靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

競争の軸は

2012-01-25 00:06:56 | 子育てノート
レゴリーグ競技会、なるべく多くのチームにトロフィーが行き渡るよう考慮されている。1部門で優勝したら他部門で高得点でも他チームに賞が回される、など。

チームメートの親、友人が言う。

「全員にメダルをあげたり、全員にトロフィーをあげるというような風潮、私はあまり賛成できない。大きくなって社会に出たらそれは厳しいもの。現実とは違う夢を見させてその場は皆嬉しいかもしれないけれど、長い目で見たら子ども達のためになんてならないわ」

日本の手繋ぎかけっこで仲良く一緒にゴール、学芸会で7人が一緒に主役などなどの話を思い出す。

私も1つのものさしに皆を横並びにさせたところでどうしようもないと思う。多様なものさしを生み出すことの方に力を注いでいかないことには。

かけっこがどべなら、違うことで頑張ればいい。どべであることが、他分野への興味を強めるかもしれないし、ひょっとしてどうしたら早くなれるかと工夫していく機会になるかもしれない。周りの大人はまやかしの横並びでなく、どうしたらその子がこの厳しい社会でより生かされていくのかを真摯に模索していくべきなのだろう。1人1人に必ずギフトはある、それらを磨き育てていくことへ。

競争はよりよきものを生み出す原動力にもなる。ただその競争の軸は様々あるといい。そして究極の競争は昨日の自身との競争。

レゴリーグにロボットだけでなく、チームスピリット、プロジェクトなどの様々な面からの評価があるのはいいと思う。

レゴリーグの目標の一つは、科学数学に携わる人材を育てるためとされている。アメリカでますます弱くなりつつある分野、この分野の多くが海外からの人材で占められている状況といわれる。切磋琢磨し合い、輝く人材が誕生することを願いつつ。


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2 コメント

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Unknown (mirumiru)
2012-01-25 15:52:10
レゴリーグの参加、非常に貴重な体験を子供さんたちはされていますね。うらやましい限りです。これに参加することにより、子供さんたちの学習意識、仲間意識、限りある時間で試行錯誤しながら成功させる努力、計り知れないものだと思います。メダルがあってもなくても、メダルに届かなくてもそれまでの貴重な体験はメダル以上のものに匹敵するものではないのでしょうか?素晴らしいと思います。
さて、ここインド。世界人口第二位を誇る国の競争は、かなりのものです。学校生活では、幼稚園児から宿題が出されカリキュラムも主要教科が毎日組み込まれ、おやつの時間10分とランチ時間40分以外は、何かの授業がされています。
こういう教育システムの延長戦にある最も悲しいことに子供たちの自殺があります。10年生と12年生終了時に行われる共通一次のような試験で、思うような点をとれなかった子供たちに見られます。子供たちは、違う観点で勉強させられ、高得点が全てと見られるシステムにあるのだとつくづく感じます。
マチカさんが言われるように、徒競走ビリでも絵が上手に描ける、歌が上手い、ピアノであれば負けない、などのオプションが評価されにくいのは何故でしょうか。そこから、異なる人材も生まれるはずなのに。軸は多様であればあるほど、子供たちの能力ややる気は無限に広がるでしょう。

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mirumiruさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2012-01-28 01:13:01
レゴリーグについて、そんな風に感じてくださってありがとうございます。本当にmirumiruさんのおっしゃるような貴重な学びの体験をさせてもらっていると思っています。目標に向って努力を続けること、チームワーク、限られた時間プレッシャーの中で最善な方法戦略を選び的確に動いていく練習、計り知れませんね。トロフィーが手に入るのならそれはまた1つの目標を達成できたと嬉しいことですが、手に入らずとももうかけがえのない体験を手にしてきたと感じています。そうですね、まさしくトロフィー以上に匹敵するものだといえますね。

インドの状況。アカデミックの面でインドが急速に伸びていると聞きます。アメリカの主要な大学もインドからの学生が多いと。幼稚園からかなりの勉強量が課されるのですね。

まだ16歳18歳という人生を歩き始めたばかりの可能性ありあまるはずの子ども達が、絶望して命を絶っていく様、やり切れません。

この道しか成功へ通じないのだと小さな頃から思い込まされその道でつまずいてしまえば、もう絶望しかありませんね。

限られた軸を押し付けられ、それらの軸には相応しくない才能人材は花開くことなく。

「他のオプションが評価されにくい」というのはどこでも大なり小なり見られますが、より評価されにくい場や国というのは確かにあると思います。これがだめならあれで、と様々な可能性が育っていくようなシステムがなぜ広がらないのか。今の市場経済のあり方、今のところの人の脳の限界、色々なことを考えます。

階級のはっきりしているインド、おそらくこういったシステム道程から全くはずれた暮らしをする人々も多いのでしょうね。結局格差がますます広がっていくのですね。

無力感にうちのめされそうになりつつも、今こうして目の前に待ったなしでいる子ども達のためにも、親として立ち上がり進んでいかなくてはなりません。mirumiruさんの教えてくださったインドの状況を思い出しつつ、何ができるのか見つめていきたいです。ありがとうございます。
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