現役時代から引退後まで長く野球界に影響を与え、11日に84歳で死去した野村克也さんは、印象的な言葉の数々で多くのファンに愛された。著書も150冊以上に及び、全国各地の書店や図書館に急きょ設けられた追悼コーナーでは、早くも在庫切れが出ている。
紀伊国屋書店新宿本店(東京・新宿)は11日昼ごろに追悼コーナーを設置した。8日に発売され、最後の著書となった「リーダーとして覚えておいてほしいこと」など、書店内の約20種類を集めた。11日だけで20冊以上が売れ、在庫がなくなった本もあった。
野村さんはこれまで150冊以上の書籍を執筆した。野球の技術書や組織論から2017年に妻の沙知代さんを亡くした後の生活をつづったエッセーまで、分野は多岐にわたる。
新刊を定期的に出し、ファンも多かった。同店の書店員、志村健二さん(53)は「書店としてはヒットメーカーといえる方で、残念に思う。元アスリートでこれだけ書籍を出した例はなかなかないのではないか。これからさらにコーナーを拡充させるべく検討している」と話した。
千葉県流山市立森の図書館も11日午後、野村さんの著書15冊ほどを集めて追悼展示を始めた。川島威史館長は「人気のある方だったからこそ、多くの本が世に出されたのだろう」と話す。
野球ファン以外の人気をつかんだのが、野村さんの「ぼやき」とも呼ばれる名言の数々だ。1977年に南海監督を解任され、選手としてロッテに移籍することが決まったときの「生涯一捕手」は、多くの会社員たちの胸にも響いた。
89年にヤクルトの監督を受諾して「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう」「小が大を制する。大と同じことをしていてはだめ」と述べるなど、理論派の一面も。インタビューでもたびたび「野球は頭でするスポーツ」と言及していた。
楽天時代の07年に田中将大選手を評した「マー君、神の子、不思議な子」など、独特の言い回しで知られる"野村語録"だが、選手を発奮させる言葉の使い方は職場のコミュニケーション術としても注目された。09年に「ぼやき」が新語・流行語大賞のトップ10に入り、各地で開かれた講演会が人気を集めた。
「人間何を残すか。人を残すのが一番。少しは野球界に貢献できたかな」。同年、楽天監督として最後の指揮にあたり、野球人生をそう振り返った。18年に妻、沙知代さんのお別れの会で「一言、ありがとうと言いたい。良い奥さんだった」と語るなど、言葉の根底には情と温かさがあった。