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「キャラクター商品とご当地グッズ」(徳島県)(2015.10.15)

2015-10-15 07:02:55 | 日記


こんにちは、今日は「徳島県」のご当地キティちゃんです。

【1】あすなろ舎さんのご当地キティちゃん 映像をみたいかたは
     →( http://gotochikitty.com/pref/tokushima/ )

 みたほうがいいものに【注目!!】をつけました!

・阿波踊り:阿波踊り姿のキティちゃん。 
・金長タヌキ:タヌキのかぶり物をしているキティちゃん。
・ 金時イモ:イモをかぶったキティちゃん。
・阿波尾鶏:阿波踊りの格好で、手が「羽根」になっているキティちゃん(尾鶏だから?)  
・【注目!!】わかめ:わかめをスカートのようにしています!!!
・渦潮(うずしお):渦潮をみつめるキティちゃん。
・祖谷そば:そばのどんぶりに入ったキティちゃん。
・徳島ラーメン:ラーメンどんぶりを運ぶキティちゃん。
・ すだち:すだちのかぶったキティちゃん。

⇒徳島は、阿波踊りだけではなくイモ、タヌキ、そば等でがんばっていますね。


【2】「徳島県」の気になるもの

(その1)「金長タヌキ」

 「小松島市HP」より引用させていただきます。画像をみたいかた、きちんと理解したいかたは→
 ( https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/soshiki/16/raccoon-dog-legend.html )
 
【金長物語】
 江戸時代の末期ごろ、日開野に金長という狸が住んでいた。ある時、村の子供たちが枯葉を燃やし、穴の中の金長をいぶり出して苛めていると、日開野の染物屋「大和屋」の主人・茂右衛門が通りかかり、哀れに思って命を助けた。金長は、恩に報いるため「大和屋」に移り住んで、守り神になり、店は大いに繁盛した。

 金長はその後、津田浦の六右衛門という狸の世界の大物の所へ弟子入りした。やがて、六右衛門は頭のよい金長の才覚に目をつけ、養子になれと誘ったが、金長が拒否し逆に六右衛門のやり方を注意した。怒った六右衛門は金長とその家来を、60匹の軍勢で襲った。

 辛うじてひとり日開野に逃れた金長は仇討ちを誓い県南の狸に呼びかけ、六右衛門討伐の兵を挙げた。この戦いを「阿波狸合戦」という。金長軍が死闘を制した。金長は六右衛門に一騎打ちを呼びかけ、激闘の末、六右衛門を討ち取った。しかし、自らも致命傷を受け、せめてご主人の茂右衛門に別れを告げようと、日開野に帰ってきた。苦しい息の中、金長は茂右衛門に優しくしてもらった礼をいい、静かに息を引き取った。彼の生き様に感激した茂右衛門は、正一位金長大明神として長くまつったという。

 (以上 引用)

⇒たぬきの世界も大変ですね。義理と人情、まるで人間社会と同じじゃないですか。
 血で血を洗う抗争劇・・・なんとも言えないですね・・・。
 よみは「きんちょう」でいいのでしょうか・・・。 

(その2)「阿波尾鶏」(あわおどり)
 だじゃれかと思ったので、調べました。(以下WIKIより引用)

 阿波尾鶏(あわおどり)は、徳島県で飼育されている鶏の品種。出荷数、シェアともに名古屋コーチン、比内地鶏、薩摩地鶏を抑えてトップ(2011年度)

 阿波尾鶏は、徳島県立農林水産総合技術支援センター畜産研究所が開発した肉用鶏で、10年かけて軍鶏の雄と他の優良肉鶏を合わせて改良し作られた。1990年から販売されるようになり、2001年に特定JAS地鶏に認定された。また徳島で有名な阿波踊りから因んでこの名がつけられた。阿波畜産3ブランドのひとつで、他に阿波牛・阿波ポークがある。
 (以上 引用)

⇒たしかに、近所のスーパーにも四国産の鳥肉がよく売られています。
 なんと・・・よくみると、阿波尾鶏のCMソングがありました。

 ジュー ジュー ジュー ジュー 「パパ焼けたよ~」
 パパ好き ママ好き ジュー ジュー ジュー ジュー
 徳島の風が生んだ 地鶏 阿波尾鶏
 「こりゃウマい」
 ほっぺが落ちる 徳島の阿波尾鶏

 ジュー ジュー ジュー ジュー 「ママできたよ~」
 鍋物 焼物 ジュー ジュー ジュー ジュー
 徳島の水が生んだ 地鶏 阿波尾鶏
 「おいしいわ」
 舌が 鳴る 鳴る 徳島の阿波尾鶏

 ジュー ジュー ジュー ジュー 「ご飯ですよ~」
 うまいよ うまいよ ジュー ジュー ジュー ジュー
 徳島が生んだ 日本一 地鶏 阿波尾鶏
 「おいしい~」
 みんな大好き! 徳島の阿波尾鶏

 http://www.tokutori.org/tori/tori_cm-song.html から引用させていただきました。(注目!!曲も聴けます!)

 作詞は、丸本昌男氏、作曲は城みちるです。
 
 丸本氏は阿波尾鶏ブランド確立対策協議会会長、城氏は有名な芸能人です。


【3】ご当地キティちゃんへの提案(販売して欲しいもの)
(1)「吉野川キティちゃん」
 :吉野川といえば、日本三大暴れ川の一つで、利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と並び四国三郎(しこくさぶろう)の異名をもっています。これを放っておく手はありません。暴れん坊ということで、デザインは、まゆをつりあげたキティちゃんが、川くだりをするというのはいかがでしょうか?

(2)「ジャストシステム キティちゃん」
 :ジャストシステムは、本社が徳島市にあり、「一太郎」をつくった会社です。今でこそわたしはWORDを使っていますが、PCを使い始めた頃はお世話になりました。そうだ!今でも日本語入力システムの「Atok」をスマホ・パソコン・タブレットにいれて使ってます。デザインは「JUST」のかぶりものにしましょうか。手にはPCをもって・・・。

(3)「大塚製薬 キティちゃん」
 :大塚製薬も徳島県鳴門市が創業の地です。「ポカリスエット」はとても有名ですね。「カロリーメイト」、「オロナミンC」もそうなんですね・・・。デザインは、ポカリスエットやらカロリーメイトやらオロナミンCやら、もちきれないくらいもたせたキティちゃんでどうでしょうか・・・。


(4)「鳴門市ドイツ館キティちゃん」または「第9をうたうキティちゃん」

 :ドイツ館とは・・・、以下に引用します。(http://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/germanhouse/about.html)

 大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、約4,700人のドイツ兵を俘虜として日本各地の収容所に送りました。このうち四国の徳島、丸亀、松山にいた約1,000人が大正6(1917)年から同9(1920)年までのほぼ3年間を、鳴門市大麻町(当時、板野郡板東町)の板東俘虜収容所で過ごすことになりました。

 この収容所では、松江豊寿所長をはじめとする管理スタッフが、俘虜たちの人権を尊重し、できるかぎり自主的な運営をみとめたため、自由で快適な収容所生活を楽しむことができました。彼らの活動は驚異的で、所内に80軒余りの商店街、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘群などの施設を造るほか、健康保険組合、郵便局などの互助的活動も行いました。また、学習、講演、スポーツ、音楽、演劇など文化活動も盛んで、とりわけ音楽活動では、ベートーヴェンの「交響曲第九番」の国内初演をはじめ、複数のオーケストラや様々な楽団が100回を超える演奏活動を行いました。

 所外においても、俘虜製作展覧会や各地での演劇、演奏会活動など、ドイツ文化を広く市民に紹介しています。その他、 牧畜、製パン、洋菓子、西洋野菜栽培、建築、スポーツなど様々な技術をもたらし、なかには現在もそれが受け継がれているものもあります。これらのイベントや技術指導によって、俘虜たちは地域社会に受け入れられ、板東の町やその周辺では、地元の人々と日常的に交歓する風景が当たり前のようになりました。

 ドイツ館は、このようなドイツ兵俘虜と地域の人々との交流を顕彰するため、昭和47(1972)年、元俘虜たちから寄贈された資料を中心に建設されましたが、築後20年をこえて施設の老朽化や収集資料の増加により手狭になってきました。そこで平成5(1993)年、東四国国体のメイン会場の1つが鳴門市となったことを記念して、新ドイツ館の建設が計画され、同年10月13日に現在の地に新築移転されました。

 ⇒「第9のふるさと」としてきいたことがありましたね。
  デザインは、第9をうたっているキティちゃん以外にないでしょう。


 この4つでいかがでしょうか?
 

 今日も来て下さってありがとうございました。