元厚生事務次官だったお二人宅に殺傷被害があった事件について、テレビでのゲスト出演者が、
「マスコミが厚生省・厚労省の批判、官僚の批判をするから、市民の刃が向けられた」旨の発言をされて気になりました。
そんなことを思っていると、23日の毎日新聞「時代の風」というコラムに精神科医が
「麻生総理の失言(「医師には社会的常識がかなり欠落してる人が多い」)」など、なぜこれほどまでに医療にまつわる「失言」が続くのだろうか。この文章が新聞に掲載されることを意識しつつ述べるなら、マスコミの偏向報道が最大の要因である。
と書いているのを読みました。
この視点はとても大きな問題を含むと思います。
まず、マスコミが偏向報道したのかの検証はたしかに必要でしょう。
でも、もっと大きな問題は、マスコミの報道によって国民が取った反応をどう評価すべきかということです。
つまり、偏向報道であろうとなかろうと
悪いことをした人の事実を報道したら、視聴者がその人に私的に制裁を加えるということ、それ自体が問題です。
マスコミの偏向報道ゆえに無辜(罪のない)の人が私的制裁を受けるのはいけないのではなく、真実悪い人に対しても私的制裁という反応にでることが許されない、と指摘すべきです。
報道は、すべてが正しくなければ行えないとすると、いつまでたっても報道機関は報道できません。その時々の状況で報道がなされ、その真偽が明らかになっていくものです。
視聴者はその過程を声や意見で批判を加え情報をただしていくべきだし、悪いことや悪いことを行った人には非難をすべきです。
報道を受け取る市民の反応の仕方に問題があることを、問題すり替えで、マスコミ報道の自制に追い込むような風潮は危険だと思うのです。
「マスコミが厚生省・厚労省の批判、官僚の批判をするから、市民の刃が向けられた」旨の発言をされて気になりました。
そんなことを思っていると、23日の毎日新聞「時代の風」というコラムに精神科医が
「麻生総理の失言(「医師には社会的常識がかなり欠落してる人が多い」)」など、なぜこれほどまでに医療にまつわる「失言」が続くのだろうか。この文章が新聞に掲載されることを意識しつつ述べるなら、マスコミの偏向報道が最大の要因である。
と書いているのを読みました。
この視点はとても大きな問題を含むと思います。
まず、マスコミが偏向報道したのかの検証はたしかに必要でしょう。
でも、もっと大きな問題は、マスコミの報道によって国民が取った反応をどう評価すべきかということです。
つまり、偏向報道であろうとなかろうと
悪いことをした人の事実を報道したら、視聴者がその人に私的に制裁を加えるということ、それ自体が問題です。
マスコミの偏向報道ゆえに無辜(罪のない)の人が私的制裁を受けるのはいけないのではなく、真実悪い人に対しても私的制裁という反応にでることが許されない、と指摘すべきです。
報道は、すべてが正しくなければ行えないとすると、いつまでたっても報道機関は報道できません。その時々の状況で報道がなされ、その真偽が明らかになっていくものです。
視聴者はその過程を声や意見で批判を加え情報をただしていくべきだし、悪いことや悪いことを行った人には非難をすべきです。
報道を受け取る市民の反応の仕方に問題があることを、問題すり替えで、マスコミ報道の自制に追い込むような風潮は危険だと思うのです。
それに、「制裁」の風潮を挙げるとすれば、大阪府知事でもある橋下徹氏が、山口県の母子殺人事件の被告を弁護した弁護士らに対し公共のテレビ番組上で懲戒請求を煽った行為に潜む「制裁」思想の背景とともに、その橋下氏を無批判に放映してきたテレビの出演者である「評論家」と自称する「ゲスト出演者」の態度も見ておかねばならないと思います。
職務の責任上、同事件を弁護する弁護士の仕事までターゲットにしてひどい言葉でけなし、事件の真相究明の活動まで無視して、ひいては冤罪のチェック機能さえ意に関せずの態度丸出しで、「とにかく(あんなひどいことをした被告人を)死刑にすれば良いのだ」と煽る姿勢が公共の場で語られる現象こそ、今回の「ゲスト」子の「制裁」姿勢と表裏一体のものです。そら恐ろしさを感じます。
そのように、事の真相を見極めようとせず、真実を探求し、被害者とか被告人に関わる将来の人生を社会的に立ち直すように周りが気持ちを寄せて「事件」に接しないで、極めて限定された「情報」だけで一つの「事件」センセーショナルに見て、それでいて感情任せに「制裁」ばかりを煽る「ゲスト」諸氏や評論家らの姿勢は、決して今の日本の風潮に良い結果を与えません。
それに、もし、厚生事務次官の殺傷事件で図らずも浮き上がってきた「ゲスト」子の姿勢を論評するならば、そういう「制裁」の風潮を煽っている「弁護士」が一人でも存在する事に、同業者としてどう思われますか?。
誤報はあっても仕方ないと思いますが、小泉(当時)首相に「悪口を書いても良いけど、嘘は書かないでくれ」とまで言われた恣意的な取材方法の方が問題です。また、その後の批判された時の対応がまた…。
KY珊瑚、侵略→進出、北朝鮮拉致、慰安婦取材、毒ガス写真などなど、誤りを批判されてもまず認めない。無かったことにする。責任転嫁をする。拡大解釈して正当化を図る。とても言葉を生業とする者の行いとは思えません。
杉浦さんも「自衛隊が活動している地域 が 非戦闘地域」で騙されたでしょう?
最近の閣僚「失言」や田母神論文など、嘘ではありませんが事の本質を明らかに外した記事を書いているような現実はどうでしょう。
年金問題にしても、厚労省社保庁を責めるのは当然としても、過去数十年の間記事に出来なかった自分たちに反省は無いのかと。また責めるだけで良いのかと。
>報道を受け取る市民の反応の仕方に問題があることを、問題すり替えで、マスコミ報道の自制に追い込むような風潮は危険だと思うのです。
その、市民が問題ある反応の仕方をするようになった責任の一端は、間違いなくマスコミにあります。
とにかく事件があれば良い。センセーショナルなものならなお良いと、火のないところに水煙、いや火をつければ手っ取り早いと偏向捏造扇動報道を続けてきた責任はあるはずです。
社会の木鐸・鑑であった新聞は、今や世間の耳目を集めるだけの半鐘・世間の興味を映すだけの鏡に成り果てました。
出来もしないし、する気もないなら「公正中立」の看板はさっさと下ろして、赤旗・聖教新聞並みにその立場を明確にして報道してほしいものですな。
思いっきり、ご自分のすばらしいご主張を展開できるじゃないですか。他人様のブログのコメントではもったいないです。そのときはお約束通り「浮くコメント」をさせていただきます。ただ、「鉄甲機」って一度に変換できないのよねぇ、、、、、