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荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『百日紅 Miss HOKUSAI』 原恵一

2015-06-07 19:14:24 | 映画
 元来アニメ分野にうとい私が原恵一という作り手の作品を見たのは、前作『はじまりのみち』(2013)一本にすぎない。デビュー直後の木下恵介監督が厭戦的なラストシーンを有する『陸軍』(1944)を発表したため、軍部から干されるという内容の実写作品『はじまりのみち』は、残念ながら年間の賞レースとは無縁だったものの、作り手の非凡さが感じられる佳作だった。そしてその非凡さは新作アニメ『百日紅 Miss HOKUSAI』でも存分に発揮されている。
 江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎と娘のお栄の、いわゆる「世話物」風の物語。いや、物語ではない点がいい。イストワールというよりコントといったところか。人間の生死さえ描かれているのに、その喜怒哀楽が風まかせなのである。このタッチが何に似ているかをあえて言うなら、エリック・ロメールだろう。お栄自身もまた浮世絵師であり、のちに葛飾応為として知られる女性である。北斎、お栄、そしてその妹に共通する極太の眉。生き方を見切った3人の性質を、その眉が雄弁に物語る。新藤兼人の『北斎漫画』(1981)とくらべるとおもしろい。緒形拳=北斎、田中裕子=お栄の父娘に、松重豊と杏の声優陣であらたな息を吹き込んだ。
 アニメというのは、ようするに絵だろう。本作の特長は、杉浦日向子による原作漫画のキャラクター像が映画に移し替えられたという点と、もうひとつ、登場人物の描く浮世絵が実写映画の小道具としてでなく、地続きのレイヤーとして埋め込まれている点にある。彼らには、人生のすべてが絵であった。生と完全なイコール関係にある絵画。これを継ぎ目のない地続きとして提示したのだ。描かれる作品の内部、あるいは空想の内部としての浮世絵は、彼らの現実生活と地続きである。たとえば、お栄と妹を乗せた隅田川の渡し舟が、そのまま北斎の代表作『神奈川沖浪裏』(1831)へと変容する。
 しかし、それだけではない。彼らのまわりをうろうろする子犬が『三體画譜』(1815)に描かれた犬そのものだったり、お栄に「ヘタ善」とあだ名された住み込みの弟子・善二郎(のちに渓斎英泉として大成する)に北斎がヘン顔させるのが、『北斎漫画』(1814 上の写真)の制作プロセスだったり。本所の街並み、吾妻橋、浅草寺、吉原といった江戸下町のパースペクティヴは明確そのもので、地理への作者の愛が伝わる。現代の東京を舞台にした普通の映画を見るよりも、アニメ時代劇の方がよっぽど東京(江戸)の地理を把握できるという事態、この点を、世の実写映画の監督たちは猛省してほしい。そして向島墨堤の三囲神社をお栄と妹が参拝するシーンでは、ヌケに隅田川の支川であった山谷堀が見えている。このさりげないワンカットに反応できる観客は、わが同朋である。


テアトル新宿(東京・新宿伊勢丹裏)他にて上映中
http://sarusuberi-movie.com


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