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チェ・ゲバラ霊廟(2019キューバno35)

2019-06-16 | 中米

 

 大きな国旗がひるがえります。アルゼンチン生まれでお医者さん。キューバの英雄チェ・ゲバラの霊廟にやってきました。 

 前にもズーと拡がっている大きな公園になっていた。 

 後ろに高さ6メートルだという銅像が立つ前で集合写真。添乗員殿が写してくれた。いつものパターンだ。普段は私が入る集合写真はブログには載せません。楽しく気分のいい旅だったので、今回はここに飾りました。これは特別編なのです。

   こちらが私の撮影した写真。これがブログに載せる私の写真。添乗員さんにもガイドさんにも入っていただいた。このお二人はどうしても入れたい。私は欠けてもいいんです。自分で整理する写真ですから自分はいりません。楽しく旅した皆さんのお顔があればいいんです。しかし、その顔が世界中に公開されます。ここに「個人情報」という大きな壁があるのです。皆さんにお聞きします「お顔ブログに乗っけてもいいですか」たまには「やめて」という方もいらしゃいます。その方のお顔は、失礼ですが見えないように処理させて頂くのです。今回は全員から快諾いただきうれしかった。「ここがポイントだ」という時にどなたかの顔が入っちゃても安心。撮影に気づかれすることのない楽しい旅旅旅でした。

 残念ながら彼の全身像の拡大版は写していなかった。この霊廟は没後20年を記念して、革命戦争勝利の突破口となった記念すべき、ここサンタ・クララに1987年に建てられたという。そして彼の遺体が発掘されキューバに戻ったのが、死後30年目の1997年(平成9)カストロの手によって、この霊廟に収められたそうです。 

 銅像の下にフィデル・カストロにあてた「訣別の手紙」の文言が記されています。1965年コンゴで投函された手紙だといいます。そして1967年ボリビアの地において捕らえられ処刑されたという。訣別の手紙の中には「帝国主義のあるところならどこでも戦う」と書かれているそうです。そんな彼の闘争はわずか39歳の若さで、各地で展開したゲリラ戦も終わりの時を迎えるのでした。 

 銅像の台座には「永遠の勝利の日まで」と書かれているという。彼は国の主要ポストにも就き、国連でキューバ代表として演説もしている。日本へは1959年(昭和34) 31歳のゲバラが通商使節団を引き連れて来日。いや驚いた娘さんが2008年、息子が2017年に来日だ。ゲバラが日本滞在13日間で何していたのか、是非「ウィキペディア」に教えてもらってください。興味津々ですよ。 

 裏側に回ればこの大きな壁面に何か書かれています。ここには博物館が併設されていて、裕福な家庭で育ったという彼の生い立ちの写真や革命時の所持品などもろもろの展示物が並んでいましたが、残念ながらカメラなど持ち込み禁止で何も紹介することができません。 

 ゲバラだけの群像ではないように見えます「革命兵士が並ぶ」の絵でしょうか。 

 霊廟を後にします。

 そしてランチはこちら。 

 市内のレストランなのに珍しくもビュフェだった。 

 ビールはクリスタルとブカネーロはどこにもあるけど、今日のビールははじめてだ。名前は知らないがやっぱりビールだった。 

コメント
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