六花を出て、ふれあいロードに戻りましょう。
最初に交差する道路がふれあいロードです。
そこでふれあいロードを進むのも良いのですが、もう一ヶ所寄り道をしましょう。
今度は、ちょっと、ロードから離れているので、地図を良く確認してください。
向かう先は、辰新田集会所。
場所は、ここです。
この集会所には、安養庵という弥陀如来を祀った庵跡と、浅間神社という神社さらには富士塚があるという、なんとも興味深いところなのです。
広い場所ではないので、見落とさないでください。
安養庵は、かっては、現在の藤棚のあたりに草葺のお堂が建てられていたが、(宮代町が設置した「まちしるべ」の掲示板より。以下同)
現在は、集会所内に祀られている。
宗派は真言宗で、本尊は弥陀如来。
また、安養庵には、大師様(弘法大師)も祀られており、田植えの時期を除く毎月14日にシンゴン・シンゴンオトキが行われていた。これは、大師さまに花を供え、太鼓を叩き観音経をあげるという行事である。
浅間神社は、昭和49年に辰新田集会所と棟続きで建てられ、今の姿となった。祭神は木花咲耶姫命を祀る。
富士塚は、土を盛り上げて塚を築いたもので、このあたりでは「センゲンサマ」と呼ばれている。
富士の人穴を母の胎内になぞらえた子育て信仰があり、毎年7月1日は、初山と称して子どもたちの成長を祈るため、生まれたばかりの子どもを連れてお参りをする。
この初山のとき、ミヤマ(三山)といって、杉戸の「河原の浅間様」、山崎の「赤松浅間様」、そしてこの地の浅間様の三ヶ所を参拝する習わしがある。
今年の宮代町の広報誌には、現在も初山が行われている様子が紹介された。
道草が多くなったので、先を急ごう。
先のふれあいロードに戻ろう。
ただ、こうした神社仏閣の類に興味のある方は、ふれあいロードまで戻らず、その手前の道をふれあいロードに沿って歩こう。
この道である。
地図に摩利支天神社の字が表記されているが、この付近の皆さんは昔からの方が多く、屋敷神を祀っているところが多い。外部から、見ることができるものを、紹介しよう。
ぶらりと歩きながら、これらをみて、最初の十字路で、ふれあいロードに戻ろう。
ふれあいロードに戻ったところにある家にも、屋敷神が。
川まで出て、手前の川岸をバックすると、田のあぜに
馬頭観音が。
そしてその先には、出てきた六花が・・・。
さて、いよいよ、散歩に集中しようと思うが・・・・。
(以下 次回)
最初に交差する道路がふれあいロードです。
そこでふれあいロードを進むのも良いのですが、もう一ヶ所寄り道をしましょう。
今度は、ちょっと、ロードから離れているので、地図を良く確認してください。
向かう先は、辰新田集会所。
場所は、ここです。
この集会所には、安養庵という弥陀如来を祀った庵跡と、浅間神社という神社さらには富士塚があるという、なんとも興味深いところなのです。
広い場所ではないので、見落とさないでください。
安養庵は、かっては、現在の藤棚のあたりに草葺のお堂が建てられていたが、(宮代町が設置した「まちしるべ」の掲示板より。以下同)
現在は、集会所内に祀られている。
宗派は真言宗で、本尊は弥陀如来。
また、安養庵には、大師様(弘法大師)も祀られており、田植えの時期を除く毎月14日にシンゴン・シンゴンオトキが行われていた。これは、大師さまに花を供え、太鼓を叩き観音経をあげるという行事である。
浅間神社は、昭和49年に辰新田集会所と棟続きで建てられ、今の姿となった。祭神は木花咲耶姫命を祀る。
富士塚は、土を盛り上げて塚を築いたもので、このあたりでは「センゲンサマ」と呼ばれている。
富士の人穴を母の胎内になぞらえた子育て信仰があり、毎年7月1日は、初山と称して子どもたちの成長を祈るため、生まれたばかりの子どもを連れてお参りをする。
この初山のとき、ミヤマ(三山)といって、杉戸の「河原の浅間様」、山崎の「赤松浅間様」、そしてこの地の浅間様の三ヶ所を参拝する習わしがある。
今年の宮代町の広報誌には、現在も初山が行われている様子が紹介された。
道草が多くなったので、先を急ごう。
先のふれあいロードに戻ろう。
ただ、こうした神社仏閣の類に興味のある方は、ふれあいロードまで戻らず、その手前の道をふれあいロードに沿って歩こう。
この道である。
地図に摩利支天神社の字が表記されているが、この付近の皆さんは昔からの方が多く、屋敷神を祀っているところが多い。外部から、見ることができるものを、紹介しよう。
ぶらりと歩きながら、これらをみて、最初の十字路で、ふれあいロードに戻ろう。
ふれあいロードに戻ったところにある家にも、屋敷神が。
川まで出て、手前の川岸をバックすると、田のあぜに
馬頭観音が。
そしてその先には、出てきた六花が・・・。
さて、いよいよ、散歩に集中しようと思うが・・・・。
(以下 次回)