「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県行橋市 ・ 近代土木遺産 「 稲童1号掩体壕 」 

2013-08-24 06:16:51 | 近代化産業遺産・土木遺産



























































































掩体壕 ( えんたいごう ) は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫で、
掩体、掩蔽壕 ( えんぺいごう ) 、または掩壕 ( えんごう ) とも言われている。 
通常は、コンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしており、
内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみであり、
屋根 ( 天井 ) が無いものもある。
ゴルフではないが、英語ではBunker ( バンカー ) と呼ばれ、
名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。

太平洋戦争当時の築城 ( ついき ) 海軍航空隊関係軍事施設の一部として、
現在、稲童1号掩体壕を含め数基が残っている。
飛行場は1942 ( 昭和17 ) 年の開設で、掩体壕は1944 ( 昭和19 ) 年8月ごろに造られた。
戦後、築城飛行場は米軍の接収を経て航空自衛隊築城基地となった。

この稲童1号掩体壕は、掩体壕としてはかなり大型の部類になり、
陸上爆撃機 「 銀河 」 「 月光 」 「 一式陸上攻撃機 」 「 九六式陸上攻撃機 」 など、
大型機を格納するために造られた大規模な掩体壕である。
入口幅26.8m、入口高5.5m、奥行き23.5m、盛土幅42.0m、
盛土高8.5m、鉄筋コンクリート造り。
鉄筋コンクリートで天井をつけた有蓋掩体壕が7基前後、
土手で囲んだだけの無蓋掩体壕が13基前後造られたとのことである。

今から30年ほど前には、こうした掩体壕をあちこちで見かけることがあったが、
その掩体壕群があった場所は民有地になって半数以上が壊され、
いくつかは残っているうち保存状態が良くてアクセスしやすい位置にあるのが1号掩体壕で、
2011 ( 平成23 ) 年に史跡公園として整備されたものである。



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