20の時、エジプトを旅した。当時のボーイフレンドと5週間。バックパックの旅。
・いくつかあるオアシスの内のひとつ、シーワオアシスに泊まっていたときのこと。宿で知り合ったイギリス人とエジプト人のゲイのカップルと、鉱泉へ泳ぎに行くことに。
直径10メートル程の鉱泉。ひんやりと光る鉱水に浸っては、照りつける太陽に身体をさらし、一日過ごした。
帰り際に、「神」についての話になった。
「神というものがわからない」と私が言うと、カップルのエジプト人の方が私の手を取り、鉱泉脇のしげみに連れて行き座れと促す。向き合って座る二人の間には、花。多分オレンジがかった赤色の花だったように思う。
「みてみて、マチカ、あ~ん、なんてきれいなのお~」突き出たお腹にビキニ姿の身体をくねらせうっとりと言う彼。
「マチカ、この色! このデザイン! 神がわからないなんて、どうしてそんなことが言えるの?」
・テル・エル・アマルナの遺跡をみようと別の町へ。宿から出ることは禁止され、外から鍵がかけられた。翌朝、ずらりと並んだ軍隊が迎えに来る。私達2人と、風邪をひいてゴホゴホと咳き込むドイツ人の若者と3人、トラックの荷台に乗せられる。荷台の中央に座る私達をぐるりと囲んだ軍人は、私達に背を向け、銃口を外に向け構えている。
遺跡に向かい、砂漠を歩いているときも。ぐるりと軍人に囲まれ一緒に塊となって動く。常に銃を構え、瞳を凝らし、少しでも怪しい動きがあれば対処できる体勢でいる軍人達。
あれほどのVIP扱い、後にも先にもこの時だけだろう・・・。
当時、エジプトでは反政府勢力が、旅行客を狙って襲撃するということが頻繁にあった。全世界にアピールする格好の機会作りのために。テル・エル・アマルナ周辺では、反政府勢力が大きな力をもっていた。
軍のリーダーが、ニコニコとして言う。「何も心配することないですよ。先週少しばかり争いがありましたがね、全員殺しましたから(We have killed them all)」。
日本で生まれ育った私には、未だに現実感がない体験。
・また当時、どこへいっても日本人とわかると、「おしん!(放映され大人気)」か「バザールでゴザール!(誰が教えたんだ)」と話しかけられた。親日の人々が多かった。
エジプトが、中近東が激しく揺れている。エジプトで出会った人々の顔が次から次へと浮かんでくる。郊外での治安の悪化が深刻だという。通りでデモを繰り返す人々の、長年押さえつけられた凄まじいエネルギー。
エジプト革命、どう決着つくか、どう広がっていくのか。これから英米の影響力は益々弱く、イスラム色の益々濃くなるであろうアラブ諸国とイスラエルとの緊張感も増すだろう。
嵐を越え、穏やかな日々が再び訪れることを、心から祈っている。
・いくつかあるオアシスの内のひとつ、シーワオアシスに泊まっていたときのこと。宿で知り合ったイギリス人とエジプト人のゲイのカップルと、鉱泉へ泳ぎに行くことに。
直径10メートル程の鉱泉。ひんやりと光る鉱水に浸っては、照りつける太陽に身体をさらし、一日過ごした。
帰り際に、「神」についての話になった。
「神というものがわからない」と私が言うと、カップルのエジプト人の方が私の手を取り、鉱泉脇のしげみに連れて行き座れと促す。向き合って座る二人の間には、花。多分オレンジがかった赤色の花だったように思う。
「みてみて、マチカ、あ~ん、なんてきれいなのお~」突き出たお腹にビキニ姿の身体をくねらせうっとりと言う彼。
「マチカ、この色! このデザイン! 神がわからないなんて、どうしてそんなことが言えるの?」
・テル・エル・アマルナの遺跡をみようと別の町へ。宿から出ることは禁止され、外から鍵がかけられた。翌朝、ずらりと並んだ軍隊が迎えに来る。私達2人と、風邪をひいてゴホゴホと咳き込むドイツ人の若者と3人、トラックの荷台に乗せられる。荷台の中央に座る私達をぐるりと囲んだ軍人は、私達に背を向け、銃口を外に向け構えている。
遺跡に向かい、砂漠を歩いているときも。ぐるりと軍人に囲まれ一緒に塊となって動く。常に銃を構え、瞳を凝らし、少しでも怪しい動きがあれば対処できる体勢でいる軍人達。
あれほどのVIP扱い、後にも先にもこの時だけだろう・・・。
当時、エジプトでは反政府勢力が、旅行客を狙って襲撃するということが頻繁にあった。全世界にアピールする格好の機会作りのために。テル・エル・アマルナ周辺では、反政府勢力が大きな力をもっていた。
軍のリーダーが、ニコニコとして言う。「何も心配することないですよ。先週少しばかり争いがありましたがね、全員殺しましたから(We have killed them all)」。
日本で生まれ育った私には、未だに現実感がない体験。
・また当時、どこへいっても日本人とわかると、「おしん!(放映され大人気)」か「バザールでゴザール!(誰が教えたんだ)」と話しかけられた。親日の人々が多かった。
エジプトが、中近東が激しく揺れている。エジプトで出会った人々の顔が次から次へと浮かんでくる。郊外での治安の悪化が深刻だという。通りでデモを繰り返す人々の、長年押さえつけられた凄まじいエネルギー。
エジプト革命、どう決着つくか、どう広がっていくのか。これから英米の影響力は益々弱く、イスラム色の益々濃くなるであろうアラブ諸国とイスラエルとの緊張感も増すだろう。
嵐を越え、穏やかな日々が再び訪れることを、心から祈っている。
テル・エル・アマルナの遺跡には行ったことがないけれど、旅行会社の同僚がその話をしていたことを思い出しました。ハトシェプスト葬祭殿での日本人観光客襲撃という事件もありましたね。私自身はエジプトのツアー中に湾岸戦争が始まり、日程を切り上げて脱出した経験があります。世界のどこかで紛争があるたびに、旅行という個人的に体験的に異文化を理解する機会が失われ・・・。
でも、これは外側からの見方なのかも。そこに住む人々にとってはそれどころじゃないでしょうから。
いや、でも行ったことがある場所だからこそ、会ったことのある人がいる場所だからこそ、人事でなく考えられるのかも。だから旅行のできる平和を願いたいです。
中東の中でも親米的だったエジプトが変わると・・・、アメリカに住む私達にも気になります。
「おしん」「バザールでゴザール」私も言われたよ!なぜか「さらばじゃ!」とも。
そんな体験してたんだね。
マチカちゃん、あちこち行ってるっていうイメージだったけど、詳しい体験談聞いたことなかったな。
ありましたね、襲撃事件、覚えてます。現地ではいつ同じようなことが起こってもおかしくない、という緊張感がただよってました。
湾岸戦争時に、エジプト脱出という体験をしたんですね。戦争を肌で感じたのでしょうね。
本当ですね、旅を通して触れ合うことで、親しみもわき、彼らのできごとを身近なこととして感じられたり、共感もしやすくなる。
戦争になってしまったら、普段当たり前に思っていたロジックはもう通用しなくなりますね。
旅行ができる状態、というのがどれほどありがたいことなのか、身にしみます。旅のできる世界であること、私も心から願っています。
エジプト政権がかわることで、中近東におけるアメリカの力は確実に弱まる、と聞きます。イスラエルとアラブ諸国との均衡にも大きく影響し、中近東の混乱が長引くこともあると。どうなっていくのか、見守っていきたいです。
そうだ、「さらばじゃ!」もあった!いく先々で言われてました。(笑)おしんの耐えて耐えて忍ぶ姿、日本の女性は皆ああいう風なのだと思っている人々が多くいました。今の日本の様子を知ったら違う国なのじゃないかと思うかもしれませんね。
そうだね、あまり旅の話、しなかったなあ。本当に数々のかけがえのない体験をしたなあ、と思う。今の生活の大きな糧にもなっていると感じるよ。