「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

詩集 「 馬の詩 」

2013-10-18 05:04:02 | 馬の詩 ・ それぞれ...















初めて詩を書いたのは高校生の時だった。
当時、中央競馬で活躍したマサイチモンジが中津競馬場を走っていた。
華やかな中央競馬から中津の草競馬で懸命に走る姿を見て詩を書いたのが始まりである。
その詩はテレビの 「 競馬中継 」 の中で紹介されたのだが、
馬への情熱は競輪選手になるという自分の夢のため次第に冷めていった。

高校を卒業すると故郷を離れ、熊本の師匠のもとへ弟子入りし、毎日厳しい練習に耐えた。
馬のことよりも自分が走ることに一生懸命だったから練習以外のことは考えられなかったし、
とにかく寝ても覚めても強くなることばかり考えていた時期だった。
だから、その5~6年のブランクはあるが、
競輪に参加している時に書き溜めたものと、
以前に数冊の大学ノートに書き溜めたものを整理して一冊の本にしたのが 「 馬の詩 」 である。

本を出した当時、テレビの取材で、「 詩を書いたのは私ですが、
書かせたのは御船や甲佐の名も無き山々 」 とインタビューに答えているが、
今でも御船や甲佐の山々の自然が感受性を豊かにしてくれたものだと思っている。

それに二人の師との出会いも大きなものであった。
熊本近代文学館で偶然に詩人の坂村真民先生に逢って、
日ごろからふとした想いを書き残すことから始まった感情表現であった。
馬と人間。お互い走る者同士心が通じるものがある。
だから、想い入れのある馬がいつの日か日の目を見るようにという思いで書いたのである。

真民先生の 「 念ずれば花ひらく 」 の八字十音に込められたものに比べれば、
遠く及ばないが、それでも書くことによって想いは残る。
「 馬の詩 」 は、そんな気持ちを込めたものである。

真民先生とは愛媛県砥部町のお宅を訪問したり、
先生の発行する 「 詩国 」 で親交を深めたが、
「 念ずれば花ひらく 」 の碑を江津湖にという願いも叶わぬまま、
先生は旅立ってしまった。

そして馬の詩の先駆者であり、師と仰いだ志摩直人先生とも交流があり、
馬の詩の発行にあたり、 「 心の燃焼がある作品 」 というコメントを新聞に頂いた。
真民先生と志摩先生の存在があったからこそ書けたものだと思う。
二人の師は大きすぎて足元どころか、その影にも及ばないが、
これからも馬に限らず心に残ったシーンは書き残して行きたいと思っている。




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