荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『つぐない 新宿ゴールデン街の女』 いまおかしんじ

2014-08-19 02:55:47 | 映画
 この『つぐない 新宿ゴールデン街の女』を見ながら、私の目玉は一外国人のそれとなり、どこかの映画祭でこの日本映画をなんの予備知識もなく眺めている、という心理状態になっていった。“この映画に写っているものには、ゴールデン街という東京・新宿の特殊な飲み屋街をよく知る人々だけに通用する符牒が充満しており、一見の映画観客には「お呼びでない」感覚をもたらすのではないか” と。
 答えから先に言うと、その危惧は半分当たり、半分は杞憂である。ブコウスキー原作の映画でも、イギリスあたりのインディペンデント映画でもいいが、この手の、飲んだくれが朝までくだを巻く生態は映画の原風景のひとつであって、そこにはいかなる不思議もなく、万国共通の滑稽がある。ここに出てくる登場人物たちの自堕落さは、どこの国の観客が見ても、身に覚えのある有象無象である。その一方で、登場人物のひとりが「この街を火の海にしてやる」と息巻きつつガソリンを撒いてみせるなど、やはり街を特権的な文脈の中で扱っている箇所もないではない。
 「映画芸術」誌で本作のレビューを書いた中島雄人は、この街を描いた作品として、『新宿乱れ街 いくまで待って』(1977)と『縛られた女』(1981)の2本を挙げている。私は後者を未見だが、その『縛られた女』で主演した下元史朗が本作に登場して、30幾年のへだたりにエコーを響かせているらしいのである。「80年代初頭、同じ街で青春のしっぽをもてあましていた青年が30幾年ののち、先生と呼ばれる初老の男として、野坂昭如の短編『花園ラビリンス』の一節をカウンターで暗誦する。その昔、同じようにこの街で飲んだくれていた作家によって書かれたそれが、2014年のゴールデン街に無理なくおさまる。」(448号 97ページ)
 『新宿乱れ街 いくまで待って』のシナリオを書いた荒井晴彦が、本作で「脚本協力」としてクレジットされている。荒井晴彦はかつて「喜劇は嫌いだ」と発言しているが、今回のこの『つぐない~』は喜劇として眺めたときに最もしっくり来る映画だ。訳あり女が不思議の国に迷いこみ、出口を見失って滑稽に七転八倒し、憑き物が取れてかろうじて立ち去る。その後ろ姿を見つめる元恋人の主観ショットとおぼしきラストショットから人の影があっけなく消えて、横丁の鄙びた光景が残像となる。これはひとつの喜劇だと思う。
 そういえば、追悼の契機を逸してしまったが、『新宿乱れ街 いくまで待って』を撮影した日活ロマンポルノの名カメラマン・水野尾信正が、今年の3月22日に老衰で亡くなっている。ロマンポルノ以外にも、大森一樹の諸作、相米慎二のデビュー作『翔んだカップル』(1980)の撮影も担当している。私のキャリア初期に一度だけお仕事をご一緒させていただいたことがあるが、素晴らしい方だった。ここでは内容を明かさずにおくが、一生忘れないようなうれしい言葉も個人的にかけていただいた。合掌。


テアトル新宿で上映終了 シネ・ヌーヴォ(大阪・九条)にて9/6(土)より上映開始
http://www.tsugunai.jp


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