宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

青柳新橋? 開拓橋?(久喜市)

2008年02月23日 19時11分34秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
前回で紹介した琴平神社から、JR東北本線沿いを久喜駅方面に進み
案内板に従い沙汰踏切を渡って西に進む。



沙汰踏切は、東京から46.96Km。
踏切を越えると、100mほどで東北新幹線の下をくぐる。
その先100mほどの所に案内板があり、案内のとおり今度は右に曲って進む。



備前前堀川に架かる橋が見えてくる。
まだ新しく、綺麗な橋である。
橋のたもと(画面左)には休憩所も作られている。




せっかくの休憩所なので、走る新幹線を見ながら一服。
と、思ったのだが、新幹線方向はこの景色。



東北新幹線MAX号が、ゴミのトンネルの中へ入って行くように見えるのである。
うー・・・む・・



なるべくゴミの山の方を見ないようにしながらの一服。



川の名前は、備前前堀川。
下流の宮代町で、大落古利根川に合流している。



橋の名前は、青柳新橋。
久喜市大字青柳に作った
新しい橋ということなのでしょう。
でも・・・何かおかしい。
ロード案内の地図を確認する。



案内の地図には「開拓橋」とある。
踏切を渡り、新幹線をくぐり、右に曲がって最初の橋だから場所はここに間違いない。
うー・・・む・・・・
腕組みをして、本日二回目の唸り声。
ライン上りやルート歩きでは、地図と現地との違いはたまにあったのだが、こんなに身近な所にもあったとは。



(写真と文 by pokkun)

琴平神社(久喜市)

2008年02月16日 17時05分34秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
先に歩を進める前に、地図を良く見てみる。
どうやら、違う用水堀に向かうようだ。



一般道利用区間へ入り、備前堀川道地橋まで来ると、圏央道の工事区間に入る。



道地橋を過ぎると、すぐ右側に琴平神社が見えてくる。



この辺りでは、「こんぴら」と呼んでいるようだが、「ことひら」が正解のようである。



賽銭を投げ入れて上を見ると、この面が睨みつけている。
子供にとっては、怖い存在なのかも知れない。



拝殿左に、石が並んでいる。
三百年も前の力比べの石である。



詳しくは、この案内板を読んで欲しい。
(なるべく文字を少なくしたいのでご協力を)



この石には、「宝永七年」「二八貫」と、彫り込まれている。



こちらは、「宝永三年」とある。
「三六貫」とあるから、今でいう130Kgぐらい。
これを持ち上げられるのは、相撲取りぐらいではなかろうか。



三百年前にどっぷりと浸かり太田袋琴平神社を辞すると、スペーシアが走って来るのが見えた。
ちょっと前なら不思議な光景だが、今ではJR東北線をスペーシアが走っていても不思議には思わなくなった。
バックには工事中の圏央道の橋脚がみえるが、東北線を超えるにはかなりの高さが必要だろうと思われる。
耐震設計はきちんとして欲しい、などと余計な心配をしつつ先へ進む。




(写真と文 by pokkun

久伊豆神社(白岡町)

2008年02月14日 05時44分12秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
前回は、白岡町と久喜市の境界あたりで、ふれあいロードと一般道路の共用になるという案内があるところまで。
案内の通り久喜市役所方面に行くのも良いが、そう言われると、そうしたくないのがヘソ曲がり。
少し寄り道をして、反対方向の白岡方面へ行ってみることにする。




案内とは反対に、左に曲がり右に曲がるとJR東北本線の第二高岩踏切にでる。
ここは、東京から46Kmの地点である。
踏み切りを超えると、右手に神社がある。
新井白石ゆかりの久伊豆神社です。



この辺りは、旧野牛村といい騎西領であったが、玉敷神社から久伊豆大明神をここに分祀して村の鎮守にしたのだという。
徳川六代将軍家宣の頃(宝永年間=1710年頃)で、白石は、埼玉郡500石を幕府より賜ったという。
社殿の扁額は白石が奉納したもので、白石と交友のあった朝鮮通信使の書によるものであるという。
現在、この扁額は白岡町の指定文化財になっている。



新井白石が、この辺りを領地にしていたとはまったく知らないことでした。
ちなみに、二枚目の写真で画面左側の歩道の下には白石が治水のために作らせた「白石堀」が流れているのだという。



本殿右側には、大権現、大黒天、稲荷大明神など六社が合祀されている。



本殿の裏側には、石を積んで山にした八海山御嶽神社がある。



石像と社殿。



やっぱり歩いてみるものである。
歩いてみなければ、分からない史実。
目からウロコであった。

(写真と文 by pokkunさん)

宮代町から白岡町へ

2008年02月10日 20時56分31秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
水と緑のふれあいロード宮代町編を先に紹介したが、私のHPの掲示板「宮代自然図鑑掲示板」に、いつも投稿していただいているpokkunさんから、宮代町から続くルートについて、投稿していただいている。
pokkunさんは、「こちら久喜青葉公園前研究所」とのHPを開設し、囲碁、無線、川柳と多彩な才能を存分に発揮するコンテンツを展開中です。また現在、「ライン上り~渡良瀬川」を掲載中など、ルート歩きを行っておられます。
pokkunさんに、了解を得たところ、宮代町から続く水と緑のふれあいロード記の投稿分を「転載してもかまわない」と快諾していただいたので、水と緑のふれあいロード2として、宮代町から続くルートを紹介させていただきます。


宮代町から白岡町へ


昨年夏、東武動物公園脇からここまで散歩した。
今日は、さらに上流側を散歩してみようと思い立った。
前回の続きなので(2)とさせていただいた。



御成街道沿いにある西粂原鷲宮神社。この神社については、NURIさんが「宮代点描」11月から12月にかけて詳しく紹介されているところです。



今回は、狛犬も注連飾りなどをつけておりますので、もう一枚。



神社やお寺では、銀杏の木は付き物。
その銀杏の木の根元から伸びたツツジが妙に記憶に残りました。



さて、ここからが今回の散歩の分です。
用水堀に沿って上流へ進みます。
遠くに見えるのは新白岡の家並みです。



進行方向右手の畑の向こうに衛生組合の煙突が見えます。



左前方の風景です。
手前の宮代は田園風景。
その向こう側の新白岡は、近代的な建物が建っています。
その対比の表現に困ります。




1時間足らずで、右岸に池が見えてきます。
新白岡中継ポンプ場です。




足元を見ると、起点から20Kmの表示。
起点まで歩けるもんなら来てみなさい。
と、誘われているような感じです。



さらにこんな案内板。
ここで用水堀から離れて右へ進めというのです。
しかも、一般道とふれあいロードの共用区間だというのです。
いったいなぜなのでしょう。
こうなると、先を急ぎたい・・・
でも・・・この先は、また次回。




(記事および写真 pokkunnさん)

トラスト保全林

2008年02月06日 14時52分32秒 | 宮代の遊歩道(農のみち)
現在の場所の確認から。ここです。

傍らを見ると、



水路の水が二手に分かれて流れるようになっています。
反対から見ると



なんだろうと思って見回すと



こんな看板が。

宮代町は「水面に映える文化都市」を標榜しており、綺麗なせせらぎを確保する動きを強めています。
そのために色々な取り組みを行っており、この施設もその一つ。
看板によると、NH式浄化システム(アオコの発生原因となる水中の栄養源(窒素・リン)を極低濃度の状態にする)で、雑排水を綺麗にする」もの。

新しい村では、「水面に映える文化都市」を具体的に示すためとして、ポタルの飛び交う環境を目指しているようだ。そのために、水路に竹炭を入れたり、水路や池に外来種の植物を植えたり色々なテストを行っている。

ただ、現実的には、こうした活動にありがちな、理想と現実のギャップは、新しい村にもあり、ここから、わずか数歩歩を進めると、こんな情景もある。



ところで、ここから右側の雑木林の状況が、これまでとは違うことに気付かれるだろう。



ロープで囲われた中に木材チップのしかれた遊歩道が通り



下草が変え鋳込まれ笹が生えている。
一見して手入れが行われているのがわかる。
この、散歩をスタートしたところの雑木林と比べると、その違いは一目瞭然である。



緑のトラスト保全第5号地・山崎山の雑木林。
さいたま緑のトラスト協会のHPによると「本地域は、大宮台地が低地と接する位置にあり、そこに残された「山崎山の雑木林」は、都市化の進展する県東部地域では貴重な存在となっています。面積は、13,216平方メートルで、イヌシデ、アカメガシワを主として、クリ、コナラ、アカマツなどが混在しています。周辺水路では、ヘイケボタルやカワセミの生息が確認されています」とある。