昨日は約1週間ぶりに上へ行ってきた。千代田湖から迂回する山道は木材の搬出や、未舗装の泥濘化など道路状況の悪いことを聞いていたし、これまでにも充分にそれを体験してきたから、敢えて通行止めになっている芝平を抜けてオオダオ(芝平峠)に上がった。この山道も大荒れの石だらけの道ながら、峠の表示板にはこの下り道も迂回路になっていて、これでは上と下では真逆の表示となってしまう。さぞかし事情を知らない通行人は混乱するだろうにと危うんだ。
それに、今回の林道の舗装路の補修が終わるのは12月の26日であったか、とにかくいつもながら工事期間がやたら長い。これほど日数をかけるなら、危険な迂回路に通行人を誘導などせず片側通行にすべきで、行政は迂回路を含めて状況を充分に把握できているのかと訝しくさえ思った。
気温が高かったせいで、ド日陰の大曲がりにも僅かの凍った雪が残っていたがそれも融けかけていて、今回は自分の車でなく軽トラだったが、牧場まで通行には支障がなかった。
それにしても、生気のないうらぶれた佇まい、まさしく山の中に見捨てられた小屋であり、周囲の風景も同調してすっかりと変わり果てていた。陰鬱なまでの冬空が拡がり、色彩はそがれ、わずかに残った雪が寒々とした風景をさらに強調するかのように見えていた。
春から夏、そして秋に至る7か月をここで暮らし、それなりに牧守としての役目を果たしてきた。牧を閉ざすに当たってはその満足感もあった。
広大な風景の中に牛たちがいて、多くの人の訪れた賑やかな時もあれば、100人を超える撮影隊を迎えたこともあった。こうしていても、いろいろな人たちの顔が浮かび、笑い声が聞こえてくる。
しかし、あれからたった10日ばかりが過ぎたというだけで、そうした日々は遠のき、去ってしまい、まるで他人の日々でも想像するかのように振り返り、ただただ茫然とするしかなかった。
昼過ぎ、帰りかけたら雪が激しく降り出した。追い立てるようでもあり、また引き留めるようでもあった。
それでも、越年は今年もこの小屋になる。雪が、白い空白が、このみすぼらしい景色の不要な部分をすっかり消し去り、新しい年を迎えるに相応しい凛とした清浄な牧になって迎えてくれるだろう、そう期待している。
本日はこの辺で。