郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

ブーリン家の姉妹

2008年11月03日 | 映画感想
 書きかけの記事を多数かかえながら、またまた脱線しまして、「ブーリン家の姉妹」です。
 1日は映画が1000円で、たまたま土曜日に重なりましたので、行ってまいりました。

 ブーリン家の姉妹 公式サイト




 もともと、コスチュームプレイが好きですし、いまちょっと注目しているお話でもあったんですよね。
 えーと、この映画には原作小説「ブーリン家の姉妹 」がありまして、読んではないんですが、かならずしも史実に忠実な小説ではないようです。

 注目している、といいますのは、原作小説ではなく、ヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚の史実です。
 この結婚は、その後の大英帝国の礎となりましたイングランド国教会誕生のきっかけでしたし、二人の間に生まれたエリザベス1世は、大英帝国興隆の基盤を作った君主ですし、まあ、近代国家イギリスの源をたどればこの結婚にいきつく、という見方が、できなくもないわけでして。



 とりあえず、この件に関する私の歴史知識ですが、概略は知っております。ヘンリー8世と6人の妻、といった類の本は、複数読んだ覚えがありますし、アン・ブーリンとエリザベス1世については、他にもいろいろ読んだように思います。映画でいえば、ごく若い頃に、テレビ放映された「1000日のアン」は、見ました。しかし、忘れていることも多く、詳細には存じません。

 それにくわえて、なにしろ映画の題名が「ブーリン家の姉妹」。アン・ブーリンには、先にヘンリー8世の寵愛を受けていた妹(姉説が有力なようです)がいて、同じ男に愛された姉妹の葛藤を描く、というふれこみでしたから、さほど、歴史的な正確さを期待したわけではありません。
 
 で、結論からいいますと、ちょっと中途半端な映画になってしまっているのではないか、ということです。



 アン・ブーリンの妹、メアリーを演じるスカーレット・ヨハンセンの存在感は強烈です。
 この人の映画、「アメリカン・ラプソディ」「真珠の耳飾りの少女」を見ているだけでして、顔立ちをいうならば、くちびるが厚すぎて好みではないのですが、なんというのでしょうか、表情、目のみで語る押さえた演技をやらせると、見事な女優さんです。「真珠の耳飾りの少女」など、もう、この人なしにこの映画成り立っただろうか、と思ったほどでした。
 まあ、ですから、ひかえめでいて、実は芯が強いメアリー役はよく似合っていますし、その存在感で、ナタリー・ポートマン演じるアン・ブーリンを、食っています。
 顔立ちだけをいうならば、ナタリーの方が端正な美貌、いいかえるならば、きつい感じの美しさです。王に正式の結婚を迫って、国の宗教のあり方まで変えさせてしまい、本来、身分からいえばありえない王妃の座を勝ち取る、という、アンの気性の激しさに、ぴったりといえばぴったりで、演技が下手かといえば、そうでもないのですが、ともかく存在感が薄いんです。
 要するに、演技が単調なんでしょう。



 これは、シナリオと演出の責任だと思いますが、姉のアンは野心まんまん、はいいんですが、前代未聞の挑戦を企てたわけなのですから、この人にもこの人なりの心の揺れ、ひるみもあったはずですのに、成り上がりたい一直線、に描きすぎなのです。
 で、この人が必然的にかかわらざるをえなかった政治の部分については、実におざなりでして、ローマ教皇権の否定、というイギリス史上の大事件が、いともあっさりと片付けられています。ここらへんは、王の描き方にも、粗雑なものがあります。
 とすれば、です。いっそうのこと、はっきりとアン・ブーリンは脇役において、スカーレット・ヨハンセンのメアリーを、主人公にすればよかったのではないか、と思うのです。
 ところが、これが中途半端なところで、メアリーはアンよりも先に王に愛され、男の子を産むのですが(史実としては子はなかった説の方が有力です)、産んでから後、いったいその男の子がどうなったのかさっぱり描かれませんし(男の子が生まれて王が無関心って、ありえんですわね)、最初の夫が死んだことさえはっきり出てこないまま、最後の方で二度目の結婚をします。
 これでは、いったいメアリーがなにを考えて生きているのか、さっぱりわからないではありませんか。

 

 この映画の趣旨としては、姉妹の葛藤が描きたかった、ということで、そこはまあ、そこそこ描けている、とは思います。しかし、それを重んじるあまりに事実をまげて、かえって人間が描けていない、という感じを受けますし、その「時代」にいたっては、まったく描けていないでしょう。おかげで、妙に平板な映画になってしまっているのです。
 アン・ブーリンに関していえば、フランスにいた期間がたった2ヶ月って、あまりにありえない話ですし、処刑の理由としてあげられた姦通の相手が実の兄弟のみ、というのも、複数との姦通がでっちあげられた(あるいは全部が全部でっちあげではなかったのかもしれませんが)ことは、よく知られた事実ですので、どんなものでしょうか。
 話の簡略化は、映画化ではさけられないことではあるのですが、簡略の仕方がまずいのです。

 とはいえ、スカーレット・ヨハンセンのメアリー・ブーリンが見られただけでも、1000円の値打ちはありました。DVDを買おうとまでは思いませんが。

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コメント (2)   この記事についてブログを書く
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2 コメント

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こんにちわ。 (michi)
2008-11-14 12:25:15
TBありがとうございました。
私からのTBが不調で申し訳ございません。

本作の宣伝、姉妹が王の愛を取り合うのが全面に押し出されて、
中身と違うな~といった感じでした。
恋愛、愛憎モノで売るのが一番ヒットするのでしょうか。。。
父親や叔父の策略は腹立たしく、
アンの運命は時代の悲劇だと思いました。
michiさま ようこそ (郎女)
2008-11-15 04:05:12
ご訪問、ありがとうございます。

なんか最近、私、あまり映画やドラマを誉めない、どころが、けなしてばかりいるようです(笑) こんなTBでは、ご迷惑かとも思ったのですが。

愛憎ものは愛憎もので、ちゃんと人間を描きこんでくれていれば、時代が描けてない、なぞと文句はいわないのですが……、なんだかひどくどっちつかずの、中途半端な感じがしまして。

歴史にそって見るならば、アンは時代に挑戦した人だと思うのです。当時は、身分からいえば、メアリーのように、王の愛妾に甘んじるのがあたりまえの感覚ですから、9年間も抵抗して、正式の結婚を勝ち取り、王妃となっては宗教改革側を援助した(反カトリックであった)、というのは、もちろん野心もあったのでしょうけれども、絶対権力者である王との相当な覚悟をもった戦いであって、時代の犠牲者という感じは、私はもってないんです。

あの叔父さんは、史実としては強固なカトリック支持者でしたから、姪が愛妾になるくらいならば、まだ許せたでしょうけれども、正式の結婚を望んだあげくに、教皇権否定になるような状況は、許せるものではなかったでしょうし、映画の描く「父親や叔父の策略」は、大部分が虚構ではないんでしょうか。
 当時はとても重要だった宗教、そして外交、政治をきっちり描いたのでは、あんまり一般受けする映画にならないでしょうから、現代人にわかりやすい部分、つまりは「出世のために親族をさしだし」といった部分のみを強調して、日本でいうならば大奥ドラマっぽく仕立てた、のだと思います。

まったくもって、私の個人的好み、なのですが、いっそうのこと、ソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」のように、「現代の普通の女の子がマリーだったら、こんな感じ」といったようなコンセプトでまとめてくれた方が、中途半端に、いいかげんな歴史感覚を出されるよりは、映画として評価できると思うのです。

とはいえ、まったく見所がなければ、感想も書かないわけでして、「もうちょっとこうしてくれていれば」という残念な思いが、批判になってしまったわけでして、ご寛恕ください。

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