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『坂の上の雲 六』(その1)

2013-02-20 09:09:53 | 日記



 こんにちは。

 『坂の上の雲 六』です。

 「黒溝台」(つづき)(7~80頁)・・・黒溝台会戦(1905年1月25日 - 1月29日)
・秋山好古はロシア軍が活動を開始する可能性があることを満州軍総司令部に伝えたが、総司令部参謀たちは「冬期にロシア軍は動かない」と判断し、何もしなかった。
・日本軍は西側より順に秋山支隊、第2軍、第4軍、第1軍といった布陣であり、もっとも手薄だったのは秋山支隊であった。
・秋山支隊は、騎兵としての機動力を捨て、拠点を築き、機関銃などを用いて徹底抗戦することになる。
・満州軍総司令部は、兵力を逐次投入するという戦術上の過ちをおかすが、かろうじて持ちこたえる。
・ロシア軍が攻めきれなかった理由は、クロパトキンが部下グリッペンベルクの作戦成功を恐れ(官僚的保身)、撤退を命じた。もし、クロパトキンとグリッペンベルクの連携がうまくいっていればロシア軍の勝利は確実であったろう。
・結果として、日本軍は緒戦は苦戦したが、結果的には日本の辛勝に終わった。
・日本軍の参加兵力は約5万3千人、死傷約9千3百余人であり、それに対してロシア軍の参加兵力は約10万人、死傷約1万人である。
・グリッペンベルクは、クロパトキンの態度に怒り、本国へ帰国する。

「黄色い煙突」(81~130頁)・・・バルチック艦隊はマダガスカルに碇泊
・バルチック艦隊は、1月9日からマダガスカル島のノシベに碇泊していたが、すぐに旅順が陥落と、旅順艦隊(太平洋第一艦隊)の潰滅を知る。【注】(第一艦隊は旅順艦隊、第二艦隊はロジェストウェンスキーのバルチック艦隊)
・ロジェストウェンスキーは本国に、このままウラジオストックに向かうべきか否かを本国に打診した。それに対して、ロシア本国は第三太平洋艦隊を派遣することにする(ネボガトフ少将)。ただ、このネボガトフ率いる艦隊は老朽艦が多く、ロジェストウェンスキーは期待していなかった。

・日本はバルチック艦隊の動静をさぐるために、12月13日に香港丸と日本丸を派遣したが、バルチック艦隊をみつけることをできなかった(~1月18日)。その後も偵察が行われるが、見つけることはできなかった。
・この間、東郷や秋山真之は東京に滞留している。東郷は、明治天皇に誓ってこれを撃滅する旨を伝えた。


「大諜報」(131~241頁)・・・明石元二郎大佐の諜報活動の話
・福岡藩出身、1883年士官学校卒業、絵画の才や語学の才があった。しかし、運動神経はよくなく、自分の容姿には無頓着であった。1889年陸軍大学校卒業。「変なひとだった。猫いっぴき飼っていて、もどってくると帽子をそのあたりに投げつける。すると猫が呼吸をのみこんでいてその帽子のなかで寝る。翌朝、その猫を追いのけてその帽子をかぶってでてゆく」
・日露戦争中に、当時の国家予算は2億3,000万円程であった中、山縣有朋の英断により参謀本部から当時の金額で100万円(今の価値で400億円以上)を工作資金として支給されロシア革命支援工作を画策する。
・フィンランド憲法党のカストレン、フィンランド過激反抗党のシリヤクスと知り合い、これをきっかけに多くの反ロシアの革命家たちと知り合いになっていく。
・1905年1月22日(日曜日)にロシアの首都ペテルブルクで、「血の日曜日事件」が起こる。これは、僧侶ガポンに率いられた民衆が冬宮に行進し、窮状を訴えようとする極めて平和的な行進だった。しかし、これに対して軍隊は発砲し、多数の死傷者を出した。これによってロシアはまさに革命前夜のようになる。


 今日も来てくださってありがとうございました。

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