宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

武蔵松山城址

2013年09月30日 19時22分29秒 | gooな場所



吉見百穴の南隣の山は、山そのものが武蔵野国松山の城跡だという。
 


上杉、武田、北条の争奪戦。
戦国末期に豊臣氏により落城・・・・

 

山の西側(画面左下)から本丸を目指す。
 

先日までの雨のあとが残っている道を上へ上へと本丸を目指す。

 

かなり急な道である。
道というより沢というのかも知れない。

 

休み休み登ること15分。
やっと着いたのが本丸の跡地。
 

かつて本丸であったということを示す、
案内板がなければ誰もそうだとは思わないだろう。
 

本丸の中ほどから西を見る。

 

眼下に広がるのは、東松山市内の駅方面の景色である。

 

昇り始めたのは西側(画面左下)からなので、最初に着いたのが本丸(本曲輪)なのである。
西には市野川、東松山市内。
北には吉見百穴(埋蔵文化センター)がある。
 

本丸から北東に向かうと深い堀があった。
その向こう側には平地が見える。

 

二ノ曲輪と書かれた杭がなければ、
ここが二の丸だった所とは気付かない。
 

さらに堀を下って、また上って・・(これが結構きついのだが)
 

三ノ曲輪
 

さらに堀を下りて昇って四ノ曲輪。

この武蔵松山城址は国の史跡である。
しかし、本丸も二の丸も草茫々で目印がなければそれと分からない状況である。
が、そのほうが来る人が少なくて史跡保存のためには良い事なのかも知れない。

 
(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(44)・大宮第一調節堰

2013年09月19日 21時12分17秒 | gooな場所



ここから下流側は住宅地ということもあり、橋と橋との間隔が近い。
海崎橋から次の橋までわずか1分。



入山橋には水道管も併設されている。



水道管との隙間からは、
すぐ下流側の橋がすぐそこに見えている。



数十mで諏訪橋。



さらに下流にある膳棚橋(ぜんだなはし)までもおよそ1分である。



さらにそこから約1分で中島橋。
ここで、右岸側の住所が見沼区春岡に変わった。



橋のたもとにあるゴミの集積所が、妙に住宅地の生活感を醸し出している。



中島橋から下流へ数mの右岸にある案内板。
ここは大宮市(現さいたま市見沼区)深作で、上流の利根大堰から36Kmのところ。
そして、下流側の川口グリーンセンターまで
17.9Kmであることを示している。



つづいて稲荷台橋。
右岸側の住所は見沼区春岡である。



道に覆いかぶさるクズの花の下を、さらに下流へと右岸側をひたすら進む。

どこにも橋の名前が書かれていない、いわゆる名無橋である。



また橋があるのか、と思ったのだが脇に小屋があるので橋とは違うのかも知れない。



近づいてみると、やっぱり橋ではなかった。



沼代用水路が、二つに分けられているようである。



しかし、下流側ではまた一つになっている。
これでは流れを二つに分ける意味がないのではないか。



この施設は大宮第一調節堰であった。
一つの流れを複数に分ける分水工ではなかった。



ここでは、流れを分けているのではなく、堰を調節することで流れを調節しているとのこと。
海崎橋からここまで六つの橋があったが、おおよその距離は400mぐらいであるから、400÷6=66mほどの間隔で一つの橋がある計算。
暗算でも計算ができたので気持ちよく下流へと下る。

 

(写真と文 by pokkunさん)


吉見百穴

2013年09月12日 19時46分10秒 | gooな場所



市野川を右岸から左岸へ渡ろうというところ。



場所はここ。
東松山駅から真直ぐ東へ40分ぐらいの所。(地図中央の②のちょっと左の所)

橋の真中を過ぎると吉見町。
百穴に行くには左に曲がれと言っている。
ここに来る事になったのには訳がある。
吉見百穴は、ホントは幾つの穴があるのか?
その検証に来たのである。



吉見百穴は国の史跡に指定されている。
そのために入場料をいただくのだと言う。
ついでだが、百穴は「ひゃっけつ」ではなく「ひゃくあな」というのが正しい読みだという。



入場料は300円。



これはこれは驚いた。
ひと山全部が穴だらけである。
が、ひとつひとつ数えなければならない。



この穴の数を数えるのは容易ではなさそうだが・・・



穴の数を数えながらも、さらに聞かれそうな事柄も暗記する。



山の上へと階段を昇る。



こんなことも聞かれそうなので読んでおく。



さて、数えたのは幾つまでだったか?



64だったか55だったか。
いや、60は超えたような気もする。



そうこうしているうちに、中腹より少し上あたりに到着。
東松山駅方面がよく見える。



ベンチに腰を下ろして小休止。
何気なく見たパンフレットで大発見。
なんと、穴の数は219個であると書かれている。
わざわざ数える必要などなかったではないか。
まぁまぁ、なにはともあれ、これが分かれば一安心。



穴の数は分かってしまったので、これから先はのんびりと見て回ることに。



戦時中は軍需工場として使われたという。



中へ進むにつれて、だんだん涼しくなってくる。



数十m進んだところで分かれている。
まだ奥へ進むのは可能であるが、背筋が涼しくなってきたので無理をせずに外に戻る。



数える必要がなくなったので気が楽である。



別なルートからもう一度山に登る。



もうすでに電柱より高い。



こんな急な斜面に、



はるか太古の昔に、



よく穴を掘ったものだ、と思う。



だが、貴重な史跡だというのに落書きをするお馬鹿さんがいることは残念である。



今日、ここに来て分かったこと。
吉見百穴の穴の数はホントは219個。
なので、正確には「吉見219穴」である。
日常の生活で役に立つことはないが、現地まで足を運ぶこと、そして数を数えること、それら自体がボケ防止の一つになるかも知れない。

 

(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(43)・覚蔵院

2013年09月10日 08時59分04秒 | gooな場所

大学専用の橋を過ぎたあたりからは、見沼代用水はカーブしながら住宅地を流れる。



数分ほど下ったあたりで、右岸に大きな屋根が見え隠れする。
お寺の屋根のようである。



さらに数分下ると、海崎橋(かいざきはし)に着く。



道路を渡って海崎橋の上流側を振り返ると、右岸の「緑のヘルシーロード」のすぐ脇にも道がある。
この道を行けば、先ほどの大きな屋根の所へ行けそうな気がするので行ってみることにする。



予想は的中した。
海崎橋から数分の所にお寺があった。



お寺の名前は「覚蔵院」です。



門前には庚申塔や馬頭観音があります。



石碑の下の方に彫られている、この辺りの旧地名、「深作村」の文字。



覚蔵院本堂。
本堂のすぐ裏側は見沼代用水です。



左側から見る本堂。



右側からみる本堂。



境内にいると、異空間に来たようです。



タイムマシンで100年も200年も昔に来たような。
いやいや、そんなことは現実にはありえない。
おそらくは、雑踏の中からそれのない所に来たからであろう。



覚蔵院で一休みさせていただいた後は、海崎橋からさらに「緑のヘレシーロード」を下る。


(写真と文 by pokkunさん)


一番花確認 幸手・権現堂 彼岸花

2013年09月07日 20時23分30秒 | gooな場所

 

 

9/7の権現堂です。
彼岸花の芽はまだでしょうか。


 
よく見ると・・ 所々で芽が出てきています。(画面右下)



こちらでも



黄色いリコリスのそばでも



芽を出しさえすれば、1日に10センチぐらい伸びて



60センチ前後になると花が咲くそうですから、そろそろここにもガードロープが設置されるでしょう。



雨で土が流れて球根が露出した所ですが、期待していた球根からの芽は出ていませんでした。



9/1に来た時に、60センチぐらいになっていた茎には白い花が咲いています。



ツボミでは分からなかった花の色は白でした。
白い花の向うに紅い花が見えました。



花が咲いているように見えますが



やっぱり咲いていました。
これが今年の彼岸花の一番花です。

 

(写真と文 by pokkunさん)