上海市内にある、中華人民共和国国歌『義勇軍行進曲』の作曲家・聶耳(ニエ・アル 1912-1935)の旧居をたずねた。地下鉄1号線・7号線「常熟路」駅下車すぐ、旧フランス租界のど真ん中、アヴニュー・ジョフル(現・淮海中路)に面したアパートの3階。早熟の天才はよく、階下に住むロシア婦人のピアノを借りて弾いていたという。上海市徐匯区の「文物保護単位」に指定されている旨、アパートの側面外壁に2009年12月公布の記念プレートが張り付けられていた。
聶耳は中国国歌の作者としてよりも、私たち映画ファンにとっては、一度聴いたら忘れない旋律を書く映画音楽作曲家として親しみ深い(というより、中国国歌ももともと映画音楽なのだが)。『大いなる路』について記事を書いたときに言及したとおり、1935年7月17日午後、友人と遊泳中の神奈川・鵠沼海岸で水死した。享年23。
今年が生誕100周年の彼は、女優の阮玲玉より2歳年下だが、彼女の死と同じ年の4ヶ月後に惜しくも命を落としたことになる。スタンリー・クワンの『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1991)では聶耳の役はフー・チョンが演じている。
聶耳が長生きすれば人間国宝級の巨匠として遇されることになっただろうし、豪邸に住むことにもなったろうが、私がたずねたアパートは、都心から至近とはいえ一戸あたりの面積はかなり狭そうだった。しかし、20世紀初頭らしいモダンで小粋なデザインだ。通常なら、23歳で住むには上等すぎる。
ここから淮海中路を1kmほど東へ歩くと、1932年築の「国泰電影院」(旧キャセイ・シアター)が、今もなおアール・デコ調の偉容を誇りながら上映を続けている。聶耳はここで最新ハリウッド映画の作曲法に刺激を受けたり、時には自分のかかわった新作を女友だちと一緒に愉しんだかもしれない。
それにしても彼の名前は、耳が4つ。音楽家とはいえ、風変わりな名前である。
聶耳は中国国歌の作者としてよりも、私たち映画ファンにとっては、一度聴いたら忘れない旋律を書く映画音楽作曲家として親しみ深い(というより、中国国歌ももともと映画音楽なのだが)。『大いなる路』について記事を書いたときに言及したとおり、1935年7月17日午後、友人と遊泳中の神奈川・鵠沼海岸で水死した。享年23。
今年が生誕100周年の彼は、女優の阮玲玉より2歳年下だが、彼女の死と同じ年の4ヶ月後に惜しくも命を落としたことになる。スタンリー・クワンの『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1991)では聶耳の役はフー・チョンが演じている。
聶耳が長生きすれば人間国宝級の巨匠として遇されることになっただろうし、豪邸に住むことにもなったろうが、私がたずねたアパートは、都心から至近とはいえ一戸あたりの面積はかなり狭そうだった。しかし、20世紀初頭らしいモダンで小粋なデザインだ。通常なら、23歳で住むには上等すぎる。
ここから淮海中路を1kmほど東へ歩くと、1932年築の「国泰電影院」(旧キャセイ・シアター)が、今もなおアール・デコ調の偉容を誇りながら上映を続けている。聶耳はここで最新ハリウッド映画の作曲法に刺激を受けたり、時には自分のかかわった新作を女友だちと一緒に愉しんだかもしれない。
それにしても彼の名前は、耳が4つ。音楽家とはいえ、風変わりな名前である。
見た方でどなたか気が向いたらで結構ですので、これがどんな作品だったか、神奈川・鵠沼海岸での水死がどういうふうに描かれたかなど、簡単にでも教えてくださいませ…(お話のバレは気にしません)