一夫多妻、一妻多夫、集団婚が成り立つ地域もある。
社会的機構をみるとき、労働力の確保、男女の人口差などの理由で、それらの地域では一夫一妻以外の制度の方がうまく機能する。
電化製品などが普及しておらず子供が多い場合など、家事労働を分担する人数は多いほどうまくまわっていく。また、外で労働する人数が多ければ、家に持ち帰られる資源も増える。戦争などで男の人口が少なくなった場合にみられることもある。
男と女一対一、というのが何ら「ヒト科の動物」としての絶対的な形なのではない、ということは世界を見回すとわかる。日本だって歴史をみれば、ゆるゆるだった。女が幾人もの男性と、ということはあまり認められてこなかったけれど。
男と女一対一という形が絶対的でないということがわかる、巷には他の選択肢もあふれている、では、そこで自身が何を選択していくのか、ということが重要になるのだと思う。
制度的には一夫一妻の社会に暮らしているけれど、男と女一対一以外の選択をとることは今の社会いくらでも可能だろう。一夫一妻という制度がある以上、それなりの社会的制裁は受けるだろうけれど。もちろん今でも「選択」が許されない地域もある。
「~でなきゃいけない」、のではなく、自ら選択していくという自覚。
私自身若かりし頃かなりむちゃくちゃな関係も経験したけれど、
いつからか一人の人と長く向き合うことでみえてくるものの方が面白いと思えてきた。
何らかの一定の形を突き詰めることでみえてくるもの、に興味がある。
互いに同意し心の底から互いにハッピーな男と女の違った形もありうるだろう。そもそも「ヒト」としては何ら不思議なことではない。選択の幅の中で、自身がどんな形を選んでいくのか、だ。
余談: まあ労働力面だけ考えるのなら、子育て・家事・外での仕事に従事する大人が2人以上いたらなあ、と思うこともある。川へ水汲みや、洗濯板で洗濯しているわけではないのだけれど。(笑) お手伝いさん、という手があるのだろうけど雇う余裕はないし。