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荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『チェチェンへ アレクサンドラの旅』 アレクサンドル・ソクーロフ

2008-10-11 01:29:00 | 映画
 今年は、列車の出発で始まり、列車の出発で終わる映画を2本も見ることとなった。最初は『ダージリン急行』であり、そして2本目は、今やロシアの巨匠の座に登りつめたアレクサンドル・ソクーロフの新作『チェチェンへ アレクサンドラの旅』である。
 今回試写で見ることのできた本作において、視線の交錯が仕掛けてやまないサスペンスには、尋常ならざるものがある。戦場の前線でもっぱら視線の矛先となるのは、将校となった孫の慰問に訪れたひとりの老婆だ。この老婆を、バルセロナのカザルス亡き後もっとも偉大なるチェロ奏者でありながら、昨年惜しくも他界したムスチスラフ・ロストロポーヴィッチの令夫人であり、自身も往年の名ソプラノ歌手であったガリーナ・ヴィシネフスカヤ女史が演じている。
 この主人公は、国境近くの市街に住む一般の主婦という設定であるらしいが、視線を受け止める「名ソプラノ」としての後光が如何ともし難く立ちのぼってしまうかに見え、やっとのことで歩行している老衰した女性が、視線の交錯をめぐってはかくのごとく強靱さを発揮している。この作品は、ヴィシネフスカヤ女史をプリマドンナとする〈歌なき歌劇〉なのであり、彼女に惹きつけられるようにして視線を差し向ける戦士たち、青空市場の売り子たちは、米国ミュージカル映画の画面奥で、歌い手を取り巻いて、その一挙手一投足に目を見張らせつつ全身を放心させているエキストラたちと同様の存在なのだ。
 この映画で2度目に列車が出発したとき、主人公とつかの間の友情を育んだりもしたチェチェン人女性が視線の交錯を拒絶し、ヒロインを乗せて去りゆく軍用列車から背を向けてみせる。このチェチェン人女性は、〈歌なき歌劇〉が、視線の交錯で終えられてはならないことの、なにがしかの秘めたる理由を熟知しているのかもしれない。

P.S.
 本作の試写が東銀座であったため、地下鉄で3駅ほど移動。「かやば町長寿庵」にて、松茸と里芋の煮物、焼き秋刀魚を肴に一献かたむけ、そのまま隅田川河畔の各町を歩いて帰宅した。歳と共に重なりゆく寂寞の念は、このようにして飼い慣らしていくしかあるまい。


本作は2009年正月、渋谷・円山町ユーロスペースで公開予定
http://www.chechen.jp/


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