サンダーフォースVI(プレイステーション2)
2009年2月13日掲載、これは最高に恥ずかしいけど、いろいろと大丈夫かな?
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サンダーフォースと私
参考:
サンダーフォースV パーフェクトシステム
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非常に恥ずかしかったのです。
というのも、プレステの「サンダーフォースV」の私の投稿文の中で、「サンダーフォースVI」に対して「シューティング復活の第1弾、皆で盛り上げましょう!」などと書いてしまったからです。恥ずっ!
発売前から「VI」について不穏な空気が漂っていたのですが、発売後は集団リンチによる公開処刑同然でした。私も多くのプレイヤーと同様に相当ながっかり感を味わいました。散々語られてきたことですが、以下にまとめてみましょう。
まず最大の違和感は、製作者の趣味によって西夏語とモンゴル語が用いられたことです。理由も不明だし、これではサンダーフォースの私物化です。また、演出などが「V」とほとんど同じだった点も満場一致でがっかりでした。
音楽に関して言えば、一つの楽曲としてはいいものの、サンダーフォース以外のシューティングとしか感じられませんでした。特に最終面のトルコ行進曲風のBGMには意表をつかれました。昔「なるほど・ザ・ワールド」でこういう音楽が流れていたのを思い出しましたよ。
エンディングは何種類かあるのですが、低難易度でクリアすると「V」の悪質なパロディのようなバッドエンディングが流れます。これは笑うところなのでしょうか?
この時点で中古ショップに本作を売りに奔走したプレイヤーも多いでしょう。私は定価で買ったこともあって、「なんか褒めるところないかなあ」とプレイを続けていたのです。
すると、第2の恥ずかしさがこみ上げてきました。
上の文章では「演出・音楽・エンディング」ばかりを批判しています。ですが、そもそも私は「V」の投稿文で「演出・音楽・エンディングに酔えるという理由だけで人様にゲームをオススメしたりはしません」と書いたではありませんか。これを逆に言えば「演出・音楽・エンディングに納得がいかないという理由だけで人様にオススメできないとは言えません」ということです。自分が書いた文章には責任を持たねばなりません。
ではゲームとしてどうなのかと冷静に判断すると、前作のようにフリーレンジだけでなく、難易度が低いうちから武器の選択が必要であり、前作よりも操作の楽しみは大きいと言えるでしょう。
さらに、低い難易度をクリアしているうちに攻略パターンが最適化され、高い難易度に挑戦しても対応できるために「上達している!」と実感できるのです。落ち着いて攻略すれば、多くの人が最高難易度をノーミスでクリアできそうです。1プレイも30分程度なので、つい連続して何度もクリアしてしまいます。ストレスを軽減しつつ挑戦意欲を持続させるという調整はお見事!
じっくり遊ぶと、ゲームとしての確かな作りが理解できます。その点に関しては前作よりもわかりやすいかもしれません。他にもタイムアタックやネオモードなども攻略のし甲斐があります。ハイスコアの追求も例によって熱いです。
そしてさらにプレイを続けていると、「そういえば西夏は13世紀にモンゴル(元)によって滅ぼされたのだったな、なにやら暗示的だ」とか、「隠し機体で最終面に進んでも、トルコ行進曲が流れないので寂しい」とか、「オーン・ファウストと前作のガーディアンが同等の存在ならば、前作のパロディ的なエンディングも必然だろう」とか、「演出・音楽・エンディング」に関しても楽しめるようになりました。
こうして私は本作を長いこと楽しくプレイしています。この文章が本作を一度手放した人が再び購入するきっかけにでもなれば幸いです。シューティングの復活の機会を、それを望んだプレイヤー自身がつぶしてはならないのですから! (また恥ずいこと書いてるな…)