荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『いたづら』 中村登

2011-06-21 02:31:00 | 映画
 中村登の『いたづら』(1959)を見たら、これが思いの外よかった。よかった点の大部分はひょっとすると、志賀直哉の原作短編のせいだという気がしないでもないが、脚本、撮影、演技が三位一体となって、なんとも言えず悲喜劇的に、成就しない2つの恋の成り行きを跡づける。
 高橋貞二は、中村登のものが一番いいと思う。もしかすると、有馬稲子もそうだ。お調子者で惚れっぽい英語先生の高橋貞二のもとに赤紙が届く。出征前夜の壮行会で、年配の殿方が寄せ書きに筆をとった「君去春山誰共遊(君去らば春山、誰とともに遊ばん)」という惜別の詩句に、私は泣けて泣けて。
 その晩はロマンティックな小事件がもろもろあって、翌朝、駅のプラットフォームで高橋を見送る一同がそれぞれ身勝手な人間関係の理解をもとに、ちぐはぐな視線を交錯させながら、別れを惜しむラストのシーンとなる。これは、出発する列車を横移動でとらえる長岡博之のすばらしいカメラで、滑稽さと真心がない交ぜとなっていた。

2011年の写楽

2011-06-17 01:36:45 | アート
 東博の《写楽》会期最終日に滑りこむ。当然のこと、大変な入場者数で、他人の後頭部と後頭部のわずかな隙間から作品をかろうじて覗きこむかたちとなったが、だからといって、こうしたお祭り騒ぎに対していちいち気分を害したりするのは、いかにも高踏的に過ぎる。かく言う私も、この大群衆の1人なのだから。
 1794年5月から翌年2月のわずか10ヶ月間しか活動期間を持たず、その後はプツリと消息を絶ってしまったこの「謎の絵師」は、人々の好奇心を大いに掻きたて、その正体を推理する解釈本、研究、ドラマなどが量産されたことは、周知のことである。好き嫌いでいったら、写楽のデフォルメを駆使した洒脱な風刺精神は大好きだ。とはいえ、今回参考展示されていた喜多川歌麿などと並べてしまうと、かなり見劣りしてしまうのが、正直なところ。

 ただし、ここでどうしても強調しておきたいのは、そうした知的好奇心の発生うんぬんではなくて、「大震災以後」を生きていくために、東洲斎写楽を改めて見直すという行為が、ぜひとも必要に思われたということである。そもそもこの特別展は、大震災が起きなければ、4月5日から1ヶ月半の会期でおこなわれる予定だった。したがって写楽は、2011年の東日本大震災そして福島原発事故とともに記憶されなければならない作家となってしまったのだ。「みそぎ」とは決してなり得ない。しかし再出発に際して、写楽からまた始めなければならない。

『マチューの受難』 グザヴィエ・ボーヴォワ

2011-06-15 03:50:03 | 映画
 『マチューの受難』は、今年に入って最新作『神々と男たち』が日本公開されたグザヴィエ・ボーヴォワの2000年の作品である。主人公の名前マテュー(Matthieu)は、十二使徒のひとりマタイのフランス語形。ドイツ語ならマテウス、イタリア語ならマッテオ、英語ならマシューとなる。それで、冒頭およびラストシーンで、J・S・バッハの『マタイ受難曲』(1727)が大々的にかかって、スクリーンを強引に活気づけることになる。
 ただし、作品の小ささとバッハの大作の荘厳さが、いかにも不釣り合いなのだ。ひょっとすると、これはこの監督特有の茶目っ気なのだろうか。ほかの作品においてもジョン・ケール、あるいはチャイコフスキーなどを活用して、荘厳な楽曲で不釣り合いなまでに盛り上げていたが、これはそういう趣味かもしれない。

 マテュー(ブノワ・マジメル)は、父を自殺に追い込まれた恨みを晴らすために、勤務先の社長夫人(ナタリー・バイ)をカジノで誘惑する。ノルマンディ地方ル・アーヴル郊外の幽玄たる大自然を背景に、危険なアヴァンチュールが展開する。展開はするのだが、悲しいかな、彼はアラン・ドロンではない。たとえば全盛期のドロンなら、このような、有閑マダムへの悪意に満ちた誘惑のワナを嬉々として演じきり、あまつさえその冷淡な媚態によって、どこまでも妖しく輝いていってしまうだろう。
 しかし、わがマテューはナイーヴに怖じ気づき、このセクシャルな労使紛争は、不良学生の喧嘩のようなチョーパンで決着がついてしまう。結局のところ彼は、そして私たちも、ドロンとはなりえない。愛(パッション)によって滅ぶことも、滅ぼすこともできない。そういう矮小さこそ現代の受難劇(パッション)だと、ボーヴォワは言うのだろうか。


東京国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)にて、6/18(土)にも上映あり
http://www.momat.go.jp/FC/

デヴィッド・マメット 作『グレンギャリー・グレン・ロス』(演出 青山真治)

2011-06-14 02:47:35 | 演劇
 アメリカ映画への忠誠と畏怖を語る日本の映画作家は掃いて捨てるほどおり、その様相は免罪符のごとしであるが、実作の場でその葛藤と面と向かって相対してきた本当に数少ない映画作家のひとりが、青山真治だろう。彼のこれまでのすべての活動が〈ロスト・イン・ハリウッド〉そのものだったと言って過言ではない。
 青山の初舞台演出作『グレンギャリー・グレン・ロス』は、デヴィッド・マメットの1984年の戯曲。ジェームズ・フォーリーが監督した1992年の映画版(邦題『摩天楼を夢みて』)は、邦題が示すようにニューヨークを舞台としていたが(私は未見)、今回の上演では、マメットの本拠地シカゴの不動産会社が舞台となっている。古びたレンガ造りの雑居ビル、高架鉄道のけたたましい通過音など、シカゴの雰囲気を盛り上げる。青山のキャリアで最もストレートに、アメリカ映画に倣った作品ではないだろうか。

 前半の中国料理店での3場、それから後半は翌朝の不動産事務所。登場人物たちのことごとくは過大なストレスを抱え、爆発寸前だ。あたかも、鬱屈した都市のストレスを描き続けた1950年代の映画作家たち(ニコラス・レイ、エイブラハム・ポロンスキー、ロバート・アルドリッチ……枚挙に暇がない)が乗り移ったかのような、にがくにがく果てしないディスコミュニケーションの2日間。
 だから最後まで人物たちの視線はまともに交わらないし、言葉はだれにも十全に受け取られることはない。そしてあの、火刑台への階段にも似た中二階のしつらえが、強烈な不快さを生み出している。


P.S.
中国料理店の場面は、芝居のおよそ半分を占めるほど長いけれども、登場人物たちは、タランティーノ映画のごとく言い争ってばかりで、ほとんど料理らしい料理を食べていない。これが私に異様な渇望感を募らせた。ただし品川区というところは、食に関しては不毛の地であることは、くわしく知っている。まともなものにありつくには、五反田もしくは芝あたりにまで出なければならない。結局、日本橋に戻ってからゆっくりと旨い中国料理をたらふく食べ、溜飲を下げた。


天王洲 銀河劇場(東京・東品川)で6/19まで上演中
http://www.gingeki.jp/

ゲルハルト・リヒターとサイ・トゥオンブリー 二人展

2011-06-11 22:55:49 | アート
 横浜で非常勤の講義をおこなったあと(映像論)、改革プランの実行中で多忙を極める梅本洋一氏と昼食。そして帰京後は、六本木・ハリウッドビューティ専門学校並びのワコウ・ワークス・オブ・アートにて、ゲルハルト・リヒターとサイ・トゥオンブリーの二人展を見る。
 ガラス板の裏側にエナメル塗料をべったりと塗りつけた色彩の氾濫(リヒター)。そして、チューリップの花びらをマクロ撮影でとらえたピンぼけのドライ・プリント(トゥオンブリー)。トゥオンブリーといえば、3年前、日差しの鋭い真夏のマドリーのプラド美術館にて、ヴェネツィア・ビエンナーレの金獅子賞受賞作《LEPANTO(レパント海戦)》の連作(2001)をこの目に焼き付けた感激が、にわかに甦った。表面にとどまることの苛酷さと相対するために、リヒターとトゥオンブリーを今後も見続けていこう。
 ふと、この二人展を凝視しているうちに、大震災の直前、上州・高崎へ岡本健彦の回顧展を見に行ったことを思い出した。アクリルに塗り込められた色彩のアンサンブル、そして「やまと絵」の現代的な翻案。温かみと涼しげな風を感じさせる岡本の作品群と、今秋に再会できることを楽しみにしたい。


ワコウ・ワークス・オブ・アート
http://www.wako-art.jp/