「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

山口県下関市 ・ 2月9日 「 2・9で福の日 」

2017-02-09 14:29:29 | 今日は何の日?



下関市唐戸市場のカモンワーフにある 「 ふく 」









ふくのメッカだけあって 「 ふく料理店 」 も多い






今日、2月9日は語呂合わせでフクの日である。
立春も過ぎてツキも変わった。
フクにあやかって福を呼ぼうではないか!

多くの人に福が訪れることを願っている。





おっ! 「 1111 」 良い事あるぞ!

2016-11-11 11:11:11 | 今日は何の日?







   今日は11月11日    
   1が4つ並ぶ日
   偶然にも1が4つ並んだ!

   中国では ” 独身の日 ” だと言うが・・・
   明日から武雄記念がある。
   競輪だと4連勝だな!




2月29日はニンニクの日 ・ 那覇市牧志 「 大蒜 ( ひる ) 」 

2016-02-29 19:41:39 | 今日は何の日?



崇元寺橋の突き当りにある 「 大蒜 ( ひる ) 」










































今年は4年に一度の閏年の2月29日は 「 ニンニクの日 」 である。
ニンニクはエジプトのピラミッドを造る時の活力源として食べていた物が、
シルクロードを渡って中国に行き、そこから朝鮮半島を経由して日本に入って来たと
ラジオで鈴木杏樹さんが言っていた。

そのニンニクを漢字で書くと 「 大蒜 ( ひる ) 」 になる。
赤提灯に誘われて、ブラリと入った那覇の居酒屋の屋号がそうで、
この時は、大蒜がニンニクのこととは知らずに、
「 大蒜ってなんですか? 」 って訊いたことがある。

ガラッと戸を開けると、お客は誰も居なくて、
おじさんがテレビを見ていた。
「 こりゃ~、しまった! 」 と思いながら、
ドゥルワカシーやラフテー、田芋 ( ターウム ) などの注文して、
泡盛を飲みながらこれらの家庭料理を食べたが、これがなかなかなものであった。
料理が美味しかったので、ワンランク上の 「 おもろ 」 を飲んだが、
これも抜群に旨かったのを思い出した。


住所  / 沖縄県那覇市牧志2-11-28
電話  / 098-863-8109

今日は何の日  「 ムーチーの日 」

2014-01-08 23:08:41 | 今日は何の日?















今日、那覇市内を歩いていると、あちこちでムーチーが売られていた。
旧暦の12月8日は、 「 ( ウニ ) ムーチー 」 と言って、
沖縄では餅を作って食べ、厄払いする日である。
またこの時期は1年中で最も寒さが厳しい時期で、
この頃の寒さのことを 「 ムーチービーサ 」 と呼ぶ。

ムーチー(餅、鬼餅)は、沖縄県で食される菓子の一種で、
「 餅 」 の沖縄方言であり、月桃の葉で巻くことから「カーサ(葉)ムーチー」と呼ばれることもある。
餅粉をこね、白糖や黒糖で味付けを行い、月桃の葉で巻き、蒸して作る。



11月13日 『 ありがとう 』 記念日

2013-11-15 05:01:12 | 今日は何の日?







一昨日、 ” ありがとう! ” のメッセージがCDと一緒に届いた。
” まさか ” 自分に届くとは思ってもみなかったので驚きである。
最初から来るって分かっていれば、それなりに心構えもしているのだが、
まったく予想もしていなかったので、宝くじに当たったようなウレシサと戸惑いが交差した。
そして、その内容は1度で十分伝わるものだった。
だから、そんな11月13日は、 『 ありがとう 』 記念日というコトにした。

そうそう、送られて来たCDは毎日聴いている。
「 いきものがかり 」 ではないが、 ” ありがとう ! ”




今日は何の日 「 灯台記念日 」

2013-11-01 00:03:33 | 今日は何の日?



沖縄最古の灯台 「 初代・津堅島灯台 」の台座





我が国における西洋技術を用いた灯台の建設は、
明治元年、神奈川県横須賀市の観音埼灯台の建設に始まり、灯台業務の開始を記念するため、
わが国初の洋式灯台である観音埼灯台起工日である明治元年11月1日にちなんで
11月1日を 「 灯台記念日 」 と定めたものである。

初代津堅島灯台は、明治期、国策によって建てられた灯台で、
同時期の先原埼灯台がほとんど痕跡をとどめていないこともあり、
沖縄最初の灯台遺構として歴史上重要である。

津堅島灯台は、沖縄本島の東方、中城湾の玄関口にある津堅島の南端にあり、
初点は、那覇の先原埼灯台と同じ明治29年(1896)11月25日であるが、
ただ、明治29年度の逓信省第11年報によれば、
先原埼灯台の竣工は明治29年9月30日で、
この津堅島灯台は明治29年9月15日と記されていることから、
津堅島灯台は沖縄で最初に完成した灯台ということになる。




9月4日 「 古酒 ( ク~ス ) の日 」

2013-09-04 00:06:24 | 今日は何の日?



海底で寝かせるため珊瑚やフジツボが瓶に付着している








沖縄特有の紅型に巻かれた海底貯蔵酒が入っていた木箱







ANAの機内誌 「 翼の大国 」 で紹介されていた





今日、9月4日は9と4の語呂合わせで 「 ク~スの日 」 となっている。
最初に古酒(ク~ス)を飲んだのは、沖縄の琉球城蝶々園で買った 「 海底貯蔵酒 」 だった。
高額だったが、「 どうせ買うなら 」 と思って木箱に入ったのを買ってみたら、これが正解だった。
あれから泡盛を愛飲するようになり、内地で海底貯蔵酒に近い飲み味を求めて飲むようになったのが、
石垣にある高嶺さんとこの 「 於茂登 ( おもと ) 」 である。
今はあれこれ、その日の気分や料理にに合わせて色いろ飲むが、アルコールの基本は泡盛である。









泡盛の大きな魅力は、年月をかけて熟成させれば素晴らしい古酒に育っていくことで、
沖縄では、甕やビンに入れて熟成させることを「寝かせる」とよく表現するが、
寝かせば寝かすほど香りも甘くなり、口に含んだときの舌触りもまろやかになる。
その風味の芳醇さは、1853年に琉球国を訪れたペリー一行が、
「 まるでフランスのリキュール ( ブランデー ) のようだ 」 と表現したように、
現代でも、世界的に評価されている年代物のウイスキーやブランデーと
肩を並べることがで出来るほどの名酒である。

では、「 泡盛はどれくらい熟成させれば古酒といえるか 」 というと。
現在の規定では3年以上熟成させた泡盛が全量の50%を超えていれば
「 古酒 」 と表記していいことになっている。
蒸留して3年未満の泡盛は 「 一般酒 」 と呼ばれ、
いわゆる日常で手頃に飲める泡盛として幅広く流通している。
つまり、「 古酒 ( ク~ス ) 」 とだけ表記されている泡盛は、
3年以上の古酒と一般酒のブレンドといえる。




今日は何の日? 「 名護市発足の日 」 

2013-08-01 06:03:58 | 今日は何の日?



名護グスクから見た名護の街








名護市役所








東江4丁目交差点付近







上から見た東江4丁目交差点付近







名護博物館入口












名護市世冨慶にある長堂橋の親柱に鎮座する 「 名護親方程順則 」






今日は昭和45年に名護市が発足した日である。
名護市は、昭和45年8月1日、名護町、羽地村、久志村、屋 部村、屋我地村の5町村が合併し、
県下9番目の市として誕生したものである。

名護はヤンバル ( 沖縄県北部 ) をめぐる時の拠点として滞在することが多い。
そんな名護市役所には亡くなった岸本市長が居た頃に訪れたことがある。
名護はうるま市の安慶名や東風平町などと同じように
沖縄に移住したならば暮らしたい場所である。
そんな名護を明日から数回に分けて紹介して行きたいと思っている。




『 どんな色 』



遠い昔
あなたが生まれた街
名 護

東 江  ( アガリエ )
ガジュマル
ウルトラマリンブルー

伊江島
ましゅんく節
星の砂

現在( いま ) 名護は
どんな色をしているのでしょうか




今日は何の日? 「 路面電車の日 」

2013-06-10 20:16:27 | 今日は何の日?



鹿児島市電 ( 高見馬場付近? )







長崎の路面電車 ( 大浦天主堂下 )







長崎の路面電車






長崎市役所下の 「 桜 町 」 電停







長崎の路面電車








熊本の路面電車 ( 通り町付近 )






熊本の路面電車 ( 熊本駅前付近 )







札幌の路面電車






札幌の路面電車






札幌の路面電車






岡山の路面電車







鹿児島の路面電車 ( 鹿児島中央駅付近 )















鹿児島市電 ( 水族館口電停 )







鹿児島の路面電車 ( 天文館電停 )







鹿児島中央駅電停







動画は長崎市電の賑橋→西浜町




何気に撮った各地の路面電車の写真であるが、
こうして改めて見るといいものである。

6月10日の今日は6の路と10テンが転訛してデンと読ませて、
ロデン ( 路電 ) の語呂合せで路面電車の日らしい。
何となく無理矢理コジツケタ感もしないでもないが、
まぁ、愛嬌として受け取りたい。




今日は何の日? 「 ロックな日 」

2013-06-09 19:35:16 | 今日は何の日?







今日、6月9日は6と9の語呂合せで、 「 ロックの日 」 だという。
ニュースでは “ 鍵をかけるロック ” だと言っていたが、
ロックといえば、グランド・ファンク・レイルロードもあるけど、
やはりオイらのような飲み助?は、氷をブチ込んだロックを思い浮かべてしまう。
ロックで飲むと、その味がダイレクトに伝わって来て口の中に至福の時間が広がる。
それが料理とマッチした時は、まーさんど~。



グランド・ファンク・レイルロード 孤独の叫び Inside Looking Out






今日は何の日? 「 塩屋大橋が開通した日 」

2013-06-05 06:24:03 | 今日は何の日?



風光明媚な塩屋湾に架かる塩屋大橋













塩屋湾







宮城島にある塩屋マリンランド


















今日は沖縄県大宜味村にある初代の塩屋大橋 ( 308m ) が昭和38年に開通した日である。

やんばるのシンボルのひとつである、 大宜味村宮城島と塩屋を結ぶ塩屋大橋は、
1963年(昭和38)年の建設から30年を経て、 老朽化が目立つようになり、
昭和38年の基準で架橋された塩屋大橋は、設計速度は時速60キロに設定され、
幅員も狭くカーブが急で、近年の急激な交通量の増大にともなって、事故が多発していた。
こうした問題を解決するために、1996(平成8)年3月から塩屋大橋の架け替え工事が始まった。
この事業は、昭和57年度から実施されてきた大宜味拡幅(大宜味村 謝名城 ( じゃなぐすく ) から
同村 津波 ( つは ) 間の延長約9.3キロメートルの拡幅工事)の締めくくりの事業でもあった。

塩屋大橋は海上に架かっているため、常に波しぶきを受ける環境にあり、塩害が心配されていた。
そのため新しい塩屋橋を建設するにあたっては、塩害対策のしやすい種類の橋の形が選ばれ、
錆を 防御する対策も万全に整えました。
新しい橋の建設には、地元住民を含めた 「 塩屋大橋景観検討協議会 」 が設置された。
また地域性を演出するデザインが検討されて、
橋が路面より上にならないようにという景観への配慮も盛り込まれた。

新しい塩屋大橋は、1999(平成11)年3月に完成し、
やんばるの緑の 山並みをバックに、役目を終えた旧橋と真新しい新橋が、
美しい塩屋湾の湾口に沿うように並び、新旧交代の時を待っていた。

平成11年3月27日、新橋の開通式が行われ、村のカミンチュによる祈りから始まり、
地元住民総勢70人による重要無形文化財 「 塩屋の総踊り ( スーウドゥイ ) 」
「 国頭 ( クンジャン ) サバクイ 」 が演じられた。
また、開通式が終わって後の5月1日から5月30日までの1カ月にわたり、
「 サーバシ・カフー祭 」 が開かれた。
塩屋のことを地元では 「 サー 」 ( 下の意 ) と言い、
塩屋大橋を 「 サーバシ 」 と呼んで長年親しんでいたことから、
塩屋大橋に感謝する ( 果報 = カフー ) という意味の祭りである。
サーバシ・カフー祭は、こいのぼり 掲揚式で開幕、
保育園児らによるブナガヤ踊り、ミニコンサートなど多彩な 催しが連日開かれた。
最終日には送り火で渡り納めをし、赤橋の歴史に幕が下ろされました。
現在、赤橋は塩屋沖に沈められ、魚礁として新たな役目を担っている。




ペリー提督来琉の日 「 1853年 ・ 復帰前 ( 琉米親善の日 ) 」

2013-05-26 07:44:42 | 今日は何の日?






今日は、1853年にペリー提督が琉球に来た日で、
沖縄が本土復帰前は 「 琉米親善の日 」 とされていた。




「 沖縄本土復帰記念日 」

2013-05-15 05:03:37 | 今日は何の日?






1972年5月15日。
第2次世界大戦から27年後、沖縄は本土復帰を果たした。
あれから41年の時が経つが、戦後から沖縄の置かれた立場はあまり変わらないように思う。
もっと政府が物心ともに沖縄に対して 「 思い遣り 」 をカタチとして表すべきであろう。
毎年、毎回、アメリカの言いなりで捨て石にされた沖縄が
普天間や辺野古問題で揺れ動くなか迎えた本土復帰記念日である。




5月10日 『 黒糖の日 』

2013-05-11 07:17:17 | 今日は何の日?



渡名喜島にある「 昔の製糖車 」








製糖車の説明板






平敷屋にある製糖工場跡






沖縄製糖株式会社・宮古工場








与論島にある「 南島開発 」







喜界島にある 「 大和製糖喜界島工場 」






沖縄では2010年から、5月10日は語呂合わせで黒糖をアピールする 『 黒糖の日 』 に制定された。
沖縄で黒糖が作られるようになったのは今から380年程前、1623年(元和9年)琉球王朝尚豊3年、
儀間真常が中国から製糖法を学び普及が始まった。
琉球時代より沖縄を代表する味として親しまれ、伝統的な琉球料理に使用が欠かせず、
また茶菓子にも広く使われ親しまれている。
そこであらためて、沖縄産の黒糖の良さをPRして販売拡大に繋げようと、
県と生産地の町村、製糖会社などで作る「沖縄県含みつ糖対策協議会」が、
5月10日を 『 黒糖の日 』 と決めて、アピールに取り組み出したということである。