前回は少々感情的なレポートで失礼しました。
深呼吸して、散歩を続けましょう。
農のみちを歩いてきて、田圃から畑地に変わるあたり、地図で言うとここ。
こんなものがあります。
前項のふれあいロードでも紹介しましたが、「宮代町の水道は、県水と呼ばれる水(埼玉県庄和浄水場から送られてくる江戸川の水を浄化した水)と町内に9か所ある井戸(深井戸)からくみ上げ滅菌・ろ過して安心して使える水を配水池に貯えています。これらの綺麗な水を配水池からポンプの力によって、網の目のような配管網を通じて町内へ配水しています」(小学校社会科見学資料より)
町内に9か所ある井戸の一つで、第三水源です。この散歩道付近には多くの水源がありますので、また紹介することもあると思います。今回は、この水源がポイントではなく、この隣に立っているこれ
写真では読みづらいと思いますので概要を転載します。
「山崎遺跡(埼玉県選定重要遺跡)
山崎遺跡は、先土器時代の終り頃から縄文時代早期~後期、また古墳時代(4世紀~6世紀頃)の遺跡である。
大宮台地慈恩寺支台の一部、南東から北西に張り出した台地上に位置し、かつては北側に笠原沼耕地が広がっていた。台地の標高は8~10mを測り、北に向かって緩やかに傾斜している。
遺跡の南西側に入り込む谷の対岸には、縄文時代後期を中心とする山崎南遺跡、西側には埼玉県最古の鍛冶工房跡が発見された山崎山遺跡がある。
これまでに5回の発掘調査が行われ、先土器時代の石器をはじめ、縄文時代では早期(約7000年前)の住居跡3軒、後期(約3500年前)の住居跡2軒のほか、貯蔵穴や炉穴などが発掘されている。ことに早期の炉穴が台地の西側縁辺部に沿って作られている。また、縄文時代の石器の剥片も多数見つかっており、石器製作跡の可能性も高い。このほか、古墳時代後期(6世紀頃)の住居跡4軒が発見されている。
昭和51年10月、埼玉県の重要遺跡に選定されている」
遺跡をうかがわせるようなものは、付近には全くありません。しかし、農のみちに沿った、逆井、山崎、前原は、宮代町の石器時代から古墳時代にかけての遺跡が多く、古い時代の海岸線あるいは沼や川との境界線とも重なります。この様子は、農のみちの終着点付近にある郷土資料館に詳しいので、そのときに紹介できればと思います。
ただ、ついでですから、いにしえびとの生活に思いを馳せながら、山崎山遺跡に足を伸ばしてみましょう。
と、言っても、遺跡らしいものは何もありません。
目印はここ。
「工場じゃないか」といわれそうですが、先の看板にもありましたが、ここには興味深い遺跡があるのです。
と、言っても、遺跡らしいものは何もありません。と、リピートするしかありません。
ですから、郷土資料館のHPを見てみましょう。次のように書かれています。
「平成2年、山崎山遺跡(トクホン工場)から、古墳時代前期の鍛冶工房が発見されました。この鍛冶工房は当時東日本最古といわれていましたが、現在はそれより古い鍛冶工房が各地で発見されています。しかし、現在でも埼玉県最古の鍛冶工房です。鍛冶炉を用いて、鉄を溶かし、錐などの製品を作っていました。」
なお、トクホン(本社:東京都港区芝2-28-8、鈴木國之・代表取締役社長)は明治34年創業の家庭薬メーカー、メイン製品は外用消炎鎮痛剤で、昭和47年(1972)に生産拠点を草加から宮代工場に移した。社名・製品名の「トクホン」は室町後期から江戸初期にかけて活躍した「医聖」永田徳本に由来している(同社HPを参照)。
(以下 次回)
深呼吸して、散歩を続けましょう。
農のみちを歩いてきて、田圃から畑地に変わるあたり、地図で言うとここ。
こんなものがあります。
前項のふれあいロードでも紹介しましたが、「宮代町の水道は、県水と呼ばれる水(埼玉県庄和浄水場から送られてくる江戸川の水を浄化した水)と町内に9か所ある井戸(深井戸)からくみ上げ滅菌・ろ過して安心して使える水を配水池に貯えています。これらの綺麗な水を配水池からポンプの力によって、網の目のような配管網を通じて町内へ配水しています」(小学校社会科見学資料より)
町内に9か所ある井戸の一つで、第三水源です。この散歩道付近には多くの水源がありますので、また紹介することもあると思います。今回は、この水源がポイントではなく、この隣に立っているこれ
写真では読みづらいと思いますので概要を転載します。
「山崎遺跡(埼玉県選定重要遺跡)
山崎遺跡は、先土器時代の終り頃から縄文時代早期~後期、また古墳時代(4世紀~6世紀頃)の遺跡である。
大宮台地慈恩寺支台の一部、南東から北西に張り出した台地上に位置し、かつては北側に笠原沼耕地が広がっていた。台地の標高は8~10mを測り、北に向かって緩やかに傾斜している。
遺跡の南西側に入り込む谷の対岸には、縄文時代後期を中心とする山崎南遺跡、西側には埼玉県最古の鍛冶工房跡が発見された山崎山遺跡がある。
これまでに5回の発掘調査が行われ、先土器時代の石器をはじめ、縄文時代では早期(約7000年前)の住居跡3軒、後期(約3500年前)の住居跡2軒のほか、貯蔵穴や炉穴などが発掘されている。ことに早期の炉穴が台地の西側縁辺部に沿って作られている。また、縄文時代の石器の剥片も多数見つかっており、石器製作跡の可能性も高い。このほか、古墳時代後期(6世紀頃)の住居跡4軒が発見されている。
昭和51年10月、埼玉県の重要遺跡に選定されている」
遺跡をうかがわせるようなものは、付近には全くありません。しかし、農のみちに沿った、逆井、山崎、前原は、宮代町の石器時代から古墳時代にかけての遺跡が多く、古い時代の海岸線あるいは沼や川との境界線とも重なります。この様子は、農のみちの終着点付近にある郷土資料館に詳しいので、そのときに紹介できればと思います。
ただ、ついでですから、いにしえびとの生活に思いを馳せながら、山崎山遺跡に足を伸ばしてみましょう。
と、言っても、遺跡らしいものは何もありません。
目印はここ。
「工場じゃないか」といわれそうですが、先の看板にもありましたが、ここには興味深い遺跡があるのです。
と、言っても、遺跡らしいものは何もありません。と、リピートするしかありません。
ですから、郷土資料館のHPを見てみましょう。次のように書かれています。
「平成2年、山崎山遺跡(トクホン工場)から、古墳時代前期の鍛冶工房が発見されました。この鍛冶工房は当時東日本最古といわれていましたが、現在はそれより古い鍛冶工房が各地で発見されています。しかし、現在でも埼玉県最古の鍛冶工房です。鍛冶炉を用いて、鉄を溶かし、錐などの製品を作っていました。」
なお、トクホン(本社:東京都港区芝2-28-8、鈴木國之・代表取締役社長)は明治34年創業の家庭薬メーカー、メイン製品は外用消炎鎮痛剤で、昭和47年(1972)に生産拠点を草加から宮代工場に移した。社名・製品名の「トクホン」は室町後期から江戸初期にかけて活躍した「医聖」永田徳本に由来している(同社HPを参照)。
(以下 次回)