荻野洋一 映画等覚書ブログ

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S・カンドウ 著『永遠の傑作』

2011-09-28 00:01:00 | 
 このところ仕事上の必要があって、S・カンドウ神父の著作をいろいろと漁っている。フランス軍に従軍していた第二次世界大戦期をのぞいて、戦前・戦後を日本で宣教師として過ごし、卓越した日本語力でラジオ出演、ホール講演、上智大学の講義で聴く者を魅了しつつ、雑誌のエッセーや朝日新聞のコラムでも健筆を振るった。また、東京日仏学院の創立にも尽力し、創立当初はフランス語講座も担当した。
 カンドウ神父(1897-1955)の文章は、死の2ヶ月後に出版されたエッセー集『永遠の傑作』(1955 東峰書房)の序文で哲人政治家の安倍能成が書いているように「先づ好い意味の常識又は良識の持主を感じさせる」ものであると同時に、ぴりりとフランス的なエスプリがかなり辛口に効いている。手厳しい洞察力の中に包容力がある。

 フランス領バスク地方のサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポー出身である彼がかくも日本を愛し、日本人を慈しんだのにはさまざまな理由が考えられるが、そのひとつに、バスクの先達でイエズス会の聖人フランシスコ・ザビエル(1506-1552)の影響があることは、まずまちがいないだろう。聖ザビエルが「私がこれまで見てきた異教徒の中でもっとも優れた民族」と、戦国時代の日本人を高く評価する書簡を書き残していることは、バスクのカトリック教徒なら誰でも知っている事実である。
 この点についてカンドウ神父本人はまったく触れていないようであるが、司馬遼太郎は、「あまりにも本人の中で重要すぎる事柄であるため、他言できかねたのではないか」と、じつに美しい推測を披露したことがある。戦前はファシズムに傾く日本を愁い、戦後は敗戦に傷ついた日本人に寄り添った彼のイニシャルSは「ソーヴール(Sauveur)」であり、「救い主」という意味である。彼は生まれながらに聖職者として生涯を捧げる運命にあった。ヴェルダンの戦線でナチスドイツの戦車の下敷きとなるという瀕死の重傷を負いつつも、戦後3年目に執念の再来日を果たしている。

 彼の良識主義、精神主義は意固地なカトリシズムゆえでなく、同時代の思想との突き合わせの上に立っている。サルトルとカミュの論争においてカミュに一定の共感を寄せている一方、メルロ=ポンティ、ハルトマン、フッサールについて論評を加えつつ、ベルナノスを絶讃した。
 旺盛な活動とは反比例して健康はつねにすぐれず、高度経済成長期に入ってまもない1955年、日本の土となった。葬儀は東京・四谷、上智大学の聖イグナチオ教会でおこなわれた。堂からあふれた人々の、白い雨足の中にひざまずいている姿が見られた。


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