沖縄県今帰仁村 「 津屋口墓 」
沖縄では一般に亀甲墓は女性の性器を表したとされ、
死して生まれた場所に戻る。
いわゆる生を受けた場所に戻ることを意味し、形どったと言われている。
そんな入り口である膣に蓋がされている墓は今まであまり見たことがない。
今帰仁村今泊集落に 「 アカン ( 開かん ) 墓 」 と呼ばれる墓がある。
その墓には入り口がなく、塗り込められているので、別名でこう呼ばれている。
正確には 「 津屋口墓 」 、ウチナーグチで 「 ちぇーぐち墓 」 とも言う。
おそらく流行病か、悪霊を防ぐために入り口を塗り固めたと思われるが、
この事についてはあくまでも私感なので、参考にしないでいただきたい。
アカン ( 開かん ) 墓に葬られているのは、
今帰仁監守三世の 「 和賢 」 ( わけん ) である。
墓庭には1678年に建立された 「 墳墓記 」 と記された墓碑がある。
今帰仁監守とは、首里王府から派遣された今帰仁城の管理人で、
一世は首里の玉陵 ( たまうどぅん ) に、
二世と四世から七世までは以前、ブログでも紹介した
運天港近くの大北墓 ( うーにしばか ) に葬られている。
なぜ、三世だけが今泊の津屋口墓に葬られているのだろうか?
しかも墓口は閉じられており、
一人だけ村はずれに葬られたとは、悲しいものである。