に出ていた時代だ。ヒッピー文化、世界放浪、繋がった世界、今時の若者が観光旅行で気軽に海外に出かけるのとは違い、自分の人生を探しに旅に出る、そんな雰囲気があった。そんな時代背景のなか、多感な高校生の私は本多勝一にめぐり合った。これは一種の突撃ルポで彼とカメラマンはエスキモーのイグルー(氷の家)にもぐり込み、生肉を食べ、エスキモーと同じ生活をする。白夜の夏と暗黒の冬、日本とは異質の世界だ。ところがエスキモーとは不思議に心が通じ友情が育まれてくる。(最後にお別れの記念に5円玉を渡したら、金と勘違いしたエスキモーの親父がそうではないと判ってかんかんに怒るくだりはあるが。)つぎのニューギニアでも、高地人が口で噛んで柔らかくした竹の子を食べろと言われ、仕方無しに貰って飲み込んだり、の苦労はあったが心はエスキモー以上に通じ合った。しかし、砂漠の民、ベドゥインとは最初から最後まで喧嘩、価値観が全く違うのである。そこで本多は言う、砂漠の論理はイスラムの論理であり同時にキリスト教の論理でも有る。この論理が世界のスタンダードであり、むしろ日本人あるいはニューギニア高地人が異質なのだ、と。この3部作は極限の民族として今でもアマゾンで手に入る。これにぐぐっと引かれた私は大学で山岳部の戸をたたき、ネパールにトレッキングに行き、最後はエクスペディションで登頂するという経緯を辿ることになった。その後、結婚して仕事や子育てなどの世事に追われ、この世界から遠ざかっていたが色々あって会社を早期退職し、暇な頭によみがえったのが海外への思いであった、と言うわけである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿