goo blog サービス終了のお知らせ 

荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

クロード・レヴィ=ストロース 著『月の裏側』

2014-07-14 01:24:03 | 
 20世紀最大の知性、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)の遺稿のうち、日本に関するものを採録した "L’autre face de la lune: Écrit sur le Japon" が2011年にフランスで刊行され(Editions du Seuil 刊)、大好評を得たそうだが、それから3年をへてようやく『月の裏側──日本文化への視角』(中央公論新社 刊)として邦訳が出たばかりである。
 レヴィ=ストロースが初めて日本の土を踏んだのは70歳近くになってからに過ぎないが、彼と日本の出会いは決して浅くなく、6歳の時にジャポニスムに感化された画家である父から、善行のたびにごほうびでもらった浮世絵のコレクションがその馴れ初めなのである。「悲しき熱帯」ブラジルとの濃密なランデヴーが彼の業績の大部分を占めたため(今夏は別の意味で「悲しき熱帯」になってしまったが)、日本への関心は初恋からうっすらと続く通奏低音に過ぎなかったかもしれない。だが、それがやがて狂おしい老いらくの恋へと発展したことは、本書における率直な日本への愛の表明が証拠立てているだろう。
 本書を、ロラン・バルトによって書かれた、読み手の心を溶かすような日本論『記号の帝国』に次ぐ不朽の名著として、世界史に登録せねばならない。それは単に愛国的身振りであることを超越して、20世紀最大の知の巨人によってその狂おしい記述の対象となった側にとって、この世における最低限の礼儀ではないだろうか。
 巨人の弟子にして、日本における窓口を司った文化人類学者・川田順造による訳注はやや意地悪で、師の日本に対する誤解、思い違い、贔屓の引き倒しを容赦なく指摘して、この本の熱を冷ます。それによって、レヴィ=ストロースの晩年の稚気が強調されている。天才の稚気があぶり出されるのだ。しかし、禅僧画家の仙(1750-1837)について書かれた「世界を甘受する芸術」ほどの美しいテクストを、私たちはいったいこの世のどこで読むことができるというのだろうか?
 クロード同様に日本マニアである彼の次男マテュー・レヴィ=ストロースが父の米寿の祝いに贈った日本製炊飯器を、晩年の巨匠は愛用してやまなかった。曰く、「ご飯に焼き海苔をふたたび味わえるのが、ほんとうに嬉しいのです。ご飯に焼き海苔、それは、この海藻の味わいとともに、プルーストにとってマドレーヌがそうでありえたのと同じくらい、私にとって日本を思い起こす力をもっているのです!」 …炊飯器の手柄が『失われた時を求めて』におけるマドレーヌの味わいに喩えられるとは、近年精彩を欠く日本の工業技術も、いくばくか貴重な歴史的役割を果たし得たと言えるのではないか。
 本書につづいて同じ版元Editions du Seuil社から去年出たばかりの "Nous sommes tous des cannibales"(われわれはみんな人食い人種である)も、早期の邦訳刊行も期待したいところである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。