日々のこと。

オカメインコのココとククとキキとの暮しを徒然なるままに。
(ククは闘病の末2012.6.5に旅立ち、キキが来ました。)

Papagallo e Topo の店長さんと 京都の小鳥屋さん

2012-06-13 19:14:07 | 日記
先日、お迎えした当初から数年ククのことでお世話になったパパガロの店長さんと、いつも相談にのっていただいている京都の小鳥屋のおじさんに、ククのことを報告し、お礼を伝えました。
パパガロは、お迎えしてからククが4才になるくらいまで、餌やグッズを買いがてらたまに行っていたのですが、横浜に引っ越してからは遠いこともありずっとご無沙汰しておりました。
ククは、ピピが亡くなってココとの二人暮らしがココにも私にもあまりよくないかと、お迎えを決めた子です。

ピピが亡くなったのが2002年の1月、その後暫くは仕事が忙しかったこともあり、新しい子のお迎えは頭になかったのですが、友達が私の生活を見て、ココちゃんのためにもお迎えしなよ、と薦めてくれて、その方がいいかなと思い始めました。
信頼できるところからお迎えしたいけれど、よく知らないため、ココを育ててくれた方に連絡したところ、その方はもう鳥を育てていなくて、その代わり、オカメ専門店を開こうとしている知人を紹介してくれたのです。
その方が、パパガロの店長さんでした。
だから、まだ正式オープン前から、新しい出会いを求めて、準備中のお店にお邪魔していたのです。
(その頃の話は以前のお迎え記念日の日記にも書いてあります。)

条件は「ルチノーのオス」、ルチノーがよいのだけど、卵で大変だったピピを思うと、どうしてももうメスはお迎えする気になれませんでした。
それを伝え、あとは、気に入った子に一応予約の札を立てていただき、一人餌になるまで、雌雄もはっきりするまでお店で育ててもらうことになりました。
ところが私が選ぶ子は全てメス、後から「あの子はメスらしいです」と連絡が来ては、お店に行って別の子を予約しの繰り返し。
何羽もメスが続いた後、電話で「私が予約した子ではないけれど、歌の練習を始めたオスと思われる子がいる」と聞いて、顔も見ずに予約。
後日会いに行き、お迎えを正式に決定したのがククでした。
顔も見ないで決めたなんて、初めてのこと。

ククに失礼だったかな、オスならどれでもよかったなんて。

その後一人餌になってからも、お店に頼んだ健康診断で螺旋菌が出たため、お店で投薬までしていただき、やっとお迎えしたのが6月22日。

だからもうすぐククのお迎え10年記念の日がくるはずだったのに、一緒に祝えずじまいとなりました。
オープンしたての忙しい時期に、健康診断に夜遅くまでかけていってくださり、働いていて投薬が難しかった私に代わって、完治するまで投薬していただいて、本当にお世話になりました。
店長さんにそのお礼と、ククと過ごした10年がどんなに私にとって素敵な時間であったかを伝え、ありがとうございましたと改めて御礼を言いました。

しみじみと話を聞いてくださり、また落ち着かれましたら是非お店に遊びにいらしてください、と言って下さいました。
あのお店、10年前も遠かったけど、その時よりさらに遠くなってしまい、なかなか足が遠のいてしまっていましたが、いつかまた訪ねてみたいと思います。
(あの「オカメインコの楽園」は、駅からも遠いし、バスも少なくて、不便なところにあるのです・・)

そしていつもお世話になっている京都の小鳥屋のおじさん。
ずっと経過は伝えていたので、亡くなったと聞いて、そこまでしてあげられたら充分だったと思いますよと言って下さいました。
小鳥の心配事はお医者さんも頼りになるけど、やはりこのベテランのおじさんと話すと一番しっくり耳に入り、安心することができます。
ピピはお医者さんに頼れなかったため、いわば自然死にいたるまで、おじさんに毎日のように相談していました。
もし医者に行っていたら他の道もあったかもしれませんが、それでも、居なくなって悲しいけれど、あれだけやったのだからと、後悔はあまりしていません。
そして今回は、ピピの時とは正反対の、鳥の最新のの医学とベテランの先生にお世話になってのお別れとなり、それもまた、これしかなかったと思えます(まだちょっと受け入れ切れていない部分もあるのが正直なところですが、でも多分、これしかなかったと結局は思えそうです)。
おじさんも先生もどちらも私にとって本当に大切な存在です。
そういう方たち出会えた私は運が良かったなあと思います。

おじさんは、まだ仕事中だというのに(京都の大きなデパートに入っているので、朝から晩まで年中無休で忙しいのです)長い時間私の話に付き合ってくださいました。
ククの経過を話すうちに酸素のことが話題に出ると、実はおじさんも昔から酸素を使われていたことを初めて知りました。
私が病院から持って帰ってきた酸素缶も、病院で使うような高濃度の酸素ボンベも使われていました。
そしてそれを試行錯誤で使ってみた面白い昔話も聞かせてくれました。

おじさんの店は小動物のほかに昆虫等も扱っています。
その昆虫が元気がない時、酸素缶をシューっとスプレーすると、途端に活発になるのだそうです。
また、元気のなかったハトをポリ袋に入れて酸素をシュー、すると元気が蘇ってきたとか。
また、高濃度の酸素は毒にもなることを利用し、餌に湧く虫を退治しようとおじさんは考えました。
「きっとうまくいくやろ!」と思い、そして虫が沸いた餌に高濃度酸素をシューッ。
するとなんと、虫が元気よく蠢きだしてしまい、おじさんも仰天したそうです。

その他、虫の話に花が咲いて、「ピピの羽虫を退治してもらいましたっけね」というと、「あれは簡単なんです、もっと厄介な虫が色々いるんですよ」と。
例えば、とある小さい虫が全身をうごめき、それをペット用の駆虫剤でやっつけるわけですが、小さいため気をつけないと鳥の耳や鼻、口に逃げ込んでしまうのだそうです。
なのでまず顔をガードしてから作業にとりかかるのだとか。
もし入ってしまったら、何度かお店にその子を連れてきてもらって退治するしかないそうです。
まだ鳥専門の頼れる医者に不足しているらしい京都では、おじさんのお店にそういうことでも頼ってくる人が沢山訪れるのです。

また、すずめやハトを連れてこられることもあり、そういう時は、飼い鳥にはみかけないものすごい虫が沢山ついていることもよくあるとか。
連れてきた人には見えていなくても、おじさんには一目でそういう虫が見え、お店の鳥に移ると大変なので、まず外にでてそこで駆虫するそうです。
おじさんが掴んで処置を始めた瞬間にババーっと大量の虫がおじさんの手に這い上がってきたのを見て初めて、連れてきた人がぎょっとしたとか。
一度で取り切れないから何回も来てもらってやっと駆虫したとか。

何でも自分で試して、使える方法を見つけていくおじさん、もうお歳は結構いってしまいましたが、まだまだ現役続行していただきたいものです。
これからもよろしくお願いしますと伝えると、まあ、あまりがっかりしないで、元気だしてね、と最後にあらためて温かい励ましの言葉をいただきました。

鳥を通してこういう出会いがありやり取りができることを、本当にありがたく思います。
昔飼っていた鳥達、ルル、ピピ、ココ、クク、みんなのおかげです。

お別れは寂しいけれど、それを超える喜びや楽しみを、鳥達との生活で私はもらえていると感じます。
寂しいけれど、会えてよかったよ、うーちゃん。
いつかまた会える日まで、楽しく元気で過ごしていてね。

写真は9年前、ククが1歳、ココが5歳を過ぎた頃のもの。
こうしてみるとココは昔も今も童顔なのに、ククはなんだかとても頼りがいのある、包容力のある男の子に成長したように見えるのは私だけかな・・。

それにしても、できることはやったと思う気持ちはあるのですが、まだつい色々考えてしまいます。
特に最後の一週間については、毎日病院に行っていたにもかかわらず、ククにとってどうだったんだろうって。

毎日注射にも耐え、食帯おこして気持ち悪いのに、それに気づかず食べろという私を信じて、一口でも食べようとしたクク。
最後の日は、前日注射から帰宅した頃から気持ち悪そうだったのが、とうとう朝から吐いて呼吸も速くなってきて、あの時点で病院に行ってたらどうだったんだろうとか。
夕方そうされたようにプラケで酸素で帰宅したんだろうか。
とすると、抱いてやることも撫でてあげることも餌や水を摂ることも難しかったかもしれない。
そう思えば、息苦しくてもギリギリ夕方まで家で一緒にいてやって、旅立つ少し前に先生のところに行ったのが、やはり一番よかったのかな。
あれでよかったかい、うーちゃん?

いなくなられてあらためて、体は弱いけれども優しくて気が強いしっかりもののククにどれだけ甘えていたか、支えられてきたかを感じます。
鳥に甘えるなんて変な言い方かもしれないけど、とても頼りがいのある、ほっとする存在でした。
キミの尊敬する先輩、ココ隊長のためにも頑張らなきゃね、でもやっぱりさびしいよー。
トヤ中のココ隊長、毎日粟穂ばっかりあっためてるよ、キミの生まれ代わりが粟穂からでてきてくれないかなあ。