靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート、失敗を成功の元ととらえる

2013-03-24 02:59:42 | 子育てノート
成長することを止めてしまう大きな理由が、「失敗への恐れ」です。これだけ努力してもしうまくいかなかったら・・・、こんなに頑張っても失敗してしまったら・・・、ならば初めから足を踏み出さなければ安全、そう次の扉を開けることを止めてしまいます。成長とは今の自分から変化していくこと、新しい自分へと足を踏み出していくことです。まずは踏み出さなければ、失敗もありませんが、成長もありません。

失敗は、どうしてうまくいかなかったかという理由を学ぶ機会、どうしたら今度はうまくいくのかというヒントを手にする最高の機会だと教えていきたいです。子供が何かをうまくできなかった時は、責める時ではなく、失敗からの学びを手に、進み続けるよう励ます時です。

失敗から立ち上がる体験を何度もさせる 
 赤ちゃん期から、その子の様子を見ながら少しずつ、失敗から立ち上がる体験をさせていくことができます。転んでも大した怪我をしたのでなければ、自分で起き上がるよう励まし、その後抱きしめてやります。手に持っている玩具を落としてしまったのならば、すぐに手を貸し拾ってやるのではなく、場合によっては気づかないふりをし自分で取らせます。食べ物をこぼしたのならば、「どうしたらいいかな、布巾はどこにあったかな」と布巾を持ってきてふき取るまで、年に応じて自分でできることは自分でさせます。飲み物をお気に入りの服にこぼしてしまったのならば、一緒に染み抜きをしてみます、算数の問題を間違えてしまったのなら似たような問題をいくつか繰り返し同じような間違えを防ぐようにし、廊下でボール遊びをしていて大切な置物を割ってしまったのならば、危険でないようならば自分で処理させ、その後に今度はどうしたら割らないですむかを考えさせてみます。「屋内ではものを投げない」「柔らかいボールを転がすだけならいい」など、様々なアイデアを出し、これからどうしたらいいかを学ぶでしょう。もし失敗によって、人に迷惑をかけてしまったのならば謝り、今度はどうしたら迷惑をかけないですむか考えさせます。

 転んだら起き上がり、今度転ばないためにはどうしたらいいかな?と模索する、この一連のセットを、何度も何度も繰り返えすことです。アラスカの長い冬、スケートはこちらの子供達がとても身近に感じているスポーツです。我が家も毎週のように湖に出かけるのですが、子供達の様子を見ていてもつくづく思います。転ぶことで上達していくのです。初めは滑っているよりも、転んでいることの方が圧倒的に多いものです。

何度も何度も転んでやっと学ぶこともあります。失敗にいつまでも拘り、くよくよとする時間やエネルギーを、問題の解決や今後の改善のために用いるよう促していきたいです。

 長男が四年生の時、一年ほど、本人のたっての希望で劇団の活動を熱心にしていた時期があります。その頃の出来事です。

 年にいくつかある公演のオーディションを受け、役を獲得すると、二ヶ月程の間ほとんど毎日のように集まり、一つの舞台を仕上げます。公演は、市のダウンタウンにある本格的な劇場です。

 結構な長さのある台詞も早いうちから覚え、公演を楽しみにしていました。公演間近になると、本番さながらの舞台リハーサルが何日か続きます。普段ならば就寝の時間に車で迎えに行くと、ネオンに照らされた車の中で、その日のリハーサル風景を毎晩興奮して話していました。今日はあの子が途中で台詞を忘れてしまった、あの子のタイミングがずれてしまった、そしてどうやって皆でフォローしてごまかしたかを面白そうに。

 そしていよいよ本番初日、舞台を無事終わり、拍手を浴び二ヶ月間共に頑張った仲間達とお辞儀をする長男。楽屋口に迎えにいくと、花束を抱えうつむき加減、そのまま無言で車に乗り込みました。車を発車させても、いつものように興奮して話すということはなく、窓の外を向いたままです。

「公演うまくいってよかったね。みんな本当に上手になって。毎日一生懸命頑張ってきたものね。公演もあと三日したら終わりね」
 そう明るい声で話しかけても、話しません。よく見ると、涙が頬をつたっています。
「どうしたの?」
 そう聞く私に、すすり泣きながら声を絞り出すように言いました。
「間違えたの。台詞を一行とばしちゃったんだ」
 拳を握り締め、泣きじゃくる彼。
「そう? ママ全然気がつかなかったわ」
 他のメンバーの子達がすぐにフォローに入ったのでしょう、観客席からは全てがスムーズに進んでいるように見えました。泣き続ける長男に少し明るい声で言いました。
「そっか。あれだけ頑張っていたのに悔しかったね。でも失敗したものはもうしょうがない。まだ初日だし、これから取り返していけばいいのよ。皆でフォローしてくれたんだね、ありがたいね」

 リハーサルでも誰かが間違えると、自分がフォローしたんだと得意げに言っていた長男。この失敗が、彼にとって大きな転機になったようでした。

 それ以来、「失敗」した周りの子に対して、その悔しさや恥ずかしさなどの痛みに、より共感できるようになったようです。面白おかしく他の子の失敗を報告することもなくなりました。「大丈夫、次に頑張ろう」そう失敗してしまった子に、心から声をかけ励ませるようになったのです。

 また演じる面でも、「もう自分は覚えちゃったからいいんだよ」といった態度ではなく、より謙虚に、練習の朝もう一度台本を見直してみるといった姿勢が見られるようになりました。どうしたら失敗を繰り返さないか、そう自分から行動を起こすようになったのです。そして「失敗」を過度に恐れることもなくなりました。失敗を乗り越えることで、失敗してしまったのならば、それまでの何倍も努力して取り返せるんだ、そう思えるようになったようです。

 公演最終日、初日には比べ物にならないほど、のびのびと演じている長男の姿が舞台にありました。


 「失敗」によって得たこれらの態度や姿勢を「成功」と言わずして、何を成功と言いましょうか。「失敗」を通し、長男はその後の人生に必要な、かけがえのないヒントを手に入れたともいえるかもしれません。

 子供達と共に、たくさんの失敗を体験してきました。そして子供というのは、言葉で諭し先回りして頭で学ぶよりも、時には実際に「失敗」を体験をすることで、本当に心から学ぶものだと感じています。周りや本人の安全が脅かされるような失敗は、できる限りしないよう最善をつくしつつも、たくさんの失敗をさせながら、自分なりの道を見つけていく手助けをしていけたらと思っています。傍で失敗の痛みに寄り添いつつ、周りに迷惑をかけてしまったのならば、一緒に頭を下げて回る。子供時代から失敗を常に恐れていた私自身でしたが、五人の子供達と何度も失敗を通る内に、随分とそう腹も据わってきました。


先達や周りの人々から学ぶ

 歴史に名を残した人々の伝記を読むことで、大成功を収めたとされる人々が、どれほどの失敗を繰り返してきたか、知ることができます。

 千回近くも実験に失敗したとされるエジソンは、「失敗」を「千回のステップだった」と言いました。奴隷解放を成し遂げたリンカーンは、十回近くも選挙に落選しています。相対性理論を提示したアインシュタインは、四歳までまともに話すこともできず七歳まで読み書きもできず、小学校の先生にも知能が低くてお手上げだと言われていました。第二次世界大戦でイギリスの危機を救ったチャーチルは、士官学校の試験に三度落ち、学校では落ちこぼれ扱いでした、進化論を唱えたダーウィンは、医者になることに挫折しています。六十年代世界中が熱狂したビートルズは、七回もオーディションに落ちたのです。世界中の人々にインスピレーションを与えたアップル社のジョブス氏は、大学をドロップアウトし、自分の作った会社から追い出されています。アメリカで最も読まれている絵本の著者ドクター・スースは、二十七回も出版を断られたといいます。

伝記を読むことで、失敗は後の大成功の元にもなり得るのだと知ることできます、そして人生がいかにアップダウンの連続か、そのダウンからも立ち上がり、歩き続けることがいかに大切かを学びます。

また世の中に良く知られた偉人とされる人々だけではなく、周りを見回せば、身近なところにも、失敗や難しい状況から立ち上がり、一生懸命歩いている「偉人」がたくさんいるはずです。事業に失敗したり、大切な人々を失ったり、事故災害に合ったり、病気だったり、苦しい状況の中、一歩一歩必死で足を踏み出している人々の存在を思い出してみます。それらの体験を直に聞かせてもらうのも、子供達にとってとても貴重な体験となるでしょう。

夫の母親は、六十間近で博士号を取りました。三十二歳から大学に行き始め、三つの学士、二つの修士を取り、高校や大学でスペイン語や社会学を教えつつ、三十年近くかけようやく手にした教育学博士号です。南米から米国へ移民して来た当時は、学位もなく、幼い子供を連れ、メイドや掃除婦をしていました。子供達はそんな祖母の昔話を聞くのが大好きです。目の前の明るい祖母が、どれほど苦労し困難を乗り越えてきたかと、励まされるようです。

 チャーチルはこんな言葉を残しています。
「成功するためには、失敗しても失敗してもその熱心さを失わないで取り組むこと」

 いくつもの失敗を乗り越え歩き続け、遂には大成功を収めたチャーチルの言葉は、とても説得力があります。子供達と歴史上の人物や周りの方々から学ぶことで、私自身も親としてどれほど励まされてきたか分かりません。

 失敗を責めるよりも、失敗を学びの機会だと捉え、先達や周りの人々から学びつつ、失敗を成功の元と捉える習慣を身につけさせていきたいです。


上に描いていける

 昔、子育てのワークショップで、インストラクターが、「親に一番必要なのは『自分を許すこと』です」と言っていたのを思い出すことがあります。その時はあまりピンとこなかったのですが、子育てを続ける上で、ああこういうことかなと思うようになりました。

 毎日続く子育て、私自身、失敗の繰り返しです。疲れていたりするべきことがたまっていてイライラとしているところに、理不尽なことをする子供についつい怒りすぎてしまったり、地面に咲く花にしゃがみこんで感動している子供を、「早くしなさい!」と怒鳴って前へ進ませたり、子供の言い分を聞かず頭ごなしにあなたが悪いと決め付けてしまったり、本人が一番堪えているだろう子供の失敗を必要以上に責め立ててしまったり、うまく物事がまわっていかなかったのは自分の段取りが十分でなかったのに子供達のせいにしてしまったり。自己嫌悪に陥り、より不機嫌になり再び周りに当たり、そう坂を転げ落ちるように悪循環にはまり込んでしまうことが何度もありました。

 そんな時、「自分を許す」ということは、確かに助けとなるかもしれません。ノンストップで続く育児、瞬時に切り替え、新しく足を踏み出すことの大切さをつくづく思います。罪の意識にがんじがらめになっていたとしても、何らかの解決策や改善策が手に入るわけでもありません。間違えたと思ったのならば、次にどう良くしているかと立ち上がり進み続ける、子どもに、「怒りすぎてごめんね。他にしなければいけないことがたくさんあってイライラしていたの。これから気をつけるね」まずはそう謝るのもいいです。

 「言ってしまった言葉」「してしまったこと」、私も何度後悔してきたか分かりません。それでも子どもというのは、大人よりもずっと「今」に生きています。それはもう小さな子であればあるほど。子供にとっては、大人が思う以上に、「過去どうであったか」より「今どうであるか」が大きいのです。失敗から気持ちを切り替え、今、そしてこれからを良くしていく。子供達は、今のあなたの笑顔に、ほっとするのです。

 子供達にも良くなるチャンスをすぐに与えるよう心がけたいです。叱った後、いつまでもそのイメージを引きずり、その子の顔を見る度、そのイメージを重ねてしまうことがあります。それでもその子自身も、良くなりたい良くありたい、そう思っているのです。切り替え、リセットし、今この瞬間に持ち直す。

 誤った線を引いてしまったのなら、上からどんどん新しい線を引いていく。小学校低学年の頃、親の友人だった画家が、近所の子供達を集め、絵を教えて下さったことがあります。絵を描くといういうことに、消極的だった私、間違えたらどうしようと恐る恐る真っ白なキャンパスに、黒い線を描き入れます。まちがえた、あっ、またまちがえた、そう下書きの線を何度もごしごしと消す私に、横で見ていたその若い画家は、「消す必要なんてないんだよ、上からどんどん描けばいいんだ」そう言いました。

 思い通りに引けなかった線の上から、何度も何度も線を引き直すうちに、初め頭で描いていたのとはまた違う、思いもよらない深みのある絵が出来上がり、ペンを置いて、絵を前に呆然としました。こんなやり方があったのかと、小さいながらも衝撃を受けたのを覚えています。

 引いてしまった線は消さずとも、上に描いていくことができる。一度してしまったことは、もう消せないけれど、その上からどんどん新しい線を引いていくことはできる。「なんて線を引いてしまったんだろう」と落ち込んでいる間に、上から一本でも新しい線を引いていく。そうすることで、初めから完璧な線で描かれた絵よりも、味わいのある心に響く絵ができあがります。

 あの幾つもの線が重なる絵に、はっと息を呑んだ時を思い出しつつ、今日も子どもたちに向きあっていきたい、そう思っています。


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2 コメント

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Unknown (旅人パンダ)
2013-04-15 22:36:54
チャーチルの言葉、パンダが常に肝に銘じている言葉です!
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旅人パンダさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2013-04-21 05:19:18
そうなんですね! 私も思い出していきたい言葉です。
ありがとうございます!
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