宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

韓国(花木)

2010年04月30日 22時18分57秒 | 韓国の旅
韓国の旅第12回は花木。

韓国は桜の季節であった。



さまざまに桜の名所があるらしく、花見も行われているとか。散歩してもバスの車窓からも桜をよく目にした。



でも、韓国というとやはり、ピンクの桜より、黄色が似合う。



この色に出会うと、他の花は色あせてしまう。



それほど強烈である。



ただ、この花が咲いていないところでは、ひっそりと



美しさを競い合う花たちが見られた。



植栽されたものか自生かはわからないが、


色々な花にめぐり合えた



存在感のあるハクモクレンや



梅の花など・・・。



次回、韓国を訪れるときは自然探索の旅としたい気分であった。



韓国国内ではハイキングのツアーがあるらしいのだが、日本人がが参加できるそうしたツアーがあればとも思う。


2010年大韓民国を旅して その12 花木 のフォトアルバムはこちらから

韓国(水原華城)

2010年04月29日 21時22分18秒 | 韓国の旅
韓国の旅第11回は水原華城。

人類の歴史の過半は争いの歴史である。人間は何故、争うのか。否、人間ばかりではない動物も植物も・・・。



自分の、あるいは、自分たちの遺伝子を一つでも多くこの世に残す。それが生物の基本であるとするならば、その遺伝子の拡大を阻む、あるいは利用するものが出てくる。これを、排除するために、争いが起きる。



その争いに勝ち抜くためには、群れをつくり、群れの中のいさかいを出来るだけ小さくし、外に対する力を最大にする。



水原華城を見ながら、そんなことを思った。



日本で城というと天守閣というイメージが強い



しかし、水原華城は、城壁で囲われた一つの街である。



城壁内の総面積130ha(東京ドーム約28個分)、城壁の全長は5.7km。一蹴するには2時間半程度かかるそうだ(我々は約4分の1を歩いた)。



城壁の上からもその概要をうかがい知ることは出来たが、



八達山の頂上にある西将台(華城将台、水原城の四方を監視しながら、兵士を指揮したところ〉から見ると、その詳細がもっと良く分かるだろうが、時間の限られたツアーではそれも難しい。



万里の長城もそうだが(実物には接していないが)、こうした、城壁を・・・という思いは強い。



朝鮮王朝後期(1794年)に第22代王・正祖がわずか2年8カ月の歳月で造り上げたのだそうだ。城壁だけでなく、楼閣など41の建造物が現存する。



ところで、韓国はアーチェリーの強豪。



城内には、弓の練習場があり、デモンストレーションを行っていた。



2010年大韓民国を旅して その11 水原華城 のフォトアルバムはこちらから

韓国(街歩きスナップ)

2010年04月28日 08時41分51秒 | 韓国の旅
韓国の旅第10回は、街歩きスナップ。

街歩きと言っても、ほとんどはバスで移動のツアーなので、実際に歩いたところは多くない。ほとんどはバスの中から見ただけ。



韓国の旅で、どこでも目にしたのが、この国旗。それも長年放置されて擦り切れたと言うのはなく、ほとんどが真新しい。ガイドに「この国旗はナンですか?」と尋ねたら、わかりきったことを聞かないでくださいというのか、それとも何で質問しているのかわからなかったのか、返事がなかった。



韓国は完全な車社会である。前回来たときにもその運転にビックリさせられたが・・・・。



より激しさを増しているように思った。片側5車線もある道路が頻繁に渋滞するのである。



地下鉄が網の目という状況になく、冬の寒さを考えると車で移動したほうがということもあるようではあるが・・・。



しかし、その道路で、唯一、スイスイと通れるところがある。高速道路のバス専用レーンである。一般車両レーンがどんなに渋滞していても、このレーンだけはスイスイである。観光客にとってはありがたいことこの上ないし、韓国に対するイメージも格段にアップした。



だが、それにしても、一般車両が割り込んで来たりしないのには驚かされる。街中の車の無謀とも思われる割り込みを見ている私には信じられなかった。



聞くと、韓国での交通違反は、減点と罰金があるらしい。通常の違反は、どちらかが課されるが、このレーン違反は減点と罰金の両方が課される重罰であるらしい。また、監視も厳しいのだそうだ・・・。



ところで、ソウル市を流れる漢江。その流れ美しい。あさ、散歩に出かけた。



川を挟んで見る街並みは美しい。と、傍らを自転車が通り過ぎた。漢江に沿って自転車専用のサイクリング道路が設置されている。これを利用して視点者で通勤している若者が多くなっているとも聞く。



朝のオフィス街にはコーヒーと簡単な朝食を売る屋台が出ていた。



旅行中、韓国のビールを楽しませてもらった。日本のビールもあったが、値段がね・・・・。



そうそう、韓国から日本に電話をと思って・・・、いえいえ、私の携帯は韓国でもばっちりつながりました。連れ合いの携帯は「圏外」になったようですが・・・。






2010年大韓民国を旅して その10 街点描 のフォトアルバムはこちらから

韓国(宣靖陵と奉恩寺)

2010年04月27日 10時04分28秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第九回は宣靖陵と奉恩寺。
共に江南にある。儒教の陵墓と仏教の寺院の複雑。

ソウル市は中央部に漢江が流れる。この漢江の北を「江北」、南を「江南」と呼ぶ。江北は古くから開けた地域で、市場など生活が息づいている。これに対して江南は、古くは農耕地帯。1980年頃から開発が進み、現在では高層アパートが立ち並部ほか、韓国の中心企業が本社や事務所を置くなど、韓国で最も富裕な人々が暮らす街となっている。



そのビル街の中に「宣靖陵」はある。上の写真の緑の森がそうで、なにしろ広い。



宣靖陵とは、朝鮮王朝9代目の王(成宗)の墓「宣陵」と11代目の王(中宗)の墓、「靖陵」があるところから「宣靖陵」と呼ばれる。



この公園は「三陵公園」とも呼ばれるが、これは、成宗の3番目の側室で中宗の母(貞顯王后)の墓もあることによる。



と、もっともらしいことを書き連ねているが、実は全く分かっていない。



ガイドが熱心に説明してくれるのだが、分かったことと言えば「でっかいなー」とか「この動物の像などを魔除けか」とか「こんなに広く緑の多い公園が近くにあったらいいなー。でも、宮代町は全体がこの公園のようなものだから・・・」とか。



ガイドの説明の時には、分かったつもりだった。でも、こうして、書き始めてみると、全部記憶が飛んでいる。ガイドブックを写すよりない。ならば、他の細かく書かれたガイドを見ていただいた方が良いわけで・・・。
と、いうことで、説明は割愛。



こちらは、宣靖陵の近くにある(といっても、歩くと15分程度は架かりそう。実際に歩いていないので良い加減)、仏教寺院の「奉恩寺」。794年に「見性寺」として開基され、「宣陵」を守る寺と位置づけられるとともに1498年に「奉恩寺」と名称を変更した。



ところで、韓国というと儒教の国というイメージだが、街を歩くと教会が良く目に付く。



韓国統計庁が2005年に発表したところによると、韓国の宗教人口は、無宗教が46.7%、仏教が22.8%、プロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%で、儒教は0.5%にとどまっている。



儒教は宗教かという論議は置くとして、儒教思想は韓国の社会規範、あるいは生活習慣の一部といった位置づけなのだろう。



ただ、仏教徒が多く、その信者の熱心さにはちょっと驚いたし、短い時間なので感覚でしかないが、日本の仏教とは違う世界といった一面も感じられた。



2010年大韓民国を旅して その9 宣靖陵と奉恩寺 のフォトアルバムはこちらから

韓国(食事・キムチ博物館)

2010年04月26日 08時07分09秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第八回は食事。
韓国の旅特集も8回目。いったいいつまで続くんだと怒られそうだが、旅の楽しみの一つは、食。これを抜いては、旅の報告にならないので・・・・。



と、言っても、相変わらず書くことはない。



男は黙って、作物を作ってくれた人そして料理を作ってくれた人に感謝して食するもの--という風土の中で育ってきた。西郷隆盛を見ろという分けである。



だから、味その他について論評を加えるほどボキャブラリーを持ち合わせていないし、自分の舌に全く自信がない。というより、味には好みがある。それゆえ、誰かが美味しいと言うとその店に行列が出来ると言うこと自体が不思議でならない。



で、韓国というとニンニクと唐辛子というイメージ。



それと、鋏をきように扱うということ。



その程度の知識しかない。



で、現場に赴くと・・・、見た目は辛そうだが意外にすんなりと味わえた。



キムチは、常にお代わりを要求するほど・・・・。



ならば、ということで、コースにはなかったのだが、キムチ博物館(ソウル特別市 江南区(カンナムク) 三成洞(サムソンドン) COEXB2F、入場料成人 3,000W )を訪ねた。



キムチについての歴史から学術的(?)なことまで全てわかる(らしい。ハングルがわかれば)



で、ここで、ビックリしたのは、キムチは乳酸発酵製品でトウガラシの有無は関係ないということ、むしろキムチがトウガラシで赤くなったのは日本からトウガラシが伝えられたからで、歴史的に見るとそんない古くないということ。



勉強になった。試食も出来るらしいのだが、このときの入館者は私を含めて2組。わずかな入場料で試食までしては博物館の経営を圧迫してしまいそうなので見送った。


2010年大韓民国を旅して その8 食・キムチ博物館 のフォトアルバムはこちらから

韓国(民俗村)

2010年04月25日 09時35分52秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第七回は民俗村。日本に例えるなら明治村とか江戸村とかいうことになるのだろうが・・・・。
私にとっては、どこかで過去に暮らした村、そんな感じを受けた。



無論、私がこの村の時代(主に朝鮮時代後期)に身をおけるわけではないし、韓国に住んだこともない。



なのに、この感覚は何なのだろう。



街並みからいけば、現在のソウル市内の方が私には違和感がないはずなのに



こっちのほうが、近い感じがするというのは・・・。



単なるノスタルジーと言ってしまえばそれまでだが・・・。



今の文明は短時間に発展しすぎたために、人間性の違いをことさらに際立たせる結果となっている。



それは、各国の文化の違いという形で表わそうとしているのかもしれない。



しかし、この民俗村に見られるじっくりとした時間の流れに基づいた文化は、人間としての奥底の部分で触れ合える



それだから、すんなりと受け入れられるのだ



と思いながら、約30万坪の広さに朝鮮時代後期の生活像を再現した伝統家屋260棟余り、3万点の民俗資料の一部を見て回った。



農家、民家、役所、書院、漢方薬房、書堂、鍛冶屋、貴族「両班(ヤンバン)」の屋敷などなど。



だが、民俗村を後にするとき門の脇の「檄文」を見て愕然とした。もしかして、この民俗村ではハングル文字がほとんど見当たらなかったのが、私を容易にタイムスリップさせた一番の原因だったのでは・・・と。

帰国後、あわててネットでハングル文字の起源を調べてしまった。



2010年大韓民国を旅して その7 韓国民俗村 のフォトアルバムはこちらから




韓国(出会った野の花)

2010年04月23日 09時48分48秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第六回は野の花。

旅に出たのは4月12日。異常気象は韓国も同じで、かなり寒かった。
もう少し花を期待したのだったが、いまひとつ、しかし、十分に楽しめた。



韓国はスミレの季節だった。



日本の花さえまともに名前がわからず、避けて通っているので、あえて、名前は・・・・。



あちこちの見学場所で、各種のスミレに出会った。ただ、時間がないので、しゃがみこむことが出来ず、上からパチリという杜撰な撮影。



イヌナズナは、宮代町で撮影していないので、カメラを向けた。



タンポポも仔細に見たかったが・・・・。



フキノトウは植栽されたものか自生かは不明。



ムラサキケマンはこれからという感じで、あちこちでこれから野を彩る感じだった。



ホソバエンゴサクの仲間かなと思うのですが・・・・。



スズランは芽吹いたばかり。



ケマンソウ(タイツリソウ)でしょうか。植栽かどうかは不明。



オキナグサでしょうか。多分、植栽。



それにしても、たくさんの花を楽しむことが出来た。願わくば、もう少し、時間が欲しかった。


2010年大韓民国を旅して その6 野の花 のフォトアルバムはこちらから

韓国(宗廟)

2010年04月22日 11時29分41秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第五回は宗廟。

宗廟とは、「祖先、特に君主の祖先の霊をまつった建物。みたまや」(大辞林)ということで、ウィキペディア(Wikipedia)によると「台湾の台中にある林氏宗廟や、世界遺産に登録されている朝鮮王朝の李氏宗廟が有名。または日本に適用して、伊勢神宮・石清水八幡宮のこと(二所宗廟)」とされている。その「李氏宗廟」をたずねた。



朝鮮王朝歴代の王と王妃、およびに没後に位を贈られた王と王妃の神位(位牌)が安置されている。



19人の王とその王妃の位牌49位を19室に安置している建物(正殿)は何しろ大きい。カメラに収まりきれない。コンパクトデジカメのワイド側でやっとおさまった。



儒教思想に基づき造られた霊廟ということか、きらびやかな全くなく、扉も閉じられているので、物見遊山的な目で見る私には、ただ大きさだけが印象として残った。



植えられた木々や野草が春を感じ始めたかのように咲き競い、美しさを添えていた。



それぞれの建物やその詳細については、専門の紹介に譲るとして



見学するのに「三道」ということは知っておいたほうが良いようである。



外から大門をくぐって、中に入ると、石が敷かれた道がある。その道は中央と左右の3つの部分分けられている。中央の部分に「ここを歩かないで(多分そういう意味)」の看板が置かれている。中央の道は「神のための道」で「神路」だからということだ。また左右の道の東側は「王が通る道」で「御路」、西側は「皇太子が通る道」で「世子路」というそうだ。



太祖の4代祖(穆祖、翼祖、度祖、桓祖)と正殿から移安されたりした王と王妃の位牌、没後に称号をを贈られた王などの位牌34位を16室に安置している建物(永寧殿)もこれまた大きい。



永寧殿前の石畳を清掃している人たちがいた。



韓国はスミレの季節であった。石畳のスキマから芽を出したスミレなどを除草していた(下の写真 中央したの石の間からスミレが顔を出しているがお分かりになりますか)。



ところで、宗廟では毎年5月の第1日曜日に、朝鮮王朝時代から続く「宗廟大祭」が行われる。



そのスケールは韓国最大の伝統行事と言うことだそうだが、残念ながら、それに接することは出来なかった。


2010年大韓民国を旅して その5 宗廟 のフォトアルバムはこちらから

韓国(南大門市場)

2010年04月21日 08時21分15秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第四回は南大門市場。
他の観光スポットは知らなくても、この市場だけは名前を聞いたことがある。



観光協会のHPによると1日50万人が行き来するとあるが、あながちオーバーではない。活気に溢れた街である。



この市場に立つと、人間の生活は食と衣という感じが強くする。



たくましく食べる食



海の幸



野の幸



そして、上手な調理と



楽しい雰囲気での食。



この南大門市場には、人間の原点があるようにも感じた。



南大門市場は卸売りの世界でもある。紙の専門問屋。



ちょっと楽しいグッズも。



衣の専門問屋が並ぶ中で、露天でミシンを踏む姿も見られた。



ところで南大門を象徴するあの門は現在、放火からの復旧工事が進められている。


2010年大韓民国を旅して その4 南大門市場 のフォトアルバムはこちらから。

韓国(昌徳宮)

2010年04月20日 15時48分59秒 | 韓国の旅
韓国の旅、第三回は朝鮮王朝第二の王宮「昌徳宮」。
正宮「景福宮」の離宮として創建され,
創建時の面影を残している宮殿で、正門にあたる敦化門は大韓民国最古の門といわれる。
李朝時代の王朝庭園である「秘苑」を持ち、美しい景観であるのだろうが、残念ながら寒さに凍えながらの見学。その美しさを十分に味わえなかったのは残念。



この度は、さまざまな側面を見ながら、さまざまな想いを感じながらで接してみようと思ったが・・・。この日は寒かった。韓国も数十年ぶりの4月の寒さということで、さまざまな想いを感じる余裕もなく、ただ、建物を眺めるだけとなった。



建物の大きさ、規模の大きさに口を空けたまま、見入った。



近く、方式が変更になるらしいのだが、見学するには時間が決められ案内ガイドと共に歩く。私たちが案内を受けたときは、日本人観光客がなんと300名ほど。二班に分かれての案内となった。



だからというのでもないが、意識が分散する。ガイドの説明はほとんど耳に入らない。帰ってきてパンフレットを読み直してみて、初めてわかったことが多い。



これで、色々な側面から・・・、など所詮無理。



事前勉強をしていくべきだろうが・・・・。



それも、今となっては・・・。



ということで、何を見てきたkというと・・・。



建造物と花



美しい景観



子供と触れ合って(身振り手振りで撮影許可をもらって)



寒さに震えて終わった。


2010年大韓民国を旅して その3 昌徳宮 のフォトアルバムはこちらからどうぞ。