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戊辰戦争で長岡から会津に数千の長岡藩士と、その家族が落ち延びたと言われている峠・・当時は山の尾根を通ったのだそうだ。
尾根の下に幽かに林道の跡が見えます。
*タイトルは敗走する河井継之助が詠んだ句(と伝えられている)。
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三条市の主催でこの秘境八十里越のバスツァーに参加しました。
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工事現場なので全員がヘルメットを被っています・・黄色いヘルメットはNHKの取材班で”あさイチ”と言う番組だそうです。
橋の名前は「ぼたばし」とよむのだとか。
*参加者の年代に驚きです、私等よりだいぶ上の年代が多くて、腰の曲がった人、杖を付いている人など様々でした。
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左上の写真のトンネルを抜けて右の写真の様な橋に繋がるのだそうです。
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県境を貫いている長いトンネルは完成していて、バスで通れました。
トンネルを抜けると滝が見えましたが、もうすぐ紅葉が始まりそうです。
*参加者からの質問、「いつ頃完成の予定ですか?」
答えられないそうです。
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*素朴な疑問です・・何の為にこの様な難工事をしてまで道路を造るのだろう?
三条側から只見へ、只見側から三条へ通る必要が有るのだろうか?・・資料では只見から会津若松に行くより、この峠を通る事が出来れば三条の方が近くて”救命救急体制”が向上するとか。
それならば福島側で道路整備をした方が普段の生活にも遥かに便利と思えるのですがね。
*貰った資料によると、この道を利用して中越地域と南会津地方の経済的、人的交流は明治末期まで続き、その後鉄道利用へと移っていったとか。
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*もしかして何か有った時の逃げ道?・・日本海側で事有った時に中越、三条地域はこの峠から太平洋側に避難するのか?
先の大震災では太平洋側からは津川経由で避難して来ていたけれど、考え過ぎでしょうか?