荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『母よ、』 ナンニ・モレッティ

2016-02-06 02:21:25 | 映画
 本作のイタリア語原題は『Mia Madre』つまり「私の母」であるが、今回の『母よ、』という邦題は絶妙だと思う。「母よ、」と句読点を宙ぶらりんに放置することで、これに続く次の単語を子どものように催促してやまない。「お母さん、愛してる」なのか「お母さん、逝かないで」なのか「お母さん、助けて」なのか。いろいろなバリエーションを代入しても、そのすべてを甘受しつつ保留する、そんなタイトルである。
 「母よ、」と呼びかける主体は3人いる。老衰し、死の床に就く母親(ジュリア・ラッツァリーニ)を看病する女性主人公(マルゲリータ・ブイ)とその兄(ナンニ・モレッティ監督自身が演じる)、そしてヒロインの娘の中学生である。母の看病(と見送り)、社会派の映画作家である主人公が撮りすすめる新作のロケ撮影、さらには反抗期の娘に対する心配とラテン語指導といったトリビアルな状況が綿々と続いていく。
 そこで起こるさまざまな事柄に、特別なことはない。主人公が映画を撮るということも特別ではないし、ハリウッドからイタリア系アメリカ人スター(ジョン・タトゥーロ)を招くことも、兄が母の看病のために仕事を辞めてしまうことも、「ラテン語なんて勉強してなんの役に立つの?」と反抗する孫に衰弱した祖母が、死語である言語を学ぶことの大切さをていねいに説く(祖母はかつて高校のラテン語教師だった)ことも、すべて些末な事柄である。
 しかし、その特別でも何でもない些末な事柄が、この映画の中では、ローマという都市への愛と共に、どうしようもなくかけがえのないものと映る。一瞬一瞬が感動的な時間を作り出している。ナンニ・モレッティの演出と撮影はシンプルそのもので、凝ったことなんて何もしていないのに、魔法のように悲しく、美しく、忘れがたいものとなっており、感受性の鋭い観客は、全シーンで泣いてしまうかもしれない。ラテン語の生徒たちが恩師について述べる「先生は私たちにとっても母でした」という言葉があまりにも感動的で、耐えがたいほどである。仏「カイエ・デュ・シネマ」誌の2015年ベストワンに輝いたため、試写ではいささか力んで見始めたが、映画はそんな私たち受け手を鷹揚に武装解除し、裸にむいてしまう。


3/12(土)よりBunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかで公開予定
http://www.hahayo-movie.com


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