宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

琵琶塚古墳(栃木県小山市)

2011年06月26日 09時36分38秒 | gooな場所


魔利支天塚古墳から降りて案内板を見ると、ここから400mほど西に琵琶塚古墳があるという。



3分ほど歩いた所。
左に曲がって200mで琵琶塚古墳。



右側は林、左側は畑の道を進む。



林の中に、いや林そのものが古墳のようだ。



ここも典型的な前方後円墳。



先に見た魔利支天塚古墳よりほんの少しだけ規模が大きそうだ。



前方側から登る。
下草が綺麗に刈り取られ、草の香りがする。



埼玉県行田市の古墳との違いは、この何百本という杉が植えられているため傍から見るとただの鬱蒼とした林にしか見えないこと。



前方側の頂にある切株が、「どうぞお座り下さい」と言わんばかり。



切株に座り、いま登ってきた道を見下ろす。



切株での小休止の後、今度は尾根伝いに後円側へ。



1分ほどほぼ水平に進んで、高さ2mほどの坂を登ると後円側の天辺。



天辺にある、富士山をかたどった祠。



聴こえてくるのは鳥の声だけ。
小山市北西部の思川近くのこの辺りはとても静かで、栃木県第二の都市とは思えないぐらいである。


(写真と文 by pokkunさん)

権現堂桜堤のあじさいまつり(幸手市)

2011年06月16日 21時58分10秒 | gooな場所


権現堂桜堤の「あじさいまつり」は、もうすでに4日から始まっている。



どうせ見に行くのなら雨の日がいい。
そう思っていたのだが、なかなかタイミングに合わず今日(6月12日)出かけた。





















咲き具合は三分から四分といったところ。
写真の撮り頃は今の雨の日かと思われるが、色付く花の見頃はまだまだこれから。




(写真と文 by pokkunさん)

摩利支天塚古墳(栃木県小山市)

2011年06月11日 21時22分10秒 | gooな場所


遠足の途中に発見した道標。
「魔利支天塚古墳」が近くにあるという。



近くにあったのは「魔利支天尊」なる神社の鳥居。



鳥居の傍にあった案内板。
1500年も前の前方後円墳で、栃木県で最大級とのこと。



長さは120m弱、高さは10mほど。



早速登って見ることに、と思ったら先客がいる。
へんなオジサンに間違えられないように間を空けて登る。



二の鳥居は、「前方後円」の「前方」の部分にある。



「前方」を過ぎると「後円」が目の前に。
写真は後円の中心から左側の部分。



こちらは、後円の中心から右側の部分。



そして、「後円」の一番高いところ。



階段を登ると灯篭が倒れていた。
三月十一日の震災によって倒壊したようだ。



「後円」の天辺に建つ魔利支天尊社拝殿。



拝殿上部の様子。



拝殿の建つところは、周りより10mほど高くなった、いわゆる後円の部分。



拝殿の前から見る「前方」方面。
「前方」は、こちらより3mほど低い。



古墳の周りにあったと言われる堀は、草が生い茂ってしまった今ではもう分からない。



「魔利支天塚古墳」は、JR東北線小金井駅から真西へ小一時間のところ。
住所は栃木県小山市であるが、北側には下野市(旧国分寺町)の風土記の丘が隣接する。


(写真と文 pokkunさん)

行幸湖周回(19)(埼玉県幸手市)

2011年06月01日 09時05分40秒 | gooな場所


丁度12時。
行幸湖の大噴水から水が噴き出し始めた。



徐々に高く吹き上がる噴水。
そのとき、飛沫の中に虹が見えた。



噴水を北に見て、背中側に太陽が位置している。



飛沫が風にあおられると虹の位置も変化する。



撮影位置を少し変えるだけでも変化する。



見ていて飽きない光景。



まだまだここで見ていたい光景だが、さらに行幸湖左岸を下り画面左の展望台に登ることに。



展望台に登るスロープからも噴水が見えている。



展望台は、幸手市が設置したもの。



展望台から見る大噴水。
ここからだと、水の天辺近くに虹が見える。



噴水から西に目を移すと行幸給排水機場。



さらに南に目を移すと正面が権現堂桜堤。
画面左には、今回の行幸湖周回のスタートになった外野橋。



現在地の最終確認。
行幸給排水機場から右岸を登り利根川まで、利根川から左岸を下り行幸給排水機場まで往復約10Km。
のんびり歩いてみると、気付かなかったもの、珍しいもの、不思議なもの等が見えてくるものである。
今になって思えば、標識や案内板には「権現堂調節池」と書かれ、給排水機場や水門には「行幸湖」の名が付けられ、市民からは「権現堂川」と呼ばれ、橋の欄干には「権現堂川」と書かれていることに興味を持ったのが、今回の行幸湖周回のきっかけであった。