宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

ゴールだが・・・

2008年06月17日 16時28分29秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
三間樋跡から、さらに上流へと向かう。
時間にして10分ほど進むと橋が見えてくる。



前方は行き止まりなので、案内の通り右に曲がって新橋を渡る。



新橋を左岸に渡りきる前に、橋の中央から下流をながめる。



同様に上流をながめる。
大きな水門が見える。
あそこが見沼代用水路からの分水工ならばこれでゴールである。



新橋を渡りきると、左岸は公園になっている。
公園内の道を進む。



しばらくぶりに見る案内地図。



やはり、ここがゴール。
いや、ふれあいロードとしては下流に向かってのスタートである。
北は加須市、西は行田市、南は川里村。
川里村は、現在鴻巣市になっている。



ここをくぐればゴール。
5,4,3,2,1・・



ふれあいロードに関するHPで何度か目にしたスタートのゲート。
今回は、ここがゴールである。



騎西領用水路分水工。
画面右が見沼代用水路左岸で左が騎西領用水路の下流方面。
橋は元圦橋。



元圦橋から分水工を仰ぎ見る。



見沼代用水路下流側から騎西領用水路分水工を見る。
画面右が見沼代用水路左岸。



分水工越しに見沼代用水路の上流を見る。
すぐそこに橋が見えるので渡って右岸に行ってみようと思う。



見沼代用水路に架かるのは山王橋。
山王橋の真ん中から下流の分水工をみる。
画面左側が騎西領用水路の分水工で、
さらに左側が下流側である。



山王橋を渡ると右岸側は川里村(現在は鴻巣市)である。
正面が騎西領用水路の取り込み口。
宮代町の東武動物公園脇から25.5Kmの地点である。
距離の割りには、随分時間がかかったと思う。
が、近隣の名所旧跡を訪ね歩いて色々と学ぶところが
あったことは今後においても無駄にはならない事と思う。
これで、ふれあいロード歩きは「ひとまず」のゴールをみたが、ふれあいロードは実はもうひとつのコースが存在するのだという。




(写真と文 by pokkun)


三間樋跡(埼玉県騎西町)

2008年06月12日 21時54分16秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
少し遠い寄り道の後、ふれあいロードに戻る。
多ケ谷小学校前からふれあいロードを上流へと進む。
最初は北西に進み、大きくカーブをして南西に進む。
10分ほどで右岸に公園が見えてくる。



三間樋跡という案内板があった。
どうやら、三間樋という取水口があった跡地を公園化した場所である。



呑口は上流側だと思われる。
寸法の単位は尺で書かれているが、6尺が一間であるから幅は約三間になる。



吐口は下流側。
明治35年の図面とあるが、レンガ造りのモダンな水門であったろう。



公園内にある三つの記念碑。
真ん中は合併記念碑。
左と右は竣工記念碑。



合併記念碑といっても、市町村合併ではない。
見沼代用水路と騎西領用水路を維持管理するそれぞれの土地改良区の合併である。
記念碑の裏側に昭和58年と刻まれている。



左側は騎西領用水路改修工事の竣工記念碑。
竣工は昭和49年とある。
右側の竣工記念碑には平成8年とある。



公園脇には現在の水門がある。



現在は三間樋調節堰。
この地に明治の水門、「三間樋」があったということは伺い知れない。



さらに上流へと進む。
すでに騎西町の西の外れまで来ている。
ゴールの見沼代用水路からの分水地点はもう、すぐそこではないかと思われる。




(写真と文 by pokkun)


埼玉県環境科学国際センタ(埼玉県騎西町)

2008年06月08日 19時32分59秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
龍興寺の前の県道308号線で埼玉県環境科学国際センタの看板を見つけたのできてみた。
看板では近そうであったが、龍興寺から2.5Kmほど離れていた。



最近出来たとみえて近代的な建物である。



建物の中と外に分かれている。
建物の中に入るのは有料だという。



当然、ふれあいの森から行ってみる。
人工の水辺が作られている。



ウサギでもいるのかな、と思ったらホタルを育てているのだという。



川も雑木林も人工のものですが、それなりに昔の里山の感じがする。



管の中を音が伝わることを体験する装置。
遊び感覚で学べるとあって子供に人気の様子。



こちらも子供に人気。



生態園は、林と水と生き物の係わりを学べるゾーン。



網を持った子供たちが何かを探していた。



殺虫剤や除草剤は使われていないようで、小さな生き物が沢山いそうである。
遊びにきている子供たちには、環境を大事にする大人に育ってほしいと思う。




(写真と文 by pokkun)

龍興寺(埼玉県騎西町)

2008年06月05日 07時54分16秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
ふれあいロードと県道が交差する多ケ谷小学校前から県道308号線を南へ下ると10分ほどで龍興寺。



案内板の下のほうは躑躅に隠れてよく見えないが、特に体制に影響はない。



山門の前に小さな堀があり、橋が掛けられている。



橋の袂には石敢當がある。
早い話が魔よけの石柱である。



関東では、石敢當がある寺は珍しいとのことである。



足利家ゆかりの寺らしく、この供養塔も足利家由来のもの。



尊氏からみて玄孫ぐらいの代にあたる人たちが供養されている。



山門をくぐって正面が供養等。
その脇に本堂がある。



よくみると、ただの龍興寺ではなく龍興禅寺というのが本当らしい。



本堂前で奇妙な旅の一行に出会った。



孫悟空を先頭に、猪八戒、三蔵法師、沙悟浄の御一行が天竺への旅の途中だという。




(写真と文 by pokkun)

多賀谷神社(埼玉県騎西町)

2008年06月01日 06時55分49秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
ふれあいロードをのんびりと歩く。
国道122号線から西へ約1Kmほどの地点。
県道148号線と県道308号線の交わる多ケ谷小学校前交差点の50mほど下流の所。
残念ながら橋の名前は分からない。
大きな木の下に小さなお社があり、ここを左に曲がると神社がある。



多賀谷神社で一休みします。
画面左奥の林の向こう側がふれあいロードの騎西領用水路です。



右側の狛犬、口を開けています。
いわゆる阿形です。
足で踏んでいるのは毬なのでしょうか。



別の角度から見ても、毬なのか子狛犬なのかよく分かりません。



左側の狛犬、普通なら口を閉じています。
いわゆる吽形なのですが、この狛犬は口を開けているのか閉じているのか中途半端でよく分かりません。
また、足で踏んでいるのも何なのか分かりません。



角度を変えて見ても、やっぱりよく分かりません。
何か意味があって、わざわざこのように作ったのかも知れませんが、それも今は分かりません。



案内板にもその事については記載がありませんので、私の単なる目の錯覚と思い過ごしなのかも知れません。



拝殿には鰐口はなく、とてもすっきりとしています。



拝殿の右上の屋根には、こんなものがあります。
逆立ちをしている狛犬のように見えます。
口を開けていますので阿形のように見えます。



こちらは拝殿左上の屋根です。
口を閉じていますので吽形のように見えます。



多賀谷神社の全景を眺めてから、
またふれあいロードをさらに上ります。




(写真と文 by pokkun)

雷電神社(埼玉県騎西町)

2008年05月29日 16時13分54秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
大福寺からふれあいロードへ戻ろうとしたが、田圃のはるか向こうに背の高い林が見えた。
来てみると雷電神社であった。



最近になって立て直したのであろう。
道路に面した所だけが真新しい。



一の鳥居の前にあるハナミズキが満開である。



雷電神社でいつも不思議に思うのは、雷が電気である事を当時に分かっていたのかどうかということである。



当時としては、大工事だったのであろう。
しかし、これだけの規模になると、現代でもかなりの大工事である。



神社へ来ると、狛犬をしげしげと見つめてしまう癖がついてしまったが、ここの狛犬はありふれた普通の狛犬のようだ。



往時の土俵が残されているそうだが、どこが往時の土俵なのか分からないままに拝殿正面を見る。



拝殿の近くまで寄って、他の神社ではなかった物が目に入った。



他の神社にはなかったもの。
ご覧の通り、時計と消火器です。



連想ゲームならば、雷電=落雷=出火=火を消す=消火器。
の図式が成り立つのだが・・・・では、時計はいかに。




(写真と文 by pokkun)

大福寺

2008年05月26日 20時51分55秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
国道122号線を渡り、ふれあいロードを西へ進む。
一服したくなる頃、大福寺が見えてくる。



この寺もまた古い寺である。



山門の前に立つと、すっきりとした感じを受ける。



瓦の黒が引き締まった印象をかもしだしているのか。



ここが、その昔大田ケ谷村であったことを石像が示している。



直立する数枚の板碑。



板碑に書かれた文字は梵字だという。
どうりで、読めないはずである。



一番大きな板碑。



山門の正面は本堂。
本堂の手前を左に曲がれば墓地への道。



鐘楼は若い葉に包まれていた。


振り返ると、道祖神越しに山門が見えた。





(写真と文 by pokkun)

国道122号を渡る(埼玉県騎西町)

2008年05月24日 11時54分58秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
玉敷神社からふれあいロードにもどり、さらに上流へと進みます。
このあたりのロードは簡易舗装ではなく、ちょっと洒落たインターロッキングでフジとホタルの絵が埋め込まれています。



古宮橋まできました。
国道122号線の手前です。



現在地の確認をします。
国道の横断は危険なので、案内の通り迂回をします。



その前に橋から上流側を見ます。
民家の向こう側が国道です。



危険な道路を迂回するのは、ここが三箇所目だと記憶しています。
案内図のとおりに迂回をします。



けやき並木を5分ほど歩くと国道122号線の交差点です。
ここで国道を反対側にわたります。



横断歩道を渡りますが、信号機の横に案内の矢印がありますので安心です。



交差点から国道の歩道を進みますが、暫くの間はこんな風景です。



なかなか、ふれあいロードが見えてこないので少し心配になった頃になって橋が見えてきます。
ここまで来れば、もう大丈夫です。



国道にかかる橋は寄居大橋です。
ここにも迂回路の案内図があります。親切といえば親切、当たり前といえば当たり前なのかなぁと思います。



この先は、町から外れますので、また田園の中を進むことになりそうです。
ここしばらく起点から何KMかの案内板がありませんが、それほどの距離ではなさそうです。




(写真と文 by pokkun)

玉敷神社神楽展示室(埼玉県騎西町)

2008年05月23日 04時48分28秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
玉敷神社を後にしてふれあいロードに戻ろうとしたのだが、社務所の一角になにやら展示室があるという。



展示室に入ると、神楽にまつわる品々が展示されている。
これは、かなり使い古された獅子頭。



オシッサマという行事で使われた三点セット。
箱の中には御神宝を入れたという。
猿田彦の面は道先案内人が被り、剣は御神宝の後ろで守護を務めたという。
オシッサマはお獅子様と書き、その様子が一枚目の写真の中央右の写真だという。



こちらも神楽にまつわる展示品。



神楽で使われた狐の面。



面は18面あり、そのうちの2面が展示されているという。



神楽で演者が手に持つ鈴。



神楽を催すことを許可する神楽裁許状。
千八百年代の始め頃に京都の役所から発行されたものだという。



昔昔の玉敷神社の奉納神楽の様子。



この展示室は社務所の一角にあるため、お参りの人でも存在を見逃してしまいそうですが、展示品の数々は往時の様子を知るうえで重要です。




(写真と文 by pokkun)

玉敷神社(埼玉県騎西町)

2008年05月20日 08時13分08秒 | 宮代の遊歩道(水と緑のふれあいロード2)
祭りの玉敷公園の隣に位置する玉敷神社一の鳥居。



鷲宮町にある鷲宮神社が関東最古の神社だそうですが、玉敷神社もまた相当古い神社のようです。



三の鳥居。
ここをくぐれば、目の前が拝殿。



拝殿の周りの木々の緑が落ち着いた感じをかもし出しています。



拝殿の脇に積まれた「力士」なるものが気になります。



拝殿の脇には、とても大きな銀杏があります。
幹が三っつに分かれています。



銀杏は騎西町指定の天然記念物です。
手前が三っつに分かれた銀杏で、幹周り6m、高さ30メートル。
右奥のものは、幹周り5m高さ30メートル。
どちらも樹齢約500年だそうです。



神楽殿と幹周り5mの銀杏の木。



神楽殿脇から見た拝殿。
神楽殿は、国指定の重要無形民族文化財です。



正面から見た拝殿上部。



それにしても、
気になる「力士」です。




(写真と文 by pokkun)