スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

ノルディック民族楽器セミナー その2、そして最後

2007-06-14 14:00:29 | スウェーデン生活
フィンランド人の研究者はセミナーに車で来ていた。
調べてきた道が間違っていて、私とペール・ウルフが道案内代わりに同乗することに。

ペール・ウルフは週末のニッケルハルパ・ステンマ(Nykelharpasstämman)で売るのだと大量のCDと本の箱を持ってきている。

その車の道中、ペール・ウルフのプレゼンについて説明してもらう予定だった。
有名なゴットランド島の天使の石彫りについて彼なりの解釈がある(フランス由来というもの)。
以前、説明してもらった時からさらに調査をすすめた結果、訂正(ドイツのソングブックの絵との関連)があるというのだ。
しかし、やはり研究者というのは知的好奇心にかられるものだ。
運転中のフィンランド人研究者が近々タルハルパの本を出すという一言を聞いて以来、その話題に一点集中。

ところで、ノルウェー人とスェーデン人は母国語同士で話すが、フィンランド人は「聞いて理解できるけど話す時は英語」である。
このフィンランド人も英語で話す。
なんとなく、皆から聞いていた語気の強いフィンランド訛がハハーンと分かった。
さすがロシアに近い側、というのは短絡的か。

写真左上が、タルハルパ(スウェーデン語はストローク・ハルパ stråk harpa)。
弓で弾きます。
私は始めて知ったのだけど、日本で弾いている人はいるのかな?
音色は、弓で弾くだけあって表現力がイイ。
そしてムーラハルパのような古楽器の音色だ。

さて、私への説明はまた今度ということになり、さっそくToboに着いた。
一度、寮を出ているので、再チェックイン。
ここで過ごす夜が最後かと思うと不思議な感じ。

軽くシャワーを浴びて夕食に向かうと、すでに始まっていた。
やった!私の好物。
ビーフと豆のブラウン・ソースかけ。
スティーナの得意料理。お客さんが来るとよく作ってくれる。
最後に食べれてウレシイ!
とスティーナ(英語が通じない)に言うと「そう?日本にはビーフないの?」とこの1年散々繰り返された質問を
再び最後にされた。
セミナーで知り合った、エストニア人の卒業生が言っていた。
「スティーナって変な質問ばっかするよね!
『エストニアにはチーズはあるの?』『エストニアにはパソコンはあるの?』とか」
聞いていて、別のところで内心どきっとした。私だってエストニアのことは何も知らない。
チーズってスウェーデンと同じ?とか聞かなくてよかった。
スティーナは美しく年齢を重ね、とてもオバチャン風貌ではない。
が、とても茶目っ気たっぷりのかわいらしい人なのだ。

脱線話
エストニアは、古くは元スウェーデン。文化的に共通点が多いのかも。
フィンランドも西海岸側は大昔、スウェーデンだったので、古いスウェーデンの伝統や言葉が残っている。

チーズに関して。
スウェーデン独自の製法と種類がある。
例えば、デンマークはデンマーク独自の製法でもちろん味も違う。
つまり日本に入っているイタリアンやスイスチーズなどとは異なるので、似た味のものがどれに相当するか、
日本にいると悩むところ。

さて、話を戻して。
明日からのセミナーにそなえそれぞれの職人さんが展示の準備を始めた。
見ていると面白い。
そして、ミュージシャンの集まりではないので控えめだけど、あちらこちらで楽器を弾きはじめた。
コンサート、研究者のプレゼン、展示を交えたこういう北欧民族楽器セミナーって日本でも開催できないかな
浜松の音楽博物館辺りで。もしくはどこかの大学とか。と切に思います。
人やお金さえ集まれば…。

するとエスビョンの奥さん、オーサに呼ばれた。
「これ、私達からの気持ち」と、包みを開くとトナカイの刺繍の入ったクロスだ。
オーサの目はすでにウルウルしている。
こういうときのスウェーデン人はとても感情を素直に表現する。
大げさなセリフは言わない。素朴な言葉と飾らない態度で正直に表現する。
ダメだ。感謝の言葉をならべようにも「今までありがとう」を言うのがせいいっぱいだ。
お別れの時に泣くかもと思ったのに、すでに泣いてしまった。

エスビョン(セミナー主催者)は、やってくる参加者やお客さんの相手でいそがしそうだ。
22時頃、最後のお客を案内した後、2歳の子を寝かしに一旦戻ることに。

その前にと、オーサがニッケルハルパを弾きはじめ、2歳の子供もニッケルハルパを楽しそうに弾きだした。
エスビョンと学校スタッフのAがそれに合わせてダンスをする。
こんな当たり前の光景も今夜が最後だ。

エスビョンがその子に「ほら、帰って寝るよ」というと、その子は私の手をつかむと大声で何か言いながら私を引っ張っろうとする。
遊び足りないのか?と引きずられて行くと、オーサがとめに入った。
「ほら、帰ってねなきゃっていうから。車に乗って帰るよ」と言っているらしい。
私も一緒に帰ると思っているらしいのだ。
そっか、この子ともここでお別れか。
エスビョンが「帰るからちゃんとクラマ(ぎゅっと抱き締める挨拶)しなさい」というと、ちっちゃな両手でぎゅっとしてくれた。

外に出ると、見た事のないような夕焼けだ。
最後の空は燃えるような赤だ。

さて私も部屋に戻り楽器を持ってくると、ウッレ・プランがやってきた。
「ハイ、これあげる。ドイツ製。」
とバロック弓をくれた!
「え!?なんで?」と言ううちに、ケースにつっこまれてしまった。
最後にプレゼントだって。
ウッレはべたべたしない感じだけど、いつも最大限に気持ちを表そうとする。本当にいい人だ。
ウロフも言っていた。ウッレは本当にイイ人で、この性格は職人としての利点だと。
買い手のわがままに熱心に耳を傾けて嫌な顔一つしないのだ。
頑固職人ならこだわりと伝統のもと…とプレーヤーの注文に耳をかさない人も少なくない。

さっそく弓を試した。
見た目も美しく、重量も軽い。かなりいい線いく弓だと思う。

写真右上は、ダニエルを囲んでセッションが始まった時の様子。
今回ゲストにエスビョンがノルウェイから招待したハーディンフェーレ(ノルウェーで一番と言っていた)のプレーヤーは
椅子を出しておしゃべりしながら聞いていたけど、楽器は弾いてくれなかった。

0時を過ぎた頃、エスビョン夫妻が最後のお客さんを駅で拾ってやってきた。
明日の朝は私を駅まで送るというのだけど、私が最後にみて欲しいものがあるとラップトップを持ってひきとめた。

エスビョン夫妻のために作った、スライドだ。
一緒に過ごした日々と季節の移り変わりをまとめたもの。
音楽はもちろんエスビョンの師匠、故エリック・サルストレムの演奏。
雪に覆われ、花が咲き、緑にあふれ、子供達が成長する。
楽器や伝統、スウェーデンの文化や生活をたくさん教えてくれた。
最後まで見終わると、3人で泣いてしまった。
悲しくて泣くわけではない。たくさんの想い出でいっぱいだ。

エリックが残したものはエスビョンが受け継いだ。
死の直前、全ての楽器もたくされたという。
その受け継いだものを少しでもと、私にもおすそわけしてくれた。

これ以上ここにいると悲しくなるから、また明日の朝くると言い残して帰っていった。

気を取り直して、再びセッション。
人数も減り、ソーレンと学校スタッフのA、その他、4名ほどだ。
セッションの合間、なんとか気をとりなおした私に何度もAが中断してはぎゅっと抱き締め「ちゃんと帰ったら連絡するのよ」と
何度も涙を誘う。

2時もまわった頃、Aは「明日の朝はやいでしょ」といい、私に朝食を用意しはじめた。
2人で学校のキッチンに入ると、好きなパン選んでと言う。
バターをたっぷりチーズとハムを載せ、バナナとりんごを袋に詰め、朝時間がなかったら電車で食べてと渡された。
何度もお別れをして部屋へ戻った。

2時はとっくに過ぎているというのに。
寮に戻ると、ノルウェー人がハーディンフェーレを部屋で弾いている音が廊下中に響いていた。
高く宙を舞うようなその音色にしばし聞きほれてから、部屋に戻った。

さて!ここからが大変だ!
先日の小旅行と今朝の買い物で、荷物の詰めなおし!
入らない。
スーツケースを閉めてに3分ほど座りこむ。徐々にしずんでフタが閉まるだろうと。
いーえ!何分座っても閉まりません。
涙をのんであれやらこれやら捨てはじめる。
シーツ類はニッケルハルパのフライトケースにほうりこむ。
(エスビョンの新作ニッケルハルパは、週末のイベントでガラスケース入りで展示された後、私の元へ郵送予定)
必死の形相で、感傷的な気分どころではなくなってきた。
一通り捨てると、つかれてベッドへ倒れこむ…。

翌朝は、昨日の夕焼けの通り、雨。
ペール・ウルフ、ウッレ・プランともお別れをした。
エスビョンの車に荷物をつみ駅まで乗せてもらった。
駅につくとエスビョンが「何かあげるものないかな」とポケットをごそごそする。
「マッチはどう?
「飛行機にもってけない」と私が言うと
「じゃあ、マッチのケースは?」と言う。
そのマッチは創設以来子供たちへ寄付金がいくらしくとてもスウェーデン的なのだと言っていた。
「じゃあ、これは」と取り出したら、さっき私が楽器の送料と渡した裸の現金だ。
「いや、それは何があっても受け取れないから
「あ、これは?」と2002年の夏至祭のバッジを取り出した。

なんでもいいから最後に記念になるものをあげたいのだというエスビョン。
最後に「家族の一員になってくれてありがとう」と言う。
私はなんて返したのか覚えていない。
泣きながら何か必死で言ったと思う。

すぐに電車が入ってきた。
雨でよかった。晴天で緑が美しかったらこの地を去るのがもっとつらかっただろうと思う。
電車に乗りこみ、軽く手を振ると、エスビョンは雨の中こばしりに車へ戻っていった。

窓の外は雨の中でも本当に美しい。写真は最後の車窓。
こんな土地で、こんなに温かく迎えられ、誰もが助けてくれ、素晴らしい1年だった。

結局、空港に着くまでの1時間泣きっぱなしだった。
空港について泣き止んだと思ったのに、カネルブッレ(シナモンパン)を最後にとかじるとまた泣けてきた。

また来ることもあるだろうに、一体、なんでこんなに泣けてくるのか分からない。
きっと、つっぱしった1年だったからだ。
充足感と、人や自然への感謝の気持ちだ。

留学しようか迷った頃は、「音楽」というジャンルが生活に非現実的なこと、「伝統音楽」自体が周囲の理解を超えていること、
新卒や在学中のようなやり直しのきく年齢ではないこと、その他たくさんの事情で周囲に激しく反対された。
「舞台にあがる事にあこがれを抱いている」くらいにしか思われず。
(もちろん、そんなあこがれはない。皆無。それが「じゃあ、なぜ!?」とさらに思わせたみたい)

ただ、反対は私のため、私の将来を思ってということは分かるので、聞き入れるべきだと迷った。
でも特に「伝統音楽の意味」を理解していない人からの反対は、どこかでひっかかるものがあった。
飛行機のチケットはかなり直前でとったが、その時までまだ取り消せると迷った。
しかし、エスビョンが「全面的にサポートする」と言ってくれていたこのチャンス、逃すとじゃあ来年とはいかない。

そんな中、だまって背中を押してくれた人もいた。
そして「その経験で人生が豊かになるなら行く意味がある。
そんな豊かな人生経験を持つ妹は、私の自慢だ。
第一、行ってみてやっぱり面白くないって引き返したって何も悪くない」と姉が言った。
「人生を豊かにする」この言葉が決定打となった。

ブログは、徐々ににアクセス数が増えると自分のためだけでなく、読んでいる人のためと励みになった。
実際、こんなとこも、あんなとこも写真とるの!?というとこまで撮れたのは「ブログかいてるんで」と言えたからだ。
分からない箇所を分からないままにできなかったのも、単に性格ではなく、日本で知られていないこの情報を
正しく伝えないと感じたからでもある。

最後まで読んで、独り言につきあってくれた皆様、ありがとうございました。

果たして、人生は豊かになったのか?
なんでも物事に結論を出すべきだとは思わない。
それは態度にあらわれ、周囲が判断するでしょう。

でもこんな充実し、こんなに時の流れを早く感じた1年はない。
こんなにたくさんの人に支えられたのも初めてだった。
日本で支え続けてくれた人、スウェーデンで支えてくれた人、ありがとう!

Tack så mycket!

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ブログが「留学日記」という性質上、さらに更新するのはどうかと思っています。
しばらく、このまま置いておきます。

リアルタイムに書いていたため、誤った情報がある可能性もありますが、今後は確認しながら徐々にHPにまとめていきたいと思います。

何かご質問等あれば

nyckelharpa@mail.goo.ne.jp

までどうぞ。
コメント (4)
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