江戸時代、特に3代将軍家光の治世には、キリスト教に対する弾圧は過酷を極めていました。
キリスト教徒、いわゆる「キリシタン」を改宗させるため、かなり残酷な拷問が行われた。その中の一つに「俵責め」と云われるものがあります。
人間を俵に押し込め、首だけを出させてこれを蹴り飛ばし、転がし、あるいは鞭を打つなどの責め苦を与えるものです。これに耐えられず俵から転がり出て棄教してしまう。
キリシタンであることを棄てた者たちを「転びキリシタン」というのは、この拷問からきている、とも云われているようです。
人間というものは、一定の条件さえそろえば、案外平気で、他人に対して残酷な仕打ちができるもの、なのかもしれないね。
それは日本人だからとかそうでないとか、〇〇人だからということではなく、人間すべて、
あなたにも、私にも
すべての人間に、ある意味「平等」に与えられた資質なのだと、私は思う。
それを表に出すも出さないも、自分次第。
さて、
キリスト教を棄教した者のなかには、日本にキリスト教を布教するためにやってきた、ポルトガル人などの外国人宣教師もおりました。このものたちのことは特に、「転びバテレン」と呼んでいたようです。
この転びバテレンのなかで有名な人物に、クリストヴァン・フェレイラという人物がおります。
日本名沢野忠庵。棄教後は宗門改方の顧問となり、隠れキリシタンを摘発する側に回った。後にはキリスト教を否定する内容の書物を出版もしている人物ですが、その胸の内は、
本当はどのような想いだったのでしょうね。
SF作家・平井和正の小説『新・幻魔大戦』ではクリストファー・フェレイラという名前で登場し、キリスト教を憎み、悪魔主義者となって黒ミサなどの黒魔術を使う人物として描かれておりますが、果たして本物はどうであったのか。
遠藤周作氏の小説『沈黙』では、また違う視点から描かれているようですが、こちらは実際にお読みになった方がよろしいでしょう。この作品はマーティン・スコセッシ監督により数年前に映画化もされております。興味がおありの方は御覧になればよろしい。
自分の命とも思い、信じていたものを棄て、それを裏切る形で、まったく逆のことをしなければならない。その心の内とはどのようなものか、私なぞには到底想像もつきませんが、
なにやらとても、
やるせない、気が致します。

『眠狂四郎』
転びバテレンが黒ミサの儀式において大目付の娘に身籠らせた子。
それが、眠狂四郎。
人の愛も情も棄て、およそあらゆる人の幸せに背を向けて生きる男。
それが、眠狂四郎。
柴田錬三郎原作による、ニヒリズムにダンディズム、エロティシズムが交錯するハードボイルド時代劇。
それが、『眠狂四郎』
現在、時代劇専門チャンネルにおいて、懐かしの田村正和版『眠狂四郎』が絶賛放映中です。
眠狂四郎といえば市川雷蔵というのが一般的かも知れませんが、私が生まれて初めてみた眠狂四郎は田村正和が演じているドラマでした。ですから私にとっては正和版の眠狂四郎の方が馴染み深い。
田村正和の妖艶といって良い色気には、さすがの本家・雷蔵先生も敵わないと思います。田村正和版『眠狂四郎』良いですよ~。
その「円月殺法」に魅せられるが良い。