スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

ウップランド・スウィング

2007-06-02 23:47:18 | スウェーデン生活
今日はカイサの実家、ヴェンデル(Vendel)へ。
カイサは私が以前参加したサマー・コースの先生で、最近ウプサラで一緒に演奏もしたウップランド地方の
有名なニッケルハルパ・プレーヤーだ。

学校すぐ側のバス停からバスに乗り込み、のどかな牧草地を行くこと約20分。
そこにヴェンデルはあります。
これはエリカ & セシリアのエリカの出身地でもある。

広い広い牧草や草原が見渡す限り地平線の先まで広がり、その先をさえぎるのは遠くの森だ。
今住んでいるいるトボ(Tobo)よりも、もっともっと田舎だ。
こんな田舎だとトボが都会に見えてくる。

写真1まずは降りたバス停Husbyの目の前に西暦500年頃の王墓がありカイサがさっそく説明してくれた。
これは昨日の記事のガムラ・ウプサラの王墓より古い。
そして以前も触れたことがあるけれど、西暦500-800年のバイキング時代以前はヴェンデル時代(Vendel tid)と呼ばれ
この一帯は重要なエリアだった。
特に周囲は平らな大地が続くのは、当時はまだこの地が水面下だったためだとか。

写真2
この王墓を含む牧草地にはゴットランド島特有の種類の羊が飼われている。
この毛でつくるウールは、特に厚い生地ができ、また毛もからずに落ちるのだそう。
へぇー、と言いながら二人で王墓の後ろ側に回りこみ、羊の群れに近づくと...
一頭がふと立ち上がってこっちを見た。
ん?なんか雰囲気が...?と思うと、なんと羊の群れが一斉に私達を見て立ち上がった。
え?ちょっとヤバイ?とカイサを見ると、すたこらさっさと走って逃げていく。
え?と羊のほうを振り向くと、大群が私達めがけて走ってくる!
二人してひゃーっと言いながら走って王墓のまわりをぐるっとまわって逃げた。
「まさかここまで追って来ないよね?」と言った瞬間、羊の大群が王墓をまわりこんでどどどっと迫ってきた!
さらに逃げて間一髪、柵の向こうに出ると、羊達はぴたっと動きが止まった...
一体なんなんでしょ!?

写真3
さらにバス停とカイサのおうちの中間に、紀元前1500年~500年頃の遺跡がある。
小さな穴がいくつかあり、太古の昔、祭祀で供え物など置く台だったとか。
それより、こんな道端にぽーんってあっていいのかな。

写真4
カイサの実家は元農家。最近やめたばかりらしい。
なので広大な敷地が広がります。家もデカイ!
1920年頃に建てた家だというのに古さは全くない。
キッチンもブルーが基調でとてもさわやか。
到着するとさっそく庭でfika(ティーブレイク)。楽器も弾きます。

カイサの両親は昔ながらの農家の習慣で、未だにお昼ご飯が一番豪勢なのだそう。
朝7時頃から畑仕事するからね、と言っていた。
なので、夜は朝食か昼食のような簡単なものを食べるのだそう。
とても健康的だ。

夕食」はスウェーデン語でmiddagという。
正午」もスウェーデン語でmiddagだ。
(ちなみに「午後」は昼の後という意味でeftermiddag)
そうか、middagが「お昼」と「夕食」って二つ意味があるのって変なのと思っていたけど、
由来はそんな習慣から来ていたのか。
昼食の「ランチ」という言葉はこの50年くらいの間に入ってきた言葉だと言っていた。

なので豪勢なランチが出てきました。
ランチも庭で。
鳥の鳴き声がここちよく響きます。
でも虫もハチもいます。
向こうにバンビが走っていくのが見える。

チキンをしょうゆとレモンとコショウで味を調えオーブンで。
それとライスと豆。
サラダはカイサ特製、アボガドやカブにパプリカなど野菜盛りだくさん!

写真5
隣の家にはカイサの姉?妹?夫婦が住んでいる。
そこのチビちゃん。とっても元気。
まるで映画の「ロッタちゃん」を彷彿とさせるおしゃまな女の子。
裸足で庭中を駆け回り、庭のルバーブ(5/29参照)をちぎって食べ始めた。
「おいしいよ、食べて」と渡されたルバーブは生では「オェ!」という感じ。
カイサが「こっちはおいしいから」とすすめられたのは食後のデザート。
ルバーブのさくさくパイ。バニラソースをかけて食べます。
旬のいちご(日本より甘い)とちぎったミントの葉も一緒に。
さっぱりした酸味がおいしい。
するとその子「これも食べなきゃためよ!」と庭のネギをちぎってもってきた。
「こうやって食べるの」とパクパク食べる...。

写真6
近所のツアーへゴー!

近くにはヴィクスタ(Viksta)がある。
これは故ヴィクスタ・ラッセ(Viksta Lasse ウップランド地方の有名フィドラー 80年代に亡くなる)の
名前の由来だ。ヴィクスタというところに住んでいるラッセなのでそう呼ばれている。
このヴィクスタにある教会へ。これも11~12世紀の教会でとても古くウップランド地方独特の教会だ。
その教会の向かいにはヴィクスタ・ラッセの像が。そしてお墓もここにある。

次はスムルトロンイェーデ・イーダ(Smultrongärde Ida 同じく故プレーヤー、この地方では有名)
の元おうちへ。
彼女の名前の由来は、スムルトロンイェーデ(野イチゴ畑)に住むイーダである。
舗装されていない道路の先にその家はあった。
彼女は魔術を使えたらしく(風邪を治すなど)、子供達には怖がられていたみたい。
こんな湖と森のそばの小屋に住んでいれば尚更だ。付近には家もないし。

帰り道にはヴェンデルの教会へ(これが写真)。
中は鮮やかに壁画が残っているらしいが、遅すぎてちょうど扉が閉められてしまった。残念。
これまた12世紀くらいの古い教会。

この教会の前には、バイキングの墓(船に動物、食べ物など入れられ埋葬)が13も見つかったらしい。
物はストックホルムの歴史博物館に行ってしまったらしい。
その場所には記念碑がたっている。

さておうちへ戻ると、軽い夜ご飯がまっていました。
パンと乾パン、チーズに七面鳥のハム、パンにのせる野菜など、紅茶で頂きました。

それから再びカイサが「ちょっと弾こうか」と楽器を取り出した。
それがただ弾くのでなく、なんと気前よくプライベート・レッスンが始まったのだ。
ヴェーセンのウロフが伝統を受け継いでいるカート(クート?)の曲やヴィクスタ・ラッセのあまり知られていない
曲などを教えてくれた。

そしてウップランド地方の方言ともいえるスウィング感についてカイサなりの考えも教えてくれたのだ。
「ウップランドのプレーヤーはみんな骨の髄までこのスウィング感がしみこんでいるのよ」と。
つねにこのスウィング感を意識しているとどの曲を弾いていても、そのリズムがあちこちに現れるのだと。
「よく8の字ボーイングなど呼ばれるがそういう頭で考えるものではない。
一指し指を使って弓の動きを指で感じるのがコツ!」
と教えてくれた。
そんな彼女は、私の中ではウップランド・スウィングのトップだ。
本当に活き活きと弾く。

そして「このスウィング感がないと、間違いじゃないけどクラッシックみたいでしょ。
そして、ここをタターンとやる人がいてストックホルム・ビートと呼ばれてるから
気をつけて」
つまりストックホルムのような本場と離れた都会では、人々はこう弾きたがる、そしてそれがかっこいいと思っている
という悪い例。
(ストックホルムの人はみんなそう、という意味ではない)
前も別の人からストックホルムでは...とかニューヨークでは...とか聞いたことがある。
ハイ。
日本人だから...と言われることがないように正確を心がけます!

ヴィクスタ・ラッセはカイサの家にもよく遊びに来ていたらしく、ヴィクスタ・ラッセの弓の持ち方や
スウィング感の出した方、弾き方の特徴など物マネしてくれた。
ヴィクスタ・ラッセは飽きっぽかったのかもしれない。
同じ弾き方、均一な弾き方などはしなかったらしい。
そして有名なEklundapolskaもヴィクスタ風に弾いてくれた。
この曲はヴィクスタ・ラッセが12歳の時に作ったのだそう。

21時頃、家の外にでると一面、畑の広がる低い空に太陽が見えた。
こんなに見晴らしがよいと全てが美しく見えます。
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