作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 昭和20年8月10日 】

2012-08-10 10:42:28 | 身辺雑記

ソ連軍の参戦で、日本の敗戦が濃厚になった年の
8月10日に何をしていたかを、思いだして書いている。

ソ連軍の南下と共に、前線から新京に帰ってきた父は、
9日の殆どを、ボク等兄弟を逃がす方法を求めていた様で、
夜遅く帰ってくるや、明日の午前中に出る北朝鮮行きの
特別列車の座席を確保してきたと言い、ボクに持てる
サイズのトランクやボストンバッグを引っ張り出して、
弟の衣類などを詰め込みはじめた。

ボクは11歳の頭で、オール満州で、新京こそが最も安全な場所
だと信じていたから、父の狂気から来た行為を、冷ややかに見ていた。

10日の朝は早くから起され、ボクが何の荷造りもしていない事に
怒り狂い、殴ったり蹴ったりしながら、ボクに荷造りを強制した。

様子を見にきた、隣近所の人々も、口々に北朝鮮行きが無謀だと
父を説得にかかったが、父はそれらの人々の話に耳を傾ける事なく
ボクを怒鳴りながら、重たい荷物を用意させた。

新京駅に着くと、父が手配した北朝鮮行きの列車が停まっていて、
中には顔ぐらいは見知った人たちも居た。成年男子の姿は無く、
全員が女子どもの群れであった。

当時小5のボクには、小2まで居た奉天の記憶があり、その段階で
すでに奉天で降りる決心をしていた。

幸いにも列車は奉天から向きを変えて、北朝鮮の南浦に向う予定で
あった。列車は途中の四平街とか、他にも名前を知っていた駅に停まり、
満席の列車内は暑く、弟は盛んに水を欲しがった。

四平街の駅の水飲み場は大混雑しており、兵隊姿の人に「こっちにも」
と言われて、そこで桶から汲んだ水筒の水には、後で分かったことだったが、
何とボウフラが湧いていた。
弟にも飲ませ、ボクも飲んだ水は、ボウフラが湧いた水だったのである。

弟が奉天到着前から、高熱でぐったりしたのは、ボクがそれと知らずに
飲ませたボウフラが湧いていた水を飲ませたのが原因であったかもとの
思いは、今でもボクを責める。

数少ない列車内の、女子社員たちは、北朝鮮でソ連兵以上の暴虐行為に
出た朝鮮人によって、如何なる目に遭ったのか。
その北朝鮮が、今頃になって、日本人の遺骨を返還すると言う。

ボクが奉天駅で下りる時に、大勢の大人たちが口々に非難したが、
あの人たちの、北朝鮮での運命は如何なるものであったのか。

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