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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     24年「冬」(15)

2024年01月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 曇天、いつ雪が降ってきてもおかしくないような天気だ。こんな空模様だと上は雪になっているかも知れない。最後に上った9日以降もきょうのような天気が幾度かあったから、車では恐らく良くてオオダオ(芝平峠)まで、牧場や小屋へ行くことはもう無理だろう。(1月18日記)

 この時季、少しでも楽がしたくて、車でも無理をしたら峠まで行けたこともあれば、その途中で捨てたこともある。もっと手前になる枯木橋で断念したこともあるし、芝平の集落のはずれ、昔は土地の人が「オイデエラ」と呼んだ第1堰堤から歩き出したこともある。ここからだと、牧場の小屋までの距離は10キロ以上となるはずだ。

 最初から法華道を登ると決めてしまえば、古道は林道よりか急登を強いられるが、芝平の諏訪神社口からなら3時間から4時間あれば小屋まで行くことができ、雪の状態によっては3時間かけずに登れたこともある。
 3月ごろになると、昼間に水分を含んだ雪が夜間に表面が凍って、いわゆる菓子の「最中」のような状態になって、そうなるとスノーシューズが潜らずに快適に進めることもあるのだ。
 
 法華道はもう一つ、芝平より手前の集落になるが赤坂口があり、以前は種平小屋が登り口にあって登山者の面倒をよく見ていた。残念ながら、小屋主が体調を崩し今は営業していない。一緒に山を歩いたこともあれば、夫婦で古道の整備をしてきた人たちでもある。今は充分に静養できるよう、ここを通る人たちはぜひ気遣って欲しいと思う。
 こっちの古道については語れるほど通じていないが、時間的、距離的には諏訪神社口からと比べてそれほど違いはないと思う。

 近年は、雪の古道を歩く回数も減ってきた。お供のハルがいないこともあるかも知れない。亡くなって3年が経ち、今はわが原野の一隅に小太郎と一緒に眠っている。
              *****
 いや、驚きましたかんとさん、ナント駅伝に出場するとは。彗星1個発見したくらいの大事ですね。名古屋まで応援に行きたいくらいです。
 赤羽さん、通信が届いていたのを見落とし、ご無礼しました。白岩岳は特別な山になりましたね。もちろん協力は惜しみませんが倒木がかなりあると、正月にここを登った番長グループが言ってました。そうですか、松涛が2度もですか。今年もどうぞよろしく。
 本日はこの辺で。

 

 

 
 
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     24年「冬」(14)

2024年01月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 今朝、午前8時の室内気温はピッタリ零度。昨日よりか3度低い。起き出すのが億劫に感じられてしばらく躊躇していた。それでも何とか布団から脱け出すと、頭と首が寒い。
 外に出てみたら今朝はよく晴れていて、経ヶ岳も雪を増やして真っ青な空に見えていた。その冬の青空、澄んだ空であればあるほど冷気を孕み、虚空の冷淡、非情な寒さが痛いほど伝わってくる。

 こういう冬の日々、何をしようとも、しなくとも自由である。ただ、震災の復旧のお手伝いをしたいと申し出ても、足手まといになるからと断られてしまうように、その自由はあくまでも自分の狭い世界においてでしかない。
 
 昨日は久しぶりに散歩に出た。考えてみれば、今年初めてだった。それほど散歩も自分の気儘で、毎日のように決まった時間に万歩計を睨みながら半ば義務的に歩くのとは違う。散歩なのだから。
 その点「心のラジオ体操」は散歩とは少し違う。これはパラフィンのような薄く、極めて短期な「今」を実感し、体験するためで、空疎な日常生活の中の、さらに極めて人工的な無為であり、あれも休憩のようなものである。

「座る」時は鼻呼吸に意識を集中し、雑念は排除するようにと教えられている。そんなことができるか否かはさておき、散歩は、道中、次々と湧いてくる雑念、妄念で頭の中は一杯になる。そして許容量の少ない脳は、それらを長く留めておけずに、同じようにそれらを次々と蒸発させ、消えていくに任せる。
 
 散歩はそれがいい。何かを突き詰めて考えるというわけではなく、目の前に広がる伊那谷の冬枯れた眺め、背後の雪を被った西山、午後の勢力を失いつつある日の光と一緒になって、自分の意志とは別に勝手に湧いてくるのだ。
 時には気が付けば瀬澤川の橋を渡り、いつの間にか隣の集落の端を歩いていることもある。散歩道は極力人家を避け、人の目に付かないような場所を歩くようにしていて、最近は夜間を止めたが昼間でもまず人と出会うことはない。
 
 その先に待つ峠がほぼ散歩の中間点となるが、眼前の眺めだけでは不足なのか、今日に至った時代の経過を思い、この先どのように変わっていくかを想像する。それは、自分が単にこの時代、この風景に紛れ込み、やがて去っていく存在に過ぎないことを意識するからだと思う。
 本日はこの辺で。
 

 

 


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     24年「冬」(13)

2024年01月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  寒い、もしかしたら今朝は室内気温も零度を割ったかと寒暖計を見ると、そこまでは下がっていなかった。午前8時、3度。外に出てみたら、青空は見えていても西山は大荒れ、経ヶ岳はまるで吹雪を抱いてでもいるかのようで、山腹の殆どが姿を見せていない。

 冬ごもりの日々、暖房は隙間風の吹く部屋にもそれなりにあり、無聊を癒す術もないではない。それに比べて、幾世代か以前の人たちは、火代(ヒジロ=囲炉裏)、炬燵くらいしか暖を取る方法がなく、テレビやラジオもなく、新聞や本を読むという人も少なかっただろう。
 となれば、雪に閉ざされた国々の人たちは長い冬に耐え、出がらしの茶をすすりながら限られた人と語り、あれこれ考え思い、今の人たちよりかそういう時間が多かったと考えていいだろう。

 この時代(取り敢えず明治のころ)、何かを訴えるにはまず言葉が必要であり、その巧拙が人の心を動かす上で大きな力を持っていたと思う。「寸鉄人を刺す」という言葉もあるように、火のように熱く、剣のように鋭い言葉があったはずだ。
 今でも、政治家は言葉が大事だと言うけれど、「丁寧に説明する」という耳にタコができるほど聞いた言葉は、もう、「言い逃れ」とほぼ同義語になってしまったし、嘘や隠し事は報道の力もあって、たちまち見破られてしまうようになった。
 
 ビニールハウスの中で控え目に語る被災者の言葉は、ようやく現地に赴き、「先手せんてと手を打った」と語るわれらが首相の呆れた言葉の何十倍も、人の心に届く、届いた。
 それにしてもわが国の首相は、塩気も辛味も甘味もないと、心配する人がいる。
 本日はこの辺で。


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     24年「冬」(12)

2024年01月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 
 昨夜は2時半ごろ目覚め、5時半まで約3時間も眠ることができなかった。それから眠りに落ちて目が覚めたらなんと9時半、合計すればやはり9時間以上眠ったことにはなるが、ここ何日かこんな変な眠り方をすることが多くなった。
 上にいれば起き出して"一服盛り"、眠りに再突入するという手もあるが、しかし下では、隣の居間に行って暖かくなるまで寒さに耐えているのも面倒で、何回となく寝返りを繰り返しながら現と夢の間を朦朧として過ごし、昨夜もそうだった。
 
 里での、旧年来ずっと気懸りだったことは昨日で全てが終わり、そのことは尾を引き、続くが、当面は特にすることがなくなった。これからは本格的な巣ごもりに入るべきだと思いつつ、昨夜も眠れぬままあんな山の中の、雪に埋もれた小屋のことが気になっていた。
 今は見捨てられ、誰も気にする人などいない小屋、訪れようとする人もいないから、余計に心配する気持ちが強くなる。不思議な縁だと思う。もう、18年目に突入する。自分の小屋でなく、さりとて他人の物とも思えない小屋。
 
 旅ということも考えなくはないが、こんな冬、炬燵の虜囚から脱け出すことは難しい。それにこの頃、もともと旅には向かない人間かも知れないとさえ思うようになってきた。面倒を嫌い、金もなく、よく工面して一人で、あんな遠くへ行ったものだと思う。やはり若かったということだろう。
 心配性の親が、山へ行くことに反対しなかったのは、自分たちでは諦めていたことを、山が代わりになって鍛錬してくれていると思ったからかも知れない。重い荷物を背負い、嬉々として出掛けていくのを、半ば信じられずにいたに違いない。
 
 玄界灘のあの島へ行くには、今の自分では遣唐使船の留学僧以上に困難に思え、またあの国へ行くにはパスポートを再発行してもらわなければならない。そしてその上、閉じた耳で横文字を聞き、応じなければならないだろう。
 こんなことを言っているようでは、多分この冬も、これまでとあまり変わらずに過ぎていくだろうが、やんぬるかな、小人が閑居することを許す気持ちになってしまっている。
 冬の日射し、日向ぼこ、そして独り言。本日はこの辺で。

 

 

 


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     24年「冬」(11)

2024年01月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 某総合雑誌の今月号は睡眠が特集になっていた。「睡眠は最高のアンチエイジング」だとあり、日頃「嗜眠癖」などと勝手な名前を付けて惰眠を貪る者は熱心に読まず、もう内容については殆ど忘れてしまった。
 近年、高齢者の人口増加で健康に関する番組や企画がやたらと増え、これもその類だろう。テレビでは栄養補助の薬品や、もどきの宣伝がやたらと多く、節操もないほどいろいろな広告に出てくるあの女優が、この業界でも笑顔を振りまいているのを目にした。
 
 きょうNHKの2チャンネルを暇つぶしに見ていたら、われわれの直接の祖先ではないらしいが、人類も冬眠していたことがあったらしく、骨などにその証拠が残っているとする外国の研究者の説を取り上げていた。こっちの方は興味深かく見た。
 クラークも、彼の小説では「2001年宇宙の旅」から「遥かなる地球の歌声」のように人口冬眠を使って、惑星間や恒星間の宇宙旅行を可能にしていたが、当面は、そんな方法しかゼロが何十個も並ぶ距離を克服する手段はないだろう。
 因みに1光年は約10兆キロ、ゼロの数は13個になるが、そんな近くに恒星は存在しない。
 これは以前にも呟いたが、クラークは「2001年」ではなく、「遥かなる」で自分のことを思い出してほしいと語っていたのを面白く読んだ。異才キューブリックの映画に、原作者である彼の本は陰に隠れてしまったと思っていたのだろう、多分。

 宇宙旅行もいいが、人口冬眠が実際に活用できるようになれば、今は不治の病でも、将来の医学の発達を期待してこれを利用しようとする人が出てくると思う。また、現代に失望した人は、自殺の代わりに、未来への片道旅行を敢行するかもしれない。
 時代が進めば進むほど、世界は良い方向に向かうと信ずる楽観論者らにとって、果たして失望しないような未来が来るか否かは目が覚めるまで分からないと思うが、それでもそういう捨て身の方法を考える金持ちも現れるだろう。
 
 暮れなずむ灰色の寒空から、雪が降ってきた。寂しいというか、侘しいというか、雪の降るのを待っていた子供のころを思い出しながら眺めている。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 
 


 



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