旧陸軍桶川飛行学校では、残っている施設の内部も公開されている。
入口から内部に入ると、まず見学者名簿への記帳を促される。
記帳を終えてまず目に入ったのがこの地図。
飛行学校から飛行場までの移動ルートが記されている。
現在の太郎右衛門橋の前の旧太郎右衛門橋や市町堺になっている古荒川などが記されている。
飛行兵が暮らした兵舎。
戦後は、引揚者が生活するアパートになったという。
飛行兵に操縦を教えた下士官室。
ここも兵舎同様、平成19年まで引揚者が暮らすアパートになっていたという。
飛行兵が操縦を練習した複翼機。
通称「赤トンボ」と呼ばれていたという。
飛行練習のフライトプランの地図。
画面左下の桶川を離陸して右の佐原まで飛び、さらに画面左上の足利を経由して桶川に戻るというコースが基本コースだったとのこと。
兵舎の部屋ごとに当時の資料が展示されている。
特攻隊として出撃した12名もここに紹介されている。
桶川から沖縄までの特攻隊の飛行ルート。
広島への原爆投下のわずか100日前のこと。
施設の見学には、「桶川飛行学校を語り継ぐ会」のメンバーが案内してくれる。
メンバーは、当時この学校に勤めていた飛行機の整備士や保健士などの関係者や、子供の頃から近くに住んでいた人たちとのこと。
どの施設もかなり傷んでおり、保存が認められたとしても修繕が必要。
施設の北に隣接する土地には、あの本田総一郎氏の別荘が今でも残っている。
ここは現在でも、本田航空で使う燃料庫のひとつとのこと。
兵舎脇の木々の間からは、飛行場手前にある現在の太郎右衛門橋が見えていた。
(写真と文 by pokkunさん)