中村登の『いたづら』(1959)を見たら、これが思いの外よかった。よかった点の大部分はひょっとすると、志賀直哉の原作短編のせいだという気がしないでもないが、脚本、撮影、演技が三位一体となって、なんとも言えず悲喜劇的に、成就しない2つの恋の成り行きを跡づける。
高橋貞二は、中村登のものが一番いいと思う。もしかすると、有馬稲子もそうだ。お調子者で惚れっぽい英語先生の高橋貞二のもとに赤紙が届く。出征前夜の壮行会で、年配の殿方が寄せ書きに筆をとった「君去春山誰共遊(君去らば春山、誰とともに遊ばん)」という惜別の詩句に、私は泣けて泣けて。
その晩はロマンティックな小事件がもろもろあって、翌朝、駅のプラットフォームで高橋を見送る一同がそれぞれ身勝手な人間関係の理解をもとに、ちぐはぐな視線を交錯させながら、別れを惜しむラストのシーンとなる。これは、出発する列車を横移動でとらえる長岡博之のすばらしいカメラで、滑稽さと真心がない交ぜとなっていた。
高橋貞二は、中村登のものが一番いいと思う。もしかすると、有馬稲子もそうだ。お調子者で惚れっぽい英語先生の高橋貞二のもとに赤紙が届く。出征前夜の壮行会で、年配の殿方が寄せ書きに筆をとった「君去春山誰共遊(君去らば春山、誰とともに遊ばん)」という惜別の詩句に、私は泣けて泣けて。
その晩はロマンティックな小事件がもろもろあって、翌朝、駅のプラットフォームで高橋を見送る一同がそれぞれ身勝手な人間関係の理解をもとに、ちぐはぐな視線を交錯させながら、別れを惜しむラストのシーンとなる。これは、出発する列車を横移動でとらえる長岡博之のすばらしいカメラで、滑稽さと真心がない交ぜとなっていた。