セルゲイ・プロコフィエフ:
・ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 作品10
・ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16
・ピアノ協奏曲第4番 変ロ長調 作品53「左手のための」
・ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26
・ピアノ協奏曲第5番 ト長調 作品55
ピアノ:ヴラディーミル・アシュケナージ
指揮:アンドレ・プレヴィン
ロンドン交響楽団
ポリドール: POCL-3715/6
私は協奏曲というジャンルが苦手です。実は聴き方がよくわからないのです。協奏曲は独奏者のテクニックに音楽性の多くを負っています。もちろんテクニックとは指さばきという意味だけではなく、音楽の分析力だとか表現力も含まれるでしょう。そして独奏楽器とオーケストラの掛け合いの妙とか、独奏楽器の持ち味を活かした演奏とかが協奏曲の聴きどころになるでしょう。そうなると、独奏楽器に対するある程度の知識や、身近で演奏を多く聴いた体験がないと十分に曲の素晴らしさが十分にわからないのではないかという気がします。協奏曲に多いのはピアノとヴァイオリンですが、私は両方ともできないし、家庭内に楽器もありません。私が理解できないのも不思議ではないでしょう。
などと書いてきましたが、上記のようなことを考える必要は全くないということはわかってはいます。聞こえてきた音楽に素直に反応すればいいのでしょう。いい曲だ、楽しい曲だと私が感じる協奏曲も少なからずあるわけですから。
ところが、私が何度聴いてもがちゃがちゃしていて何が何だかわからないのがこのプロコフィエフのピアノ協奏曲です。実際にこのディスクのライナーノーツから、少し引用してみましょう。
「プロコフィエフのピアノ協奏曲全曲演奏というのは、ピアニストにとって苦行に近いものがあろう」
「超絶的なテクニックを要求するわりには音楽内容が今一つ冴えない」(第4番、第5番)
「『狂人のしわざ』『まるでアクロバット』と酷評」(第1番)
「同席した画家が『何という猛獣だろう』と評した」(第2番)
「余りに高度なピアノ技巧であったため演奏者に拒否されてしまい、お蔵入りとなってしまった」(第4番)
「構成や技法の点でやや充実感に欠けているのは否めない。」(第4番)
「初演の準備をしていた作曲者みずからピアノ・パートを覚えるのが一苦労だともらしているほどだった」(第5番)
第1番や第2番については必ずしも否定的とは言えないのですが、第4番や第5番はひどい書かれようです。難しいだけで聴き所が無いと言われているに等しいです。私の協奏曲恐怖症がまた悪化しそうです。聴いてみると確かにその通りで、第1番は勢いはあるのですが、どうにも作りかけの料理のような音楽です。それでも第2番や第3番はエキサイティングで、名曲と言われるのは実感できます(がちゃがちゃしてはいますが)。第4番と第5番は、これらは年末の大掃除か何かでしょうか?
プロコフィエフの音楽には企画倒れや練り込み不足の要素がそもそも多く、そういう異様な強引さと微妙なアカデミズムとのブレンドが特徴です。大作曲家のくせにお茶目なおじさんです。でも作曲者のこういう側面と協奏曲の性質って相性があまりよくないような気がします。複雑さを追求し、技巧を要求したものになりそうだから。協奏曲はやっぱり単純でスカッとするのがいいのかもしれません。
名曲の第3番の第1楽章の動画。ピアノ演奏はアルゲリッチ。こういう現代的な音楽はアルゲリッチにぴったり。この曲は演奏効果も高くエキサイティングで、プロコフィエフの特徴がいい方に振れた作品でしょう。そういえばこの曲はナクソスのCD「魔法革命プロコフィエフ ~ヒロイン風クラシック名曲集」にも収録されているようで、買ってみたい気もします。
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