靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

夫婦ノート(恋と愛)

2011-06-29 01:26:30 | 夫婦ノート
恋は 満開の花だけみてうっとりとしているようなもの。

愛は 花を育てるようなもの。

花を咲かせるためには、水をやり、ちょうどいい陽光の加減を調整する必要もある。水をやり忘れたら枯れてしまうし、陽光が強すぎれば萎れてしまう。満開だった花も必ず散り、次の花が咲くまで時間がかかることもある。


周りに咲き誇る色とりどりの花を楽しみながら、

足下に花を育ててみる。


育ててみることで、初めて花というものを知ることができるのかもしれない。

夫婦ノート(心と体)

2011-06-29 01:25:20 | 夫婦ノート
昔友人とこんな話になったことがある。


「心ではどれだけ他の人とくっついたっていいけれど、体は一人にしておくのがいい。」

と私。

「逆でしょ。心だけは一人にしておくべきだ。例え体は何人の人とくっつこうが。」

とその男友達。


互いに「それは相手への裏切りだ」と言い合う。(笑)


心ではいくらだって一つになれる、限りなどない、

そこに限りある体を伴い始めたら、カオスだ。

夫婦ノート(この隣にいる人)

2011-06-10 23:57:12 | 夫婦ノート
マザーテレサが、彼女の仕事を手伝いに来た人々を前に、

「もしあなたがここへ来ることによってあなたの身近に悲しんだり苦しんだりする人々がいるのならば、今すぐ帰ってください」

 と言ったという話がある。


私がこうして結婚生活を続ける上での座右の銘かもしれない。


この隣にいる人との間に平安(peace)を築かずして、人を、よりよい社会を、よりよい世界を語ることなどできやしない。

夫婦ノート(チューニング)

2011-04-29 00:01:09 | 夫婦ノート
目を合わせるだけで 互いに戻る場を思い出す

戻る場は 自身の中心にある 穏やかで温もりに溢れ静かに躍動している場


そこに戻ることを妨げているものは何かを 互いに観る 

どこからその怒り 悲しみ 恐れが生まれ どうやったら溶けていくのか


チューニングを通して 本来の音をみつけるように

パートナーを通して 自身の中心に戻り合う




夫婦ノート(二人で一人)

2011-04-25 00:00:10 | 夫婦ノート
二人で一人 と思うと しっくりくる

相手ばっかり 私ばっかり き~ となることもない


自身の弱さ醜さを 観 受け入れ 溶かすように

自身でもある相手の弱さ醜さを 観 受け入れ 溶かす


受け入れ 溶かし続けるうちに 

鉛のように重くもつれた二人の足取りは  いつしか軽やかなステップへ

夫婦ノート(橋)

2011-03-27 23:59:30 | 夫婦ノート
ぶつかり 平行線

互いの溝は 向こう側がみえないほど広く 底が見えないほど深く感じる


ふたりの間の 溝を繋ぐ流れは

妥協でも あきらめでも 自暴自棄でもなく 「愛」と呼ばれることのあるもの


「愛」は いつもここに流れているもの

自身は空洞となり 流れを通すだけ


「自身」という名の橋の下を 川が流れ続けるように







夫婦ノート(ヴィジョンと話し合い)

2011-03-07 00:18:04 | 夫婦ノート
どういう夫婦でありたいのか 互いに納得するヴィジョンを創る


ヴィジョンに向け 何をしたか 何ができるのか 話し合う


そのヴィジョンからズレていくのならば 

ヴィジョンを創り直すのか 軌道を修正するのか 話し合う


日々 とにかく 話し合う   


ヴィジョンがあると 二人がどこにいるのか よくみえる

夫婦ノート(男と女)

2011-02-22 00:07:37 | 夫婦ノート
夫婦の本質は 男的要素と女的要素という正反対の要素が組み合わさるということにある

男が男的要素をそなえ 女が女的要素をそなえているかというと そういうわけでもなく 単なる言葉的に言い表すためのものである

反対の要素が組み合わさることで生まれるものがある

新しい生命は生まれるもののひとつである


反対の要素が組み合わさることで開いていく道がある


自身の内に男的要素と女的要素を組み合わせていくこと

夫婦はそのための終わりなき気づきを与えてくれる


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感覚の先の言葉。
 

夫婦ノート(一夫一妻)

2011-02-04 21:05:58 | 夫婦ノート
一夫多妻、一妻多夫、集団婚が成り立つ地域もある。

社会的機構をみるとき、労働力の確保、男女の人口差などの理由で、それらの地域では一夫一妻以外の制度の方がうまく機能する。

電化製品などが普及しておらず子供が多い場合など、家事労働を分担する人数は多いほどうまくまわっていく。また、外で労働する人数が多ければ、家に持ち帰られる資源も増える。戦争などで男の人口が少なくなった場合にみられることもある。

男と女一対一、というのが何ら「ヒト科の動物」としての絶対的な形なのではない、ということは世界を見回すとわかる。日本だって歴史をみれば、ゆるゆるだった。女が幾人もの男性と、ということはあまり認められてこなかったけれど。


男と女一対一という形が絶対的でないということがわかる、巷には他の選択肢もあふれている、では、そこで自身が何を選択していくのか、ということが重要になるのだと思う。

制度的には一夫一妻の社会に暮らしているけれど、男と女一対一以外の選択をとることは今の社会いくらでも可能だろう。一夫一妻という制度がある以上、それなりの社会的制裁は受けるだろうけれど。もちろん今でも「選択」が許されない地域もある。

「~でなきゃいけない」、のではなく、自ら選択していくという自覚。



私自身若かりし頃かなりむちゃくちゃな関係も経験したけれど、

いつからか一人の人と長く向き合うことでみえてくるものの方が面白いと思えてきた。

何らかの一定の形を突き詰めることでみえてくるもの、に興味がある。



互いに同意し心の底から互いにハッピーな男と女の違った形もありうるだろう。そもそも「ヒト」としては何ら不思議なことではない。選択の幅の中で、自身がどんな形を選んでいくのか、だ。



余談: まあ労働力面だけ考えるのなら、子育て・家事・外での仕事に従事する大人が2人以上いたらなあ、と思うこともある。川へ水汲みや、洗濯板で洗濯しているわけではないのだけれど。(笑) お手伝いさん、という手があるのだろうけど雇う余裕はないし。

夫婦ノート(始まり)

2011-01-27 00:33:30 | 夫婦ノート
アラスカで出会って1年、日本とアラスカを行き来したあと、結婚。

両親には「来週結婚する」とアラスカから電話をしたのみだった。

私の両親はかなり変わっていて、本人達が駆け落ちだったこともあり、結婚は個人的なこと、という考えをもっていた。


アラスカ州で法的な結婚をするには、聖職者か弁護士の立会いが必要だ。そこで夫の知り合いのアンカレッジ市内にあるタイ仏教寺院のお坊さんに頼み、タイ式の結婚式をすることに。タイの民族衣装を着て!

結婚式当日朝、用意するように言われていた「男物の白いタイツ」を探しにあちこちの店を回った。しかし、ない。まあ、ある方が不思議なのだけれど。(笑) 結局「白い長めのソックス」を購入し、タイ仏教寺院へ。

タイコミュニティの人々が民族衣装を着せてくれた。夫は青いチョウチンブルマのようなパンツに白いハイソックス・・・・。

5人のお坊さんがお経を読んでくれる。手首に紐を巻き、額に赤いしるしをつけ、それまで一度も会ったことがないタイコミュニティの人々が花びらの浮いた水をすくい、一人ずつ祝福してくれる。

身内では今はアラスカにいない夫の母親と小学生だった妹が出席してくれた。

式のあとキャンプ、ハネムーンは野宿だった・・・。(笑)


結婚後1週間で日本へ帰国。2年間の別居婚始まる。

名字も変えず、近い友人しか結婚したことを知らなかった。友人の一人に民族衣装を着て笑う二人の写真をみせたとき、「あんたは人生をなめてる・・・。」と言われたのを覚えている。

こうして夫婦としての関係が始まった。お金も仕事も何にもなかった、学生ローンなどの借金は互いにあったけれど。(笑)


人それぞれの始まりがあり、スタート地点に立つ。

結婚はゴールではなくスタートだとつくづく思う。

惚れた晴れたの幻想が引き剥がされたところから、始まる。

努力せずとも溢れていた「愛」といわれるもの、今度は自身で創り出していくことを学ぶ。

共にいようと決めることは、「愛」を互いに創り出していくという約束にサインしたということなのかもしれない、と最近思う。

夫婦ノート(違和感)

2011-01-11 01:40:38 | 夫婦ノート
話し合いの末 平行線

「じゃ 互いに同意しないということに同意しよう」 となることがある


ああ この違和感! 靴に砂利が入っているような

砂利が入ってちゃ歩けやしない と靴ごと投げつけたり

もうこれ以上の砂利はごめんだ と閉じたこともある


そんなことを繰り返すうち

「違和感」はストレスとして害 にもなり得るが

一人じゃとても生み出せない強力な力 ともなり得ると感じ始めた


砂利を踏みつける足裏が痛い のと同時に 

それらの刺激が うまく機能していなかった自身のさまざまな箇所を目覚めさせ 

バランスをもたらすことにもなりうる というように


「違和感」からどうエネルギーを生み出すか

パートナーとの暮らしを通して身に着けていくことのひとつ だと感じている

今日のイメージ(二人)

2010-12-19 00:25:37 | 夫婦ノート
生活 

互いの目に光を見出せない日々もある


感覚を澄ましてみる 

幾重もの層を剥がしていく

かつて パチパチと燃えていた場に 静かな温もりが 育っているのに気がつく 

しかも その温もりは 再びメラメラと炎を生むことも可能 自由自在に!


覆っていた層は焼き尽くし

炎を抱いて

夫婦の会話 (夫婦ノート)

2010-12-10 23:59:55 | 夫婦ノート
「一体いつ話ができるんだい、何にも遮られることなく集中して。」

顔を合わせれば、「いつ話ができるのか」という話し合い。

ある日、「いつ話ができるのか」という話し合いで、せっかく顔を合わせた時間のほとんどを消費していることに気がつく。


互いに話す内容リストを作り、少しでも時間がみつかったら一気に本題に入ることにしようと決める。

周りが騒がしかろうが、とにかく話せる状況ならば、本題に一気に集中する。

10分だって、5分だって、とても充実した時間になるはずだ。