昨日のミーティングでは、疲れていたので終わってからバトルの要点を尋ねなかった。
けど、今日のクラスミーティングでその話題になり、なぜ皆がキレだしたのかが分かった。
ディッテ(先生)の主張:
ダンスコースはダンスメインのパートを持ち、ニッケルハルパコースは演奏のみのパートを持つこと。
合同でするのは2-3曲程度が好ましい。
ダンスの伴奏には、ダンスコースの人が演奏してもいいし、ニッケルハルパコースの人に頼んでも良い。CDでもいい。
演奏パートではアーティストとしてのパフォーマンスを見たいので、ダンスの伴奏ではなく演奏のみでやるように。
それだと「音楽」の部と「ダンス+音楽」の部となる。
自分たちの(ダンス)コースがバカにされている、または二つのコースの時間配分が不平等になると感じたらしい。
特に「アーティストとしての…」云々の当たりも気に障ったらしい。
でも、ディッテはもちろんそのつもりは全くない。
実はダンスコースの先生とも意見が衝突しているらしく、今日のランチには顔を真っ赤にさせて別室に二人で消えてしまった…。どうなることやら。
この手の話、何度も聞いたことがある。答えの出ない議論かもしれない。
これを読んでいる方はどういう意見でしょう
演奏側の視点:
演奏している前に、動くモノがあると人の注目はそちらへ行き、音楽はBGMになってしまう。選曲、テンポで多少なりとも表現上の制約を受けてしまう。
ダンサーの視点:
音楽とダンスは二つで一つ。別ものではない。いい音楽で踊らされ、互いに影響しあう関係で、BGMにはならない。
私の意見は、ダンスの伴奏は有名な人が弾いていても、はっきり言って何の曲を弾いていたか、どんなアレンジだったか、ほとんど記憶に残ってない。
記憶に残るのは「ノリノリでのせられた」など雰囲気作りの面ばかり。
かと言って、伴奏と演奏は別だと断言するほどの自信はない。
工夫すればどちらかだけが目立つなんてことはないのだろうけど...。
ちなみに私が観た...
成功例:という訳で、その例。
Bootというバンドと良く一緒に踊っているあのスタイル。踊りの大半が一点にとどまって踊る(コマみたいに一点で周り続ける)ので視線のブレが少なく、ダンスも演奏も美しかった。
過去のDVDから一つ。二人が歌でダンスの伴奏をしていて、ハモって歌いながら踊る人立ちの間を自由にぬって歩く。きれいなダンスのスピンと、そのすきまをぬう様に歩く姿が美しいコントラストだった。
もう一つ、歌の伴奏。すごくエコーのかかる部屋で男性ソロの澄んだ歌が響きわたり、その中で静かに音も立てず踊る姿。それこそ響く歌に聞きほれながら、息をひそめてダンスの回転に見入った。
この例はどれも、お互いから何を引き出すのがベストかを理解しあい、観客にどう伝えるかというビジョンをしっかりもっていると思う。
昨日のダンサーたちのように、演奏側の意見が理解できないのであれば、上手くいかないんじゃないかなぁ。もちろん逆に演奏側についても同じだけど。それでも全ステージをこの調子でやるとメリハリに欠ける気もする。
昨日ミーティングでほとんど何も言えなかったのが今頃くやしい。
けど、今日のクラスミーティングでその話題になり、なぜ皆がキレだしたのかが分かった。
ディッテ(先生)の主張:
ダンスコースはダンスメインのパートを持ち、ニッケルハルパコースは演奏のみのパートを持つこと。
合同でするのは2-3曲程度が好ましい。
ダンスの伴奏には、ダンスコースの人が演奏してもいいし、ニッケルハルパコースの人に頼んでも良い。CDでもいい。
演奏パートではアーティストとしてのパフォーマンスを見たいので、ダンスの伴奏ではなく演奏のみでやるように。
それだと「音楽」の部と「ダンス+音楽」の部となる。
自分たちの(ダンス)コースがバカにされている、または二つのコースの時間配分が不平等になると感じたらしい。
特に「アーティストとしての…」云々の当たりも気に障ったらしい。
でも、ディッテはもちろんそのつもりは全くない。
実はダンスコースの先生とも意見が衝突しているらしく、今日のランチには顔を真っ赤にさせて別室に二人で消えてしまった…。どうなることやら。
この手の話、何度も聞いたことがある。答えの出ない議論かもしれない。
これを読んでいる方はどういう意見でしょう
演奏側の視点:
演奏している前に、動くモノがあると人の注目はそちらへ行き、音楽はBGMになってしまう。選曲、テンポで多少なりとも表現上の制約を受けてしまう。
ダンサーの視点:
音楽とダンスは二つで一つ。別ものではない。いい音楽で踊らされ、互いに影響しあう関係で、BGMにはならない。
私の意見は、ダンスの伴奏は有名な人が弾いていても、はっきり言って何の曲を弾いていたか、どんなアレンジだったか、ほとんど記憶に残ってない。
記憶に残るのは「ノリノリでのせられた」など雰囲気作りの面ばかり。
かと言って、伴奏と演奏は別だと断言するほどの自信はない。
工夫すればどちらかだけが目立つなんてことはないのだろうけど...。
ちなみに私が観た...
成功例:という訳で、その例。
Bootというバンドと良く一緒に踊っているあのスタイル。踊りの大半が一点にとどまって踊る(コマみたいに一点で周り続ける)ので視線のブレが少なく、ダンスも演奏も美しかった。
過去のDVDから一つ。二人が歌でダンスの伴奏をしていて、ハモって歌いながら踊る人立ちの間を自由にぬって歩く。きれいなダンスのスピンと、そのすきまをぬう様に歩く姿が美しいコントラストだった。
もう一つ、歌の伴奏。すごくエコーのかかる部屋で男性ソロの澄んだ歌が響きわたり、その中で静かに音も立てず踊る姿。それこそ響く歌に聞きほれながら、息をひそめてダンスの回転に見入った。
この例はどれも、お互いから何を引き出すのがベストかを理解しあい、観客にどう伝えるかというビジョンをしっかりもっていると思う。
昨日のダンサーたちのように、演奏側の意見が理解できないのであれば、上手くいかないんじゃないかなぁ。もちろん逆に演奏側についても同じだけど。それでも全ステージをこの調子でやるとメリハリに欠ける気もする。
昨日ミーティングでほとんど何も言えなかったのが今頃くやしい。
フィンランド!未知の世界です。
退屈かどうか分かりませんが、同じ曲でも伴奏で弾くときと演奏だけで弾くときと、違う曲のように感じることが。(全部じゃないです)
ともかく。来週には授業も使ってリハが始まります!
ダンサーに好まれる曲と、ミュージシャンに好まれる曲って、やっぱり違うと思いますよ。私も、フィンランドのダンスをワークショップで一週間ほど、スウェーデンのダンスも何回か日本で習ったことあるのですが、ダンスに最適な曲は、普通に聞いていると少し退屈に聞こえるものです。だからといって、「聞かせる」用の見せ場を作ってしまうと、曲の良さが失われてしまうような気がしますし…。
それでも、いい豆、いいミルクの皆さんが揃ってそうなんで、いい仕上がりになるといいですね。
たとえ、同じ地方の同じ踊りでも、ちがう曲であれば、多少なりとも音楽や弾き方にあわせて踊り方が、微妙に変わってくるものだとわたしは思います。そういう意味で、やっぱりダンスの場面でリードするのは、ダンサーじゃなくて、フィドラーですよね。
だからフィドラーがいいととても楽しいけど、人が集まってくるので、ダンスフロアは混み混みです。
じゃ、コンサートがんばってください。
他人事だと思って楽しんでるでしょー!
ダンスコースの人たちは特に熱いです。演奏コースの人は意見が保守的な人が多い。
でも、彼らは大半が二十歳前半と若いので。
若いなぁ、とちょっとお姉さんぶってみてしまいます。
ところで、トリッキーな曲って??例えばどういうのですか?
コメントありがとうございます!
セットダンス、ほんの数回だけ踊ったことがあります。が、全く覚えられなかった…。滋賀のアイリッシュキャンプにも一度だけ行ったことありますが、参加されてますか?
すごい、すごい、三部構成。とっても説得力があります。そして参考になる意見です。
ぜひここに来てミーティングの指揮をとって欲しい。でも、私が意見も言えないうちに、話が進んでしまっています。演奏コースは、先生の言うように演奏のみのパート。ダンスコースのパートは、彼らが主張しているようにごちゃまぜ。演奏コースも踊るし、ダンスコースも弾くし、見せ方も伝統にとらわれず自由なスタイル。
今、そのダンスコースの人と一緒にさっそくリハをしてきました。やはり演奏だけで弾く場合と、ダンサーが一緒だと違うなぁと感じで帰ってきたところです。
でも構成は工夫していて、音楽がフェイドアウトし、その後も踊り続け3拍子を踏む靴の音が響き、しばらくして音楽が今度はフェイドインする、というもの。結構いい感じです。
色んなアイデアでダンスと音楽の素晴しい組み合わせのものが作れて、例えるなら、カフェラテ。カフェモカ。カフェマキアート。いろんな風味が楽しめますよね。でも、どの産地の豆か、その炒り具合、などを別個に味わう楽しみもアリだったり。うーん、なんか言おうとしていることと違う気がしてきた??スミマセン。
お尋ねの「表現上の制約」。私の書き方が大げさに聞こえたかも?
一瞬のポーズなどちょっとしたリズムの遊びや、徐々にアレンジで盛り上げていくところなどのことです。揺らぐリズムをさらに強調させたり。音的に効果的でも、ダンサーを無視してアレンジすると踊りにくくなるんじゃないかと。細かいトリルもダンスの音で聞こえにくくなったりとか。
アイリッシュのようにビートたっぷりの曲より、きれいなメロディの中に波のようなリズムがあるものが多いので、はっきりと弾くか、波々と(?)弾くかでは結構違って聞こえる気がします。選曲もダンスの伴奏をしていると、上手く説明できませんが好むレパートリーの違いを感じることが。
でも、あくまで個人的な感想ですし、いかんせん、まだまだ未熟者ですので。
もっと創造力豊かでないといけないなぁ…とも思います。
また、どんどんご意見くださいませ!
どちらの気持ちもわかる者として意見を言わせていただくと、ダンスの伴奏としての音楽は、ダンスを引き立ててこそ、初めて「いい音楽」になるんだということですね。だから、ダンサーが踊りにくい演奏は、表現がどれだけ優れていても、ベストのものではないと思います。
問題なのは、演奏者の皆さんが「表現上の制約」とおっしゃっているもの、どんな表現をするつもりなんでしょうか? その表現というのが、ダンスの伴奏として使えるようなものだったら、一緒にやってみてもいいのでは? と思います。途中でテンポを変えたり、リズムを変えたり、ブレイクしたり…とかになったら、さすがに難しいでしょうが。
①アレンジの凝った、演奏者が「主」になる時間(ダンスなし)
②ダンサーも演奏者も「主」になるような時間(演奏者はダンスの伴奏という制限の枠内で表現し、ダンサーも出来るだけその表現に合うような形でダンスにアレンジをする等)
③ダンサーが「主」になって、演奏者は「従」に徹する時間(演奏者はダンサーの要望に応えて伴奏をする)
という三部構成が折衷点になるのではないかと思います。
突然の意見で失礼があったら申し訳ありません。