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戦争証跡博物館(2019ベトナムno2)

2019-02-02 | アジア

 

 ホーチミン市の観光スタートは、三階建ての戦争証跡博物館から。ベトナムの歴史は、常に被征服の歴史といっても過言ではない。とガイドブックには書いてありました。1000年にも及ぶ中国の支配。そしてフランス。日本も第二次世界大戦時には進駐していたという。最後には、まだ記憶に新しいベトナム戦争。この博物館には、その戦争の時が綴られていました。

 博物館の前庭には、戦争当時の大砲や戦車、飛行機などが並んでいました。  

 展示はいくつかのブースに分かれている。例えば「歴史的真実」「戦争における枯葉剤」「侵略戦争の罪悪」などなどです。 

 右の写真は、戦場カメラマンの姿を同僚が撮影したものでしょうか。 

 

 世界中の従軍写真家たちが撮影した写真が並んでいるコーナーがありました。1966年(昭和41年)に、ピュリッツアー賞を受賞した沢田教一さんが紹介されていました。 

 こちらが額装された写真「安全への逃避」 この写真は、爆撃を受けたため川に飛び込んで逃げているところだという。数多くの賞を受けた沢田さん、34歳の若さで取材の帰途、何者かに襲撃されて亡くなられたといいます。彼の写真展が東京のデパートで2017年に開催されたとき、当時2歳の子、多分お母さんの左腕に抱えられている子でしょう、54歳になられた彼女が写真展のテープカットに参加されたという。なんともほほえましい記事を目にしました。

 こちらは、石川文洋さんのコーナー。ニコンのカメラに焦点を合わせたため、本の名前も読めませんし、「ISHIKAWA」とネームが入っている着衣もきれいに映っていません。石川さんは現在80歳、沖縄でお生まれになったというのに、なんと諏訪市にお住まいのようだ。65歳の時挑戦した稚内から沖縄那覇まで3250㎞149日間の縦断歩き旅。驚くなかれの80歳、現在2回目に挑戦中だ。7月に宗谷岬を出発、現在どの辺を歩いているのか、私のところに届く地方紙に「石川文洋80歳 列島縦断あるき旅」として週一回の連載をしている。22回目の2月1日の紙面では、小田原から静岡「箱根駅伝コース堪能」と見出しされている。 

 砲弾を受けたのでしょうか、翼の一部をもがれ墜落寸前の飛行機をワンショットで。 

 

 

 この写真には日本語の説明がありました。「北緯17度線 (南北ベトナムのかっての境界線)直下のビンリン地区。砲弾撃と枯葉剤で一木一草もなくなった。アメリカ軍は1967年以降、17度線非武装地帯北側への散布も行なっていた」 

 枯死した大樹(バンメトート1982)と説明されています。枯葉剤であろう薬害を受けた子供や大人たちの見るに堪えない姿が何枚もの写真になって展示されていました。戦争の傷痕の生々しさに、それはあまりにも痛ましく、このブログに差し挟むことができません。結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」の分離手術はいつのことだったでしょうか。写真を眺めながら、ふと思い出されるのでした。 

 

 

 

 拷問の島と呼ばれたというコンソン島の様子も復元されていました。ひょっとして、これギロチン台。右の篭は何だろう。 

 帰りに再び前庭に出てみました。 

 朝鮮半島の38度線と一緒で、こちらの南北は17度線。相対した戦いは、ホ・チ・ミン率いる北ベトナムとアメリカの支援を受けた南ベトナムとの闘い。言ってみれば資本主義と共産主義の対立だったということか。北が攻め入って南を制覇したというのに、戦車など、ここに並んでいる「戦争道具」は、みなアメリカさんの物のように見える。なぜ北の「道具」はないのだろうか。ひょっとして星印のマークは北のものなのか。 

 気温は33度ぐらいのあっちっち。次の観光箇所に向かうバスの中からのショットです。横断歩道があっても一人では絶対渡ることができません。どんどん走ってきます。間違っても停まってくれないのです。彼らは、その技術でスゥーと避けてはくれるのですが、怖い怖いのです。 

 

 

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