死刑判決について
このところ、死刑判決が増えています。また、死刑執行もここ数年増加しており、今年も既に4人が執行されています。
1993年(7人執行)
1994年(2人執行)
1995年(6人執行)
1996年(6人執行)
1997年(4人執行)
1998年(6人執行)
1999年(5人執行)
2000年(3人執行)
2001年(2人執行)
2002年(2人執行)
2003年(1人執行)
2004年(2人執行)
2005年(1人執行)
2006年(4人執行)
2007年(9人執行)
2008年(15人執行)
2009年(4人執行) (Wiki pediaから)
世界の趨勢が死刑の廃止に向かっていることからすると、逆行が進んでいることになります。
( 法律上、事実上の死刑廃止国の法律上、事実上の死刑廃止国の合計:138 存置国:59 ~ 2007アムネスティによる)
1 死刑にするか否かの判断基準について
被告人永山則夫の死刑判決の時にあげられた、いわゆる永山基準がこれまで目安になってきていました。たとえば、少し前の江東区の女性バラバラ殺人事件でも、死体の損壊行為自体は残虐なものでしたが、殺人の態様(特に殺害手段の執拗性・残虐性)については、刃物で一突きだったということで、その残虐性は低いものと判断され、死刑ではなく無期懲役でした。
◇永山基準
最高裁が83年7月、連続射殺事件の永山則夫元死刑囚への判決で示した。(1)事件の罪質(2)動機(3)態様(特に殺害手段の執拗=しつよう=性・残虐性)(4)結果の重大性(特に被害者数)(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)事件後の情状--を総合的に考慮し、責任が極めて重大でやむを得ない場合に死刑選択が許されるとした。
いわゆる「名古屋闇サイト殺人事件」といわれる、ネットで知り合っただけの3人の男性が、被害女性を拉致し殺害した事件の判決が出ました。その動機や、社会的影響は大きなものがありますが、被害者が1人で死刑判決が下せるかが焦点になっていました。判決は3人のうち2人に死刑、1人には無期懲役でした。
この点、永山基準にあたらないケースだろいうことができます。
ところでこの事件においては、自首による刑の減免も問題になっています。
被害者の母親が、会見で「3人とも死刑判決を望んでいた。納得できない」と涙を浮かべられ、死刑は「当然の刑だと受け止めている」。だが判決が川岸被告の自首を認めたことには「日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか」と語気を強め、「検事には控訴してもらいたい」と訴えた 、と報じられ、私もテレビでその場面を見ました。娘さんの無念とお母さんの悲しさを想像する時、「ごめんで許されることではないでしょ」という思いはを分かるような気がします。
「自首」というのは、
刑法 第42条 罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。
と規定されているもので、「この発覚する前」とは犯罪があったことが警察などに知られていない場合、あるいは、犯罪があったことは知られていても犯人が誰か分かっていない場合です。
このような場合に、「自分が犯人だ」と名乗り出て処分を受ける意思があることです。
この「刑を減軽することができる」というのは、裁判所が自己の判断で刑を軽くすることができる(任意的減軽)という意味ですが、これにより、刑を軽くする時には、軽くする仕方が決まっています。
刑法 第68条
法律上刑を減軽すべき1個又は2個以上の事由があるときは、次の例による。
1.死刑を減軽するときは、
無期の懲役若しくは禁錮又は10年以上の懲役若しくは 禁錮とする。
なぜ「自首の時に刑が軽くなるか」というと、犯罪の捜査を容易にする政策的理由および改悛による非難の減少に基づく、と説明されます。
この名古屋闇サイト殺人事件では、ひとりが自首したために、その者については無期懲役となりました。
罪を犯した者がごめんなさいと名乗り出て捜査に協力した時に、この行為者をどう扱うかと考える時に、侵害された法益だけを判断基準にすることがいいのか。
無視してはいけないことであり、被害者の受ける被害は取り返しのつかない大きなものであるわけですが、そのことからこれまで社会の中で積み上げてきた、刑法の理論をすべて否定してしまう風潮には気をつけないと、大きなものを失ってしまう恐れがあると危惧しています。
このところ、死刑判決が増えています。また、死刑執行もここ数年増加しており、今年も既に4人が執行されています。
1993年(7人執行)
1994年(2人執行)
1995年(6人執行)
1996年(6人執行)
1997年(4人執行)
1998年(6人執行)
1999年(5人執行)
2000年(3人執行)
2001年(2人執行)
2002年(2人執行)
2003年(1人執行)
2004年(2人執行)
2005年(1人執行)
2006年(4人執行)
2007年(9人執行)
2008年(15人執行)
2009年(4人執行) (Wiki pediaから)
世界の趨勢が死刑の廃止に向かっていることからすると、逆行が進んでいることになります。
( 法律上、事実上の死刑廃止国の法律上、事実上の死刑廃止国の合計:138 存置国:59 ~ 2007アムネスティによる)
1 死刑にするか否かの判断基準について
被告人永山則夫の死刑判決の時にあげられた、いわゆる永山基準がこれまで目安になってきていました。たとえば、少し前の江東区の女性バラバラ殺人事件でも、死体の損壊行為自体は残虐なものでしたが、殺人の態様(特に殺害手段の執拗性・残虐性)については、刃物で一突きだったということで、その残虐性は低いものと判断され、死刑ではなく無期懲役でした。
◇永山基準
最高裁が83年7月、連続射殺事件の永山則夫元死刑囚への判決で示した。(1)事件の罪質(2)動機(3)態様(特に殺害手段の執拗=しつよう=性・残虐性)(4)結果の重大性(特に被害者数)(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)事件後の情状--を総合的に考慮し、責任が極めて重大でやむを得ない場合に死刑選択が許されるとした。
いわゆる「名古屋闇サイト殺人事件」といわれる、ネットで知り合っただけの3人の男性が、被害女性を拉致し殺害した事件の判決が出ました。その動機や、社会的影響は大きなものがありますが、被害者が1人で死刑判決が下せるかが焦点になっていました。判決は3人のうち2人に死刑、1人には無期懲役でした。
この点、永山基準にあたらないケースだろいうことができます。
ところでこの事件においては、自首による刑の減免も問題になっています。
被害者の母親が、会見で「3人とも死刑判決を望んでいた。納得できない」と涙を浮かべられ、死刑は「当然の刑だと受け止めている」。だが判決が川岸被告の自首を認めたことには「日本の司法は、人を1人殺しても『ごめんなさい』と言って自首すれば自分の命は守れるのか」と語気を強め、「検事には控訴してもらいたい」と訴えた 、と報じられ、私もテレビでその場面を見ました。娘さんの無念とお母さんの悲しさを想像する時、「ごめんで許されることではないでしょ」という思いはを分かるような気がします。
「自首」というのは、
刑法 第42条 罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。
と規定されているもので、「この発覚する前」とは犯罪があったことが警察などに知られていない場合、あるいは、犯罪があったことは知られていても犯人が誰か分かっていない場合です。
このような場合に、「自分が犯人だ」と名乗り出て処分を受ける意思があることです。
この「刑を減軽することができる」というのは、裁判所が自己の判断で刑を軽くすることができる(任意的減軽)という意味ですが、これにより、刑を軽くする時には、軽くする仕方が決まっています。
刑法 第68条
法律上刑を減軽すべき1個又は2個以上の事由があるときは、次の例による。
1.死刑を減軽するときは、
無期の懲役若しくは禁錮又は10年以上の懲役若しくは 禁錮とする。
なぜ「自首の時に刑が軽くなるか」というと、犯罪の捜査を容易にする政策的理由および改悛による非難の減少に基づく、と説明されます。
この名古屋闇サイト殺人事件では、ひとりが自首したために、その者については無期懲役となりました。
罪を犯した者がごめんなさいと名乗り出て捜査に協力した時に、この行為者をどう扱うかと考える時に、侵害された法益だけを判断基準にすることがいいのか。
無視してはいけないことであり、被害者の受ける被害は取り返しのつかない大きなものであるわけですが、そのことからこれまで社会の中で積み上げてきた、刑法の理論をすべて否定してしまう風潮には気をつけないと、大きなものを失ってしまう恐れがあると危惧しています。
あくまで、軽減することが「できる」であって、「しなけれならない」ではない。
自首した被告は、公判中の態度も酷く、自身のブログで被害者を侮蔑していた。
それに、判決後には、「反省なんてしない」「バレなければ、何をしても良い」という趣旨の発言をしていたそうです。
やみサイトを立ち上げた、事実上の首謀者であり、全く反省していない被告が減刑されるべきではない。
自首は、Unknownさんのおっしゃるとおり、任意的であって、「することができる」です。
具体的な裁判所の量刑判断が妥当だったかどうかは、事案毎になります。
今回は、それが不適当だった、というご意見なのですね。なるほど、です。
判決では死刑の基準として裁判長は永山基準を
示し、死刑の選択はやもう得ないとしてます。
そして3被告に罪の優劣はないとしました。
裁判長の認識では永山基準を踏襲してますね。
(罪を犯した者がごめんなさいと名乗り出て捜査に協力した時に)これは一般論でしょうか?
この裁判で川岸被告は自首した理由を(神田被告が気にいらないから)(面倒くさくなったから)そして当初報道されていた死刑が怖いからは明確に否定しました。死刑求刑の後の最終弁論で初めて謝罪の言葉を述べたのです。
その点判決では自首した理由を川岸被告の特異な性格によるとしてます。報道によれば判決の一時間後に《ばれなければいい》《被害者が運が悪かっただけ)と答えています。
《自身のブログで被害者を侮蔑していた。)
これは神田被告です。裁判の後半の殆ど傍聴しましたが3被告とも非常に態度が悪かったのですが、特に川岸被告は酷かったですよ。
『お気の毒に』と答えそれでは反省が見られないと窘められると
『ご愁傷さまでは腹たつでしょう。遺族が今ここで刺したいなら刺してください。逃げませんから』さすがに裁判長から居直ってると注意されていました。
そして殺害の直接的なきっかけは、川岸被告の強姦行為です(未遂です)遺族は裁判を傍聴してました。遺族が極刑を望むのは無理ないですね。
ですから、一般論としてしか書いていない私の記載には、事実が違う、ということになるわけですね。
裁判長がすべてを見ながらも、刑を減じたことに対してのお母さんのお言葉だった、ということが分かりました。
コメントをどうもありがとうございました。