荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『アジャストメント』 ジョージ・ノルフィ

2011-06-09 00:01:21 | 映画
 『オーシャンズ12』『ボーン・アルティメイタム』の脚本家でジョージ・ノルフィという人の監督デビュー作『アジャストメント』。マット・デイモンは、イーストウッド門下で哀愁ただよう霊能者の役に挑んでみたり、コーエン兄弟の西部劇でテキサス・レンジャーに扮してみたりと、最近は目が離せない活躍ぶりだけれど、今回は「ボーン」シリーズ一派の仕事ということで、オーソドックスなサスペンス・アクションのヒーローという役どころ。堂に入ったものである。
 ただし、映画そのものは私にはつまらなかった。
 フィリップ・K・ディックの物語は、良し悪しで言えば、そりゃあいいだろうが、いまの私には必要を感じない。一般市民の運命を精確に監視し、介入する高度管理社会において、はたして愛は成立しうるか、というテーマ設定は、現在の世界が実際に閉塞しきった管理社会となっている以上、一見アクチュアルに思える。だが、画面をずっと眺めてみても、どうもちぐはぐなのだ。管理されて生きているわれわれは、管理されることを拒絶してアヴァンチュールをつらぬく主人公を応援すべきなのに、あまり主人公に羨ましさを感じない。むかしのSF映画へのトリビュートに見えてしまうのだ。かといって、『ナイト&デイ』みたいなことを期待してみても、それはそれで相当がっかりすると思う。

 今夜は渋谷に出かけて、アート・リンゼイと大友良英のデュオ・ライヴを聴いた。ふたりともあまり体力はなさそうに見えるけど、出す音は剛胆。ところどころで、ぐっと落涙をこらえた(大袈裟じゃないです)。必要とする音だったということだろう。
 演奏が終わったあとは、会場からすぐの「麗郷」のカウンターに腰かけ、気軽に「大人の麦茶」を一杯。しじみ、ヘチマと白魚の炒め、それからご飯一膳も。


『アジャストメント』は、TOHOシネマズ日劇ほか全国で公開中
http://adjustment-movie.jp/

『適切な距離』 大江崇允

2011-06-07 00:32:26 | 映画
 今年の大阪CO2映画祭で大阪市長賞(最高賞)を獲った大江崇允の『適切な距離』が、《映芸シネマテーク》にて東京初上映されたので、見に行ってきた。どうせロメールあたりの上っ面だけの模倣だろうとも思われそうなタイトルではあるが、実際には、じつに骨太で面白い作品である。関西某大学の演劇科を卒業間近の主人公・ユウジ(内村遥)が、小学生時代につけていた日記を再開しようとして、同時に、不仲な母親がつけている日記を発見する。母の日記のなかでは、ユウジは死んだことになっており、その代わりに死んだはずの弟レイジが、母の理想に近い孝行息子として暮らしている。
 母子の日記はそれぞれ矛盾したまま平行線を辿り続け、その一方で、互いが互いの日記を盗み見していることは明らかである。しかし盗み見のシーンがまったくない、というのがいい。あり得たかもしれないもうひとつの現実が、いまこの現実を浸食していることに主人公は気づくけれども、それは延々と回収しきれないものである。上映後のトークで監督が、おそらくそのような交錯の現象を「束としての現実」というふうに述べながら、薪の束を胸でどっさりと抱える仕草をしたのが、非常に印象的だった。

 私が現在読んでいる本で、400ページ超ある上に注釈も詳しいためなかなか読み終わらないスーザン・ソンタグの新著『私は生まれなおしている 日記とノート1947-1963』はまさに、彼女の息子であるデイヴィッド・リーフが編者として、亡き母の青春時代の日記を整理し、出版にこぎ着けたものである。年若い才女がひそかに書き綴った赤裸々な告白や、名声への渇望、セックスへの欲望を、こうして死後に公表するにあたり、息子が必然的に受ける傷が、この本の潜在的な主題とさえなっている。また同時に、私たち読み手は、この編者が公平さを欠く検閲官として、本当には読まれたくない箇所を削除しているのではないかという疑念を拭うことができない、という点をも主題として取りこんでいるだろう。
 ソンタグは本書のなかで、日記というものはいずれ家族や恋人に盗み見される運命にあり、また潜在意識的には、盗み見されることを前提としたテクストなのかもしれない、と推測している。この『適切な距離』は、これと同種の意識の潜在的な断層を覗き見ようとした、スリリングでイヤらしい欲望の発露なのである。

P.S.
上映会場が地元の人形町であったという気安さも手伝って、主催スタッフ諸氏とついつい朝7時まで飲んでしまった。この街は酒が旨いから、仕方がないということにしておこう。元来は、夕刻早くから杯を傾け始め、遅くなる前にさっと切り上げる品のいい都会であって、朝までくだを巻く街ではないのだが。


大阪CO2映画祭の受賞各作品は、7月下旬より、ユーロスペース(東京・渋谷円山町)にて巡回上映を予定
http://co2ex.org/

初夏の両国広小路にて、そっと目を閉じると、瞼の裏に…

2011-06-05 01:59:06 | 身辺雑記
 青山真治のすばらしい最新作『東京公園』がまもなく公開されるが、その前に加藤泰の最高傑作のひとつ『瞼の母』(1962)を思い出しておきたいものである。
 私は今夜、呑んだ帰りに、ある1枚の写真を写メしてきた。これがどこかお分かりになるだろうか。ここがどこかというと、両国広小路である。いわゆる国技館やシアターχ、回向院のある本所・両国ではなく、両国橋を渡った対岸、日本橋両国である。現在の住所は東日本橋二丁目。橋の東側(本所)が上総国、西側(東日本橋二丁目)が武蔵国・江戸であって、両方の国にまたがっているから「両国」という町名になったのだ。

 加藤泰の作品のなかで、番場の忠太郎(中村錦之助)が金町の半次郎(松方弘樹)と別れたあと、最初に江戸に入ったのが、この両国広小路だった。ラストに会う実の母親(木暮実千代)が経営する料亭「水熊」は柳橋だから、数十メーターしか離れていない。この両国広小路で、盲目の老婆(浪花千栄子)が三味線を弾いている。浪花千栄子の背中を3/4斜めの位置からのみ見せきる、あの圧倒されるしかない1シーン1カットが現出される場だ。
 この場所に私は立っていて、中村錦之助の「名は?」「子は?」と訪ねてまわる声が、耳にこだまする。映画では雪がしんとやんで、あたりは真っ白に化粧されていた。そしていまは、初夏の湿気、そして放射能の粒子がこの両国広小路を舞っている…。


『瞼の母』はシネマヴェーラ(東京・渋谷円山町)の《加藤泰傑作選》にて数度上映
http://www.cinemavera.com/

『下女』 キム・ギヨン

2011-06-03 01:12:34 | 映画
 アテネ・フランセ文化センターにて、キム・ギヨン(金綺泳)の『下女』(1960)をやっと見ることができた。なるほどこれは確かに阿鼻叫喚であり、生ける地獄であり、息づまるドロドロとした心理劇である。なぜ事態がこんなに悪化の一途を辿ってしまうのか、なぜここの人たちはこんな行き過ぎた考え方をしてしまうのか。なんとも看過できない錯誤と錯乱の連続である。
 この沈鬱な韓国映画の舞台となるのは、2セットのみ。工場(何を作っているのかはよくわからない)と、そこの女工たちに課外活動としてコーラスを教えているきまじめな音楽教師の自宅。これだけである。あとはソウル駅のプラットフォームくらいか。世界があまりにも偏在的に過ぎる。
 窮地に陥った主人公が、その窮地から逃れるために唯一おこないうるアクションは、単に、おそるべき性悪な下女(家政婦)の鼻先でピシャリと扉を閉めることのみなのだ。別の部屋では、彼の長女と長男が、この下女の魔の手から無防備な態勢にあるというのに。そして、キッチンの戸棚には、いつも殺鼠剤の小瓶が置いてあって、誰がいつこれを使用してもおかしくはない状況が放置されているというのに。
 見終わったいまも、不快なえぐみが口の奥に残っている感じだ。キム・ギドクの弟子が作って、今年になって日本公開された『ビー・デビル』なんていうのは、こけおどし描写でショックを与えるけれど、『下女』のえぐみにくらべたら、単なるアトラクションに過ぎない。


アテネ・フランセ文化センター(東京・神田駿河台)にて開催中の《映画の授業》内で上映
http://www.athenee.net/culturalcenter/

ベルリン時代のチェリビダッケ

2011-06-02 00:05:17 | 音楽・音響
 独auditeレーベルからリリースされたばかりの、“まぼろしの巨匠” セルジュ・チェリビダッケの3枚組を聴き始めたところなのだけれど、既知の曲については意外とテンポが遅くない。初期はそれほど極端でもなかったようだ。本作は、1948年から1957年のあいだにライヴとセッションで収録された全音源を集めたもので、録音嫌いのチェリビダッケのベルリン・フィルは、これで全部ということだろう。

 ナチス協力を問責され、謹慎となったフルトヴェングラーの代役として、戦後のベルリン・フィル復興に尽力するとともに、フルトヴェングラーの「非ナチス化裁判」で巨匠の名誉回復のために奔走しながら、団員たちをエネルギッシュに煽動するルーマニア青年の勇姿を、この音からはっきりと思い浮かべることができる(フルトヴェングラーに代わってベルリンの主席指揮者となったのは、まだ33歳の時)。
 ようするにチェリビダッケは、私に言わせれば「マリア・ブラウン世代」だ。フルトヴェングラーが無事に復帰をはたすと、貢献者のはずの若造は逆に、その厳しすぎる指導と、鬼才気どりのパフォーマンスが嫌われてベルリンと衝突し、離別した。マリア・ブラウンのように馬車馬のごとくがんばった戦後混乱期の音が、このCDなのだろう。生意気な若造が去ったあとは、カラヤン的な戦後(「金ぴかオケ」と揶揄されながらも人気を博す)がやってくる。
 ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』とラヴェル『ラプソディ・エスパニョール』という、彼らしい2つの狂詩曲、それからナチ政権下では演奏禁止だったヒンデミットやゲンツマー、あるいはチェリビダッケ自身の師匠であり、ナチスに弾圧された表現主義者の生き残りハインツ・ティーセンによる『ハムレット組曲』『ザランボー舞踊曲』など、当時としてはどれほど異端的な選曲だったのだろうか。