
久しぶりにテイ沢の様子を見にいってきた。今年はいつもの年に比べて訪れた回数は少なく、特に8月に入ってからはあまりその機会がなかった。もしかすれば、7月の終わりにクマを見たあの時以来・・・、いやその後に東部支所の職員を案内したはずだから、3回くらいはあっただろう。
上からであれば最初と2番目の丸太橋はいまだに架け直さずそのままにしてあるが、それでも沢を訪れる人たちは結構いるようで、単独を含めて幾組もの人々が牧場内を通り過ぎていくのをよく目にしてきた。
沢はいつもよりか少し水量が落ちていた。6月の大雨でえぐられた山道には新しい踏み跡ができていたし、草刈りもやりかけたままにしてあるが、そのままでもいいのかもしれないと自分勝手な言い訳をした。
そういえば確か先日の「山の日」、伊那と富士見が合同で参加者を募りこの辺りの散策を企画したが、その後偶然に伊那側の関係者と会い話した際も、二箇所の丸太橋の修復ができてないことも含めて、沢はあのままでも問題がないという口ぶりだった。
それでも何箇所か補強補修をした。シノを使い番線を巻くのは実に久しぶりのことで、谷を下る水音を聞きながらいろいろと思い出すことが多く続いた。
幾つもの痛んだ橋が放置されていたのを見かねて始めたことだが、今でも、何番目の橋のどの丸太が一番重かったかを言うことができるし、手古摺った数々のことを縷々呟くこともできる。
最初の時は、もう10年以上も前になるが、TDS君を筆頭に延べ人数なら20人、いやもっといただろう。小屋に泊まっていた和泉多摩川ナチュラリストクラブの若い面々を、事情を話して動員させてもらったこともある。いろいろな人たちの顔が目に浮かぶ。
まだシノの使い方は怪しかったし、チェーンソーも年代物で重く、エンジンを始動させるまでに体力を吸い取られ、その上、肝心な切れ味もひどかった。
もし口碑の通り1千年も前、この谷に古道「石堂越え」が本当に在ったなら、駒を連れてこの谷を通り都へ登った人や、旅人がいただろう。もっと時代は下るが、危険を犯してこの谷へ石塔や石柱を運び上げた人たちもいた。
先人を真似て駒を引くことも、石柱や石塔を担ぎ上げることもできないが、いずれは記憶の全てをまとめて、この谷にお返しするつもりだ。
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本日はこの辺で。