杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・特別支援学校の生徒増加をどう見るか

2009-02-07 09:57:04 | Weblog
特別支援学校という言葉は、まだ、あまり聞き慣れない感じがします。
具体的には、これまで、盲学校(もうがっこう)、聾学校(ろうがっこう)、養護学校(ようごがっこう)と呼ばれた学校が、2007年4月1日より、「特別支援学校」となりました。

このような改編について文部科学省の説明によれば
「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもので、2007(平成19)年4月から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられ、すべての学校において、障害のある幼児児童生徒の支援をさらに充実していくとということです。

一般の学校と区別して特別支援学校があり、そこには、幼稚部、小学部、中学部、高等部、「高等部の専攻科」があり、入学資格(学齢など)はそれぞれ幼稚園、小学校、中学校、高等学校、「高等学校の専攻科」に準じています。
特別支援学校(盲・聾・養護学校)の在学幼児児童生徒数を見ると、知的障害者が大きく増加しているとうことです。
 また、障害が重いため通学できない子どもに対しては、教員が家庭、施設、病院などに出向いて指導する訪問教育を行っています。


 これと別に、一般の学校の中に、特別支援学級というものがおかれます。
障害の比較的軽い子どものために小・中学校に障害の種別ごとに置かれる少人数の学級(8人を上限)であり、知的障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱、弱視、難聴、言語障害、情緒障害の学級がある。かつての「特殊学級」です。

平成2006(平成18)年5月1日現在の特殊学級在籍者数は、小学校73,151人、中学校31,393人、合計104,544人(学校基本調査)

 病弱・身体虚弱の子どもためには、 院内学級という物もあります。学校教育法第75条の3の規定「前項に掲げる学校は、疾病により療養中の児童及び生徒に対して、 特別支援学級を設け、又は教員を派遣して、教育を行うことができる。」に基づいて病院内に設置される病弱・身体虚弱の特殊学級をいいます。
(以上文科省HP参照)

家族や親戚などに、障がいを持った方がいないとよく分からない分野だと思いますが、このように障がい特性に分けての教育を考えていくと、自分の性格、嗜好の偏りなども、障がいとあまり変わらないもののような気がしてきます。


 ところで、このような変化の中で、気になっているのが、「特別支援学校に来る知的障害児の数が増えている」ということです。これは、現場の先生から最初にうかがったことでしたが、文科省のHPにもそう書かれています。
少子化傾向の中でなぜでしょう。

その分析はまだされていないと聞いていますが、本当に知的障がいの子どもさんが増えているのか、これまで普通学校に行っていた子たちが特別支援学校に回されるようになってきたのか。後者だとしたら、それはなぜか。当事者基準か、周囲基準、政策か。


そのことに関連して、福祉の現場の方からうかがった話は
最近、特別支援学校に、これまでよりも知能の高い子どもがたくさん入って来るようになって、これまでにはなかった問題が起きている。
 それは、知能の高い障がい児・者が、それより知能の低いあるい従順な仲間から、お金(給料なども)を巻き上げる、サラ金から金を借りさせる、挙げ句の果てには、アダルト産業の勤めを強いるなどという、これまででは考えられない、当事者同士の関係ができているというのです。

そして、この強者弱者の関係にある強者もまた、実は背後でこれを操作する者に使われている可能性が(その手口の巧妙さから考えて)ある、というのです。

自分の持ち場からは、このような関係から起こってきた法律関係を一つ一つ解決しながら、社会の中の福祉、教育、医療、司法機関を利用・連携を取っていくしかないのですが、社会が常に連動して動いていくものであり、また、常に生き馬の目を抜くような力関係の中で営まれていくということを実感せざるを得ません。




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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは。 (bando)
2009-02-07 16:27:44
凄く大事なことだと思います。
もっとみんなで考えないといけないですよね。
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bandoさんに同感 ()
2009-02-07 18:55:45
取り組むと大変な問題ですが、でもきっと私たちの根元的な問題なんだと思います。
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予算削減? (ken)
2009-02-07 23:11:45
 特別支援学校・学級は、門戸を広げるようにみせながら、人員予算を削減していると言われていますが、実際はどうなのでしょうか。
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その理由はね。 (省港旗兵)
2009-02-08 00:20:27
>最近、特別支援学校に、これまでよりも知能の高い子どもがたくさん入って来るようになって、これまでにはなかった問題が起きている。

その理由は、従来障碍とされていなかった子供も障碍と認定されているからです。
日本の障碍者の区分は、身体、精神、知的という3つがありましたが、それに発達障碍が加わりました。
発達障碍には自閉症、アスペルガー症候群、LD、ADHDなどが含まれています。アスペルガー症候群は自閉症の一種ですが知能は平均よりはるかに高いがコミュニケーションの能力が先天的に無いという特徴があり、高偏差値の一流大学や、その大学院にはごろごろいます。杉浦先生も今の基準では発達障碍に認定されたかもしれませんね。
で、そういう児童は発達障碍の支援法ができた後ですら、療育手帳の制度が無いから知的障碍の分類に入れられているというわけです。

また、そういう発達障碍についての研究が発展してきたが故に、従来は健常児とされていた児童の障碍が発見・認定されているということもあります。
発達障碍児は団体行動が苦手だったりしていじめの対象になったりしますので、それはそれで良い配慮だと思います。
杉浦先生の「力関係」といった懸念は杞憂で、むしろ少子化で余力ができたのでより個々の児童にきめ細かい教育ができるようになったことを喜ぶべきだと思います。

それにしても、障碍の碍が常用漢字になってほしいものです。障害では語弊があるし、障がいなんて駐とん地みたいで不自然だし。
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実数はともかく (鉄甲機)
2009-02-09 00:19:39
割合としては増えてきているのかな。

>本当に知的障がいの子どもさんが増えているのか、

 出産年齢の高齢化によりダウン症の発症率が高まることは証明されています。医学の発達による低体重児(未熟児)の生存率向上などもあります。

 こっちはトンデモ論に入るかと思われますが、スタイルがよい=骨盤の未発達による出産事故。また肥満を気にする余り、妊娠時にも必要な栄養を取らない女性の増加なども言われています。

>これまで普通学校に行っていた子たちが特別支援学校に回されるようになってきたのか。

 一つは、省港旗兵さんがお書きのように発達障碍が認められたこと。
 今までは障碍と認められず、保護者の方々は育て方が悪かったのだろうかと御自分を責めていたのが、症状に名前が付いたことでかえって踏ん切りが付き、前向きに特別支援学校(学級)に来させることができるようになりました。
 また、人権意識の向上・法的整備により、いままで就学猶予・免除を余儀なくさせられていた重度障碍の子どもたちも学校にくるようになったことが考えられます。軽度障碍の子どもたちも支援学校ではなく、普通学校を選択することが多くなりましたね。

 確かに子どもたちのニーズに応じたきめ細かい教育が、以前よりはできるようにはなりましたが、卒業後の健全な社会生活を保障することはまだまだ。
 しかし、一足飛びに理想の結論に至ろうとするのではなく、一歩一歩地道に進んでいくことが大切ではないかと。

>kenさま

 もともと「特別支援教育」が提唱された時点から、今までの盲・聾・養護学校が「特別支援学校」に改称されて専門性が失われるのではないか、児童生徒の障碍の種類が増えても予算が増えないのではないか、予算削減が目的の改革ではないかなどと言われていましたので、その影響があるのではないかと思われます。
 特別支援教育は始まったばかりです。今のところあからさまな予算削減はないようですが、現場への指導なども含めて文科省の態度を見ていく必要があるでしょうね。
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ちょっとため息。 (kzm)
2009-02-26 18:27:58
 初めまして。捜し物の最中に寄り道させてもらいました。私は教育現場に身を置く者です。特別支援教育コーディネーターという仕事もしています。
 私としても、なんとなくの危惧が現実化したというのが感想です。
 先日、我が県の高等養護学校の合格発表がありました。その中で多くの子ども達が定数からあふれ、不合格の通知が出されました。重度の知的障害対象である我が校にも発表後に問い合わせが入っています。「知的には遅れがないのですが、入れるでしょうか?」「○○町(100km近く離れた町)からなのですが、町内にある○○養護学校が定員オーバーで…」など。行き場を失った子供たちの保護者たちの声を聞き、どうしてこのような事になっているのかとため息が出ます。
 私見としては上記の方々の意見と同じです。(推進する身でありながらの思いとして)この制度は、「こういう子ども達がいるので、あとは頑張って」という様な物です。もちろん、今までどこにも訴えられなかった苦しさが救われる点は大きく評価するべきです。しかし、「足りない」のです。人的にも予算的にも環境的にも。
 新しい枠組みにとまどい「足りなさ」に気づいた保護者や教師が取る行動は、「足りていそうな」制度(つまり旧来からの枠組み)に活路を見いだすことです。現場としても発達障害の診断があり、通常学級対象であるべき子ども達が特学に身を置いているケースにも数え切れない程接しています。
 我が県の特学の場合、実際に毎年増加している人数は、(仮に全員が発達障害の子ども達であったら)「通常学級の6.3%」と発表された発達障害の可能性のある子どもの中の、さらに1~2%に過ぎません。全員が特学を望むのであれば、この程度には収まらないでしょう。また、この流れはしばらく続くでしょう。(流れを断ち切る要素は何もないですから)単なるハレーションであれば良いのですが。
 たとえ数字としては少ない割合であっても、この問題は無視はできないはずです。我が県では特学在籍者が10年前の2倍の人数になっています。国も自治体もこの件に関しては静観しているように見えてしまうのですが。
 この制度の理念としては、障害のあるなしにかかわらず、個人の困難には手をさしのべ、共に学び生活することと理解していましたが、現実はまだまだ遠い道のりです。
日本政府は「障害者の権利条約」に署名をしながらも批准はまだまだのようですし。
ただ、私としてはどこに身を置いていたとしても子ども達に笑顔が見られるように、精気を失った現場教師の顔色が少しでも良くなるように「ぼちぼち」やっていくつもりですが…本当に微力です。
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