ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

そのとき私は何を語るのだろうか

2014-08-07 23:25:58 | 日記
入居当時は人気のあった美老女Yさんが
最近、村八分にされている。

理由は、認知症の彼女が語る話の内容。

「長男は立教、次男は慶応。
あなたのお子さんはどこの大学行ってらしたの?」

最初は「まあ、ご立派だこと!」と
ありきたりのお世辞を言っていた方々も
毎日の食事時間にそればっかりを聞かされると
さすがにうんざりする。
認知症だと理解しながらも、相手にしていられなくなる。

そして最近では
彼女の座るテーブルには誰も座ろうとせず
自分たちがいつも座っているところにYさんがいると
「ちょっと、ちょっと」と仲間の袖を引き
ひそひそ話をしながら他のテーブルに行くのである。

わあ、いやらしい!とは思うが
仕方ないか、毎度毎度、息子の自慢話を聞かされながら
誰だってご飯を食べたくはない。

同じ認知症でも
K子さんは、9人制のバレーボールに夢中だった女学生時代の話を
M子さんは、小学生時代の大根畑のおじさんの話を
いつもいつも…。

これも耳ダコだが
みなさん、適当に笑って聞き流している。
決して村八分なんてことはしない。
自慢話ではないから“害”ではないのだろう。

認知症になって繰り返し話すのは
人生で一番輝いていたころの話だったり
一番印象に残ることだったり。

さまざまな記憶が抜け落ちても
宝物のように(あるいは刃のように)心に抱き、繰り返し人に話す
“あのとき”のこと。

私の場合、それはいったい何だろう。
年老いてもし認知症による記憶障害を患ったら
私はいったい何を繰り返し語るのだろう。

こっぱずかしいことを言って失笑を買うのもいやだし
偉そうなことを言って村八分にされるのもいやだ。

願わくば、無口な認知症老女になりたいものである。