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にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・40 番外編 セノハチの補機たち

2011-09-03 | ブルートレイン

山陽本線瀬野八本松は22.6‰の勾配区間が連続する難所となっています。カーブも連続することから、列車抵抗を考慮すると25‰相当の勾配と言われています。
ここを通過する列車には、かっては当たり前のように補機が連結されていました。

セノハチの補機は、戦前はC52やD50などが使われていました。戦後はこの区間にD52が配置され、貨物旅客列車の後押しをしていました。
1959年に運転開始したブルートレインも当然D52が補機として、この区間の後押しを行ってました。


さて、1962年山陽本線広島電化が完成し、この区間も電気機関車や電車が運転されるようになりました。と言ってもこのころの東海道山陽本線の主力電気機関車はEF58形とEF15形、重量列車のけん引の場合、いずれもセノハチを単独で登ることは出来ず、補機が必用でした。さらに当時は諸般の事情から電車にも補機が必用でした。

旅客列車の補機はしばらくの間、広島での折返しの間合い運用として、EF58形やEF60形、EF61形が使われ、貨物列車などは引き続きD52が使われたようですが、翌年に専用の電気機関車に置き換えられました。



1963年に登場したのがEF59形で、当時電車化で余剰となっていたEF53形から改造された機関車です。後にEF56形から改造された車両も加わり、1968年までに24両が改造されました。
セノハチの場合、貨物列車は瀬野駅で補機を連結し、八本松駅構内で、走行中に補機を切り離しを行い、寝台特急などの旅客列車や高速貨物列車などは広島で補機を連結して、八本松駅構内で走行中に切り離していました。また隣の西条駅停車列車の場合は、西条駅に停車中に切り離しを行いました。
EF59は編成重量が600t以下の貨物列車や旅客列車、荷物列車などは単機で後押しを行い、それ以上の貨物列車は重連で後押しを行いました。
ブルートレインけん引は1964年からEF60-500番台に変更になり、セノハチの補機連結も廃止されています。

さて、1972年に関西九州間のブルートレインけん引機がブルートレインと貨物列車増発のため、EF65形からEF58形に変更されます。けん引機がEF58形に逆戻りしたため、再びセノハチでの補機が復活しました。


creative commons3.0 撮影:spaceaero2


1970年代に入ると戦前製のEF53、EF56を改造したEF59形も老朽化が深刻になってきていました。そこで、構造に難のあり長距離運用を避けていたEF60初期型を改造したセノハチ用の補機が、1975年に登場しました。EF61形の200番台に入れられ、EF59形を置き換えるはずでした。
しかし、EF59形よりも力が強くなったとはいえ、最大後押し可能な編成重量は1000tで、単独で1200tの貨物列車の後押しすることは出来ませんでした。さらに重連では、力が強すぎて、非常ブレーキを使用した場合、連結器に過大な力がかかり、脱線の恐れがあることが判明しました。
そのため、EF61-200の改造は途中で中止され、そののちも貨物列車の補機はEF59形が残ることになりました。
ただし、EF58形が牽引する旅客列車や小荷物列車はEF61-200で十分なため、ブルートレインの補機はEF61-200が行うことが多かったようです。
その後、再び関西九州間のブルートレインのけん引機はEF65形に変更され、補機は廃止されています。

現在、この区間の補機は単機で編成重量1200tの押し上げが可能なEF67形が登場して、EF59形とEF61形を置き換えています。

 

撮影 碓氷峠鉄道文化むら 2008年3月8日

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